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他人の痛みはわからないはずなのになぜ悲しくなる?
- 他人の痛みを理解できないにも関わらず、なぜ悲しくなるのか疑問に感じた経験はありませんか?小説などの作品において、罪のない人々が殺される描写を見て悲しくなることがあります。一方で、現実の他人の痛みには無関心なはずです。この矛盾について考えてみましょう。
- 他人の痛みや苦しみを理解することは難しいですが、小説や映画などの作品においては共感し、悲しみを感じることがあります。これはなぜでしょうか?一つの解釈として、ストレスの発散が関与している可能性があります。他人の悲しみに共感することで、自分自身のストレスを解消するのです。
- 他人の痛みを理解できない一方で、作品においては悲しみを感じるというのは矛盾しているように思えます。しかし、実際にはこの矛盾が存在しています。人間の感情は複雑であり、理性とは異なる行動や感情が生じることがあります。他人の痛みを理解できないからこそ、作品においてその痛みを感じるのかもしれません。
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人間のすごいところは、他人のことを自分に置き換えて考えられることです。 たとえば、自分が物にぶつかって痛い思いをしたとします。 すると、それが経験となって蓄積され、誰かが何かにぶつかったのを見た時、その体験からその人が痛い思いをしている事を理解できる様になります。 これは人間に限ったことではなく、犬や猫、イルカ等の哺乳類などでよく起こりうる事象です。 犬が飼い主の怪我した所を舐めたりしますよね。 アレです。 しかし、人間となると、自分では経験した事がなくても、他者の経験からある程度理解します。 これまでの経験などを元に補完する事で、予想できる事態を脳内に構成し、疑似体験するのです。 これは他の動物には無い能力です。(単に人間が犬の能力に気づいてないだけかもしれませんが。) 恐らく、他者の経験を自分の経験とすることが自分の成長に役立つからなのでしょう。 つまり、人間においては 他者の経験≒自分の経験 なのです。 物語やドラマを人間が楽しめるのはそう言った能力のおかげなのでしょう。 この理屈から言うと、確かに自分の為に流している涙なのですが、しかし人間は集団で生きる動物です。 しかも単なる集団ではなく、互いに補完しあって生きる動物です。 他者の経験を共有できることで、他者の痛みを分かち合える、また助け合う事が出来るのだと思います。 つまり、自分の為に流す涙が、時として他者の為にもなりうるのです。 ついでに言うなら、分かち合うのは痛みだけでは在りません。 喜びもまた分かち合えるのです。 良いことじゃないですか。 贔屓のチームが勝ってうれしいでしょう? 自分とはまるで関係ないのにね。 天皇杯、アントラーズが負けた~><、、おーいおいおいおい・・・涙
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- mijinco
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想像力があるからです。
- marbleshit
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そうですね。 カタルシス効果は芸術の目的の一つでありましょうね。 http://www.alived.com/blue/site/catharsis.html
お礼
回答ありがとうございます 「カタルシス」初めて聞きました、ふむふむ目から鱗です、お話作りにそんな手法があったとは。 ついさっき他の方の質問読んで自己解決しました、人には感受性というものがあって、それは他人の気持ちを感じ取る能力なんだそうです、確かに他人の痛みはわからないけど、仕組みはわからないけど気持ちを感じ取ることができるんだそうです。これで作中の人間の気持ちを読み取り、それが苦しみならストレスとなる、そして涙が流れるという説明がつきます けど本当にこれで合ってるかは他の人の回答も見て判断することにします
お礼
回答ありがとうございます ふむふむそうなんですか、人間が特別に学習能力が優れてるんですね、他者の失敗を見て学習するのは人間ならではの能力ですね。 >物語やドラマを人間が楽しめるのはそう言った能力のおかげなのでしょう。 カタルシス効果はその能力がある人間だけに成立するというわけですね。 >つまり、自分の為に流す涙が、時として他者の為にもなりうるのです。 あ、でも涙はその能力で他人の苦しみを感じ取りそれがストレスとなったから、ストレス発散のために涙を流してるだけじゃないかな、涙流したって他人への助けにならないし。 >ついでに言うなら、分かち合うのは痛みだけでは在りません。 喜びもまた分かち合えるのです。 そうですね、感受性はあらゆる感情を読み取るようですからね、人間ってすごいですね