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人ってなんで?

人ってなんで苦を求めるんだと思いますか? 生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり 答えの出ない問題に悩み苦しみ 今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望んだり (生をあたえられて死をあたえられるのを拒む?)  ものを区別して勝手に名前を決めたり それの用途を勝手に決めたり それによって自分を束縛し 自分でつくった鎖で自分をがんじがらめにしてる感じかな? 総ては ただ流れてるだけで 自分っていうのは ただの流れなだけなのに ただ そこに存在してるだけで 死を意識して苦しむ事の理由が知りたいです 誰かが言った言葉でも良いし あなたの意見でも良いので教えてください

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回答No.11

uglyelさんのご回答で,宗教に対してのお考えは良くわかりました.私もいままで宗教にはにいろいろ考えてきました. 人によっては「心≠魂」と思われるでしょうから,私は「心=魂」と解釈して欲しいために、「こころ--魂」と表現したのです.普通「魂」というと「死んだ人の霊の魂」と考えてしまいますので,人によってはこれを信じない方もいるでしょう。uglyelさんのはそのように取られたと思いまし,それはそれでいい思います.(4.)については,宗教は「いいことをしたら,あなたにいいことが返ってくる」あるいは「天国へいける」といわなければ,「ごりやく」がなければ,信じないでしょうね。これは人間の欲の現れですから,一概に宗教が悪いともいえません.また,このようにいわないと悪くてもいいではないかとなり,社会の秩序にも影響がでてきますよね.「人殺ししても天国」では「殺された人は」たまりませんよね.uglyelさんのご回答の(4)で「人間がそれ....国は裕福なままなのが嫌」と書かれました。アメリカでuglyelさんがお好きでないキリスト教のモルモン教徒ではなかったと思いますが,多分クェ―カ―教徒は、現代の機械文明の生活を拒否して,1つの村を作り,生活をしていることをだぶむかしに.だいぶ昔に知りました.このようなことをご存じでしょうか.私にはできそうではありません.世界中がたすあって飢餓や戦争のなく、たの生き物と共存できる世界がありたいと思います.

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございます 私は宗教は悪くないと思ってます というより 悪も善も 醜も美も 正も否も ないというか (ジャンヌダルクや 日本では昔の美人が太っている) それは変わり続ける物で 社会のニーズなどで  変化し大事なのはそれに流されづ 自分を持つ事だと思ってますから   総ては自分がどう思えるかで 総てを評価するのは自分しかいないけど 人は弱いもので 自分が人から どう思われるか 人の事をどう思うか だけどその基準を自分では決められない 決めて非難されることへの恐れかとも思いますがよくわかりません  私は キリスト教は断片的なことしか知らないけど クェーカ教徒っていい感じだけとおもいます  機械文明がくれたのは 1.人レベルの安定(100年やそこら) 2・生きるための労働ではなく 楽をするための労働  3.人を欺くき より楽に利益をあげる事 etc... 世界中で飢餓や戦争がなくなるのは悲しいけど無理だと感じました 言葉で書き表しにくいので長いけど良かったら読んでみてください。 これは あくまで地球レベルでの話なんで人が生きてる範囲です  私にとっては この世は流れでの現象でしかないと思ってます  まず、人は貴い生き物ではなく 他の生物と何もかわらず 知識により自分がすばらしい生き物と錯覚してるだけで このすばらしい地球と一緒に生きて死んでいく 恐竜が地球とともにあり 滅んだのは 地球の流れで 人類も それで滅びるかもしれません  それで、地球としての飢餓は その滅んだみたいな感じだと思ってます でも、人がつくりだした飢餓は 一部の人が (裕福な国、現在の人)が楽をし 一部の人(貧しい国、未来の人) が苦労をする ように出来ていて それは、目先の利益を追う人間らしいありかただと思います 楽を覚えたぶん 苦労を体験した事がないから それに対する勝手に恐怖を膨らましてるでけかもしれません  それに、飢餓をなくすには人口が増えすぎてますし そうするとこれ以上 自然を蹂躙し 未来を考えないか  人はシェルターの中で クローンで作られた食べ物で 今と変わらないけど つくられた味 つくられた刺激で 自分が面白くない楽としらずに それを総てと思い 知らぬが仏で生きるかぐらいだけど 人はそれを求めてない 現在でも自分で自分を束縛したり 外からの束縛からの自由を求める心を美徳と感じたり  だから、インディアンやアイヌのように 総てのものに感謝すれば 自然との共存が出来て 生き物の無謀な乱獲を抑える事が出来 地球が人類を滅ぼすまで 生きれるし 病は 文明病(コレラとか)のように大量に死ぬことないし 人類も 動物たちのように 均衡を保てるし 悲しくても、今まで総てのものに生かされ 自分も地球のために死ねると考えれるし 人が人を信じれば 気持ち悪くわないし 誰に対しても 気持ちよくいられるし 戦争は 小学生でもやってる 古すぎだけど ガキ大将どうしの領地争いみたいなのがあるし 猿から進化した事がよくわかる それにとんでもない殺傷能力の高い武器をもっただけだと思います 力のありすぎる 喧嘩 確か人類は 地球を5回ぐらい破壊する力があるらしいです。 ふぅ~ かいたなぁ~ 何書いてるか忘れちゃった 書きたい事を表現するってやっぱりむづかしいなぁ~ 思ってること全部書けなかった リンカーンやヒトラーとかみたく とんでもない 表現する才能とかないし難しいなぁ~ もし、読んでくれてたら嬉しいです

その他の回答 (10)

回答No.10

uglyelさんの御回答ありがとうございます. 1.私は「心=魂」と考えています.uglyelさんは「心≠魂」ですね.ところで「魂」を「霊魂」と解釈されているのでしょうか.それでしたら,わかります. 2.「神」を信じないとのことですが,(1)超越したものとしての「神」なのか,(2)宗教家がいう「その宗教の神」という事でしょうか.「ネイティブインディアンやアイヌの人が信じる神」の存在をuglyelさんはお認めになるのてしょうか。「神は偉大な存在という先入観があります」は (1)のお考えでしょうか. 3.「感動したときの胸が熱くなるとかは 脳がそういう指令を出して体が反応してるだけだと」というと熱を測ることができるという事ですね,科学的にはそのようになりますが,私は感動したら,胸の辺りが科学的に熱くて胸の辺りを冷やしたことはありませんが,風邪をひいて熱を持つときは、脳がそういう指令を出して体が反応してるだけだといえますね.--この問題は科学的に解決されているならば,お教え頂ければ,ありがたいと思います. 4.いいコトしたら,その人に必ず返ってくるという言葉は信じません.「神」はそのような見返りの約束はしないと思います.また前世で悪いことをしたから,いまこうなるといういい方も神は言わないと思います。いまこの世でよいことをしたら,あの世は極楽とは神は言わないと思います。普通言われていることに対していっています.前世,来世を信じない方には関係がありませんが 5.日本も戦前はのうのうと暮らしていたのではありません.貧しくて,人を売るという事もあったのです.みんなが努力してきたのですから,ただ,日本さえ良ければできてしまったのが,いけなかつたのでしょうね。 

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました 遅れてすいませんでした 1、やっぱり 魂と霊魂って違うんですか 勘違いしててすいませんでした 2、神のやつは キリスト教なんですけど それがどうしても頭から離れなくて 偉大な存在と思ってそれはいないと主ってました 総てを救うとか 「インディアンやアイヌ」は、神(自然)との共存で 神は、人に恵みをくれ それを人間は感謝し  試練を与え そしてまた、神に落ち度があれば 神を責める事も出来た それは、ものの考え方で 感謝する心があり 人が自然とあるところと総ての命が平等であるところが良い感じでいいと思ってるだけかもしれません 3、体が反応するんじゃなくて そういうような現象が起きてる気になるだけ 手をつねられて 痛いのは手ではなく それを感じ取ってる脳が 危険(痛み)から逃れるためにそう感じさせてるだけかな? よくはしらないけど 4、ごめんなさい言葉が足りませんでした  自然の事を言ってて 自然は人間にとってやっぱり大きくて とても長い時間をかけて 今の形があったのに 人間がそれを100年やそこらで 急激に変えれば無理が出てその反動が出る事を言ってました その、今時点で出ているつけが 一部の人や動物に襲い掛かって 裕福な国は裕福なままなのが嫌で書きました 5、私は、そう思ってます 苦労した時代を踏みにじるような生き方や 現在の楽も それによって どこかで 確かに苦が生まれてるし(飢餓とか) それは、あまりいい感じじゃないので 苦しいです 本当の私にとってのいい感じの楽がほしいみたいな感じです 意見をくださってありがとうございます  

回答No.9

すみませんが、わたしは神を信じないという方がいるあなたのにお尋ねしたいので,考えをお聞かせください。「私は魂とかまったく信じないから、根底の考え方が違うので 理解は出来ないのですが 」。わたしは宗教家でもありません。 ある宗教に入っているだけが,信仰でもありません。と思っています。 ところであなたは人の「心」もないとお考えでしょうか。それならば,信じないのでしょうか。魂もないという事に納得します。  「心」なんて体を解剖しても見つかりませんが,「心」ってないと思っている人は本当にいるのでしょうか。「心」が「脳」にあるならば, 「恋」や何かに「感動」したら,「なぜ胸が熱く」なるのでしょうか。「脳」が熱くはなった事はありませんね。またあの人と「気」が合うっていう事をいいますが,それもまったく信じないのでしょうか。「占い」は私は信じませんが,好きな人はいますが,あなたは信じているのでしょうか。それはあなたは信じないならば,わかりますが。どの民族も「神」の存在を否定していないでしょう。太古からいまの遊びに近い「占い」とは違う「神に占う」事をしてきたのですから,それは宗教ではないでしょう。本当に困ったときに「神」を頭に思っていませんか。本当の「無神論者」を知りたいのです。社会主義の教育を受けた人でも,どうにもならないときに「神ー神でなくても,それに代る物であればいい-」を頭に浮かぶ人もいます。 さらに科学が発達すればするほど「なんでこんな仕組みになっているのか,うまくできているのか」という不思議さに感動するのではないでしょうか。「それは誰が一体どうしてつくたのか」そのときの答えはなんでしょうか。決して人間ではとは答えられませんね。どこへ答えを持っていくのでしょうか。「愛」という言葉も信じないのでしょうか。「愛」なんてどこにも見えません。 「愛」という物はそのものはありません。「電波」は見えませんが,それを見る「装置や機械」があるから,あるということでしょう。もし、その「装置や機械」なければ、ないとお考えるのでしょうか。 これらの疑問にお答え頂きませんか。神信じるか、信じないかは自由てすが, 敢えて,本当の「無神論者」の方のご意見をお聞きしたいです。        

uglyel
質問者

お礼

遅れてすいませんでした 心はあるけど 魂はないと思ってます 感動したときの胸が熱くなるとかは 脳がそういう指令を出して体が反応してるだけだと思ってます 占いも信じないし 神も信じない もし、神がいるとしたら 今の世の中をどうかしてたくなるでしょう 世界中では飢餓で3,6秒に一人しに それは日本人の無理な輸入とかでなってて 日本や韓国 アメリカ 台湾などのせいなのに 裕福な国ではなににも感謝せず ただのうのうと生きてるし 向こうの国の人は「何故、捨てるのに輸入するの?」 って思ってるらしいです 人なんか死のうがどうしようがどうでもいいけど 人間の罪を一部の人が背負っているのはむかつくし それをみて、私たちにつけがこないのが不思議でならないし でも、もうすぐ 地球は面白い事になるだろうけど  ネイティブインディアンやアイヌの人たちが 総てのものに神がいると考えたのは すばらしい考えだと思います それは人間が自然のなかでしか生きていけない事を感じてたのかも知れなしって思ってます 「愛」とかは自己陶酔かなとか・・・すいません 私は、人を信じられないので 恋をするのを怖がってるのかもしれません  考えを書くと やっぱり脳からの刺激で麻薬物質が出るとかでないとか 自分にとって 神は偉大な存在という先入観があります でも、とっても小さい  そして、人もまた小さい 自分のアイデンティティーを外に求めたり 自分がやってる事が100%正しいというのが怖いので 批判されたり 道を見失ったり  心に盾をつくって 防御してるぐらいかな 楽しいは自分で見出すもの でも、自分がホモだったら いいにくいとか 他から自分がどう思われてるかがどうしても気になるらしいし

noname#8665
noname#8665
回答No.8

caballeroさんのいうこれは、ひとつの解釈にすぎません。 >「ちゃうやん!ブッダが言うとうやろ。「苦行はあほや、しんどいだけで意味もないわ」って!」 この解釈が間違いであるという人もいます。 だって、これが正けりゃなんで禅の系統の宗派では 禅を中心にして修行荒行が行われるの? ってことになります。 密教系も同様です。 これが正解という解釈はありません。 なにせ2000年以上も前の話ですから、どれに尾ひれがついているのか 判断のしようがないからです。

uglyel
質問者

お礼

遅れてすいません いろいろあって いろいろありました(笑) もう、忘れてるよね 自分が正しいと思えることおやる事が一番気持ちいいことと思うようになったので ある意味自分の中で勝手に解決しました すいません 本心はみんないい人とか勝手に人の事を 十人十色なんてないとか思ってました 人それぞれいるから ありがとうございました

  • halka
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回答No.7

>人ってなんで苦を求めるんだと思いますか? あなたは映画マトリックスをごらんにはなりましたか? 映画の中で人の感じる現実とは脳髄に配線されたインパルスによって創り出された 仮想世界で、人間はマザーマトリックスによって生態エネルギーを得るために管理 栽培される原料だというものです。 真実はこれに近いものです。 あなたは野球やサッカーはお好きでしょうか? では、あなたは一度終了した試合をビデオなどでもう一度見て大きな興奮を得ら れるでしょうか?おそらく否でしょう。 なぜなら、意識はもう知ってしまったことに対して価値を感じなくなって行くから です。「わたし」はこうありたい、これからどうなるだろうか、という意識の元で 必死になって現実に対応する状態において本当のマザーが求めるエネルギーが あります。それには安定した状態からさらに高みを望もうとするよりは、苦痛から 逃れようとする時のほうがより必死になる、つまり高エネルギーが得られます。 >生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり ・・・ 人が生きる理由を考えようとするのはエネルギーを得るための不安定さを導出 しようとするためです。人が感じる対象、(経済的な成功、美しい伴侶、社会的 成功)に本来の価値はありません。これは物理学において等速運動する物体に エネルギーが無いのと同じです。力は加速度運動にこそ内在しましたね。 本当の生態エネルギーは同じく、意識の感じる可能性の変化率にあります。 >答えの出ない問題に悩み苦しみ今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望ん >だり(生をあたえられて死をあたえられるのを拒む?) 苦痛にあえぐ意識ほど高エネルギーを出します。もちろん、絶望してしまっては ダメですね。助かったと思っては奈落の絶望を感じ、そしてまた希望を感じ始め るレベルが必要です。その状態にこそ変化率があるわけですから。 >総ては ただ流れてるだけで 自分っていうのは ただの流れなだけなのに >ただ そこに存在してるだけで 死を意識して苦しむ事の理由が知りたいです あなたは現在お幾つでしょうか? ひとは年齢を経て経験を経る毎に、状況の先を読む習慣がついてきます。 アガサクリスティの小説の筋書きが初め読んだだけでわかるとか、およそ5、60 年の生を経ることでそうした老廃物がでてきます。ここには変化率を感じるエネ ルギー生産の効率が悪くなるということです。 その証拠として子供時代のあなたと現在のあなたを比較して時間の過ぎるのが 速くなってきているように感じませんか?これは変化率に対しての免疫生を示し ています。生産効率の悪い意識は、卵を産まない鶏と同じで速やかに廃棄される ようプログラムされています。 >誰かが言った言葉でも良いし あなたの意見でも良いので教えてください。 あなたが6の目しかないサイコロで双六をやって興奮するとか、子供時代より 現在のほうが時間がたつのが遅く感じられるようでしたら、あなたは意識の特殊 形態です。マーザーマトリックスからの呼出があるでしょう。 現実世界へようこそ。

uglyel
質問者

お礼

マトリックスとりあえづはみたんですが あまり面白くなかったので 覚えてません そういうものだったんですね(笑) 多分私の考え方とあなたの考え方は基礎が違うので ちょっと理解しがたいんですが そういう考えもあるととらしてもらいます すいません でも、面白い考えだと思います 野球やサッカーの例えとか確かにそーだな~って思うし 歳は10代後半って事はまだまだこの歳ではわからない 面白い事がまだあるかもしれないってことがわかってよかったです サイコロとかですがどちらかというとおもわないですね~ っていうか昔から ゲームとか面白いって思わないんですよ~ 結果はゴールしかないし  外で遊ぶほうが面白かったなぁ~  予想外のハプニングこそが面白いし 

回答No.6

死ぬことをわかってきて生まれてくることに不合理とは思いませんか.それと「苦労すれば報われる」とは必ずしも思いません.苦労しても報われずに死んでいくこともあると思います.だけどそう思うことのほうがよいでしょうね。わたしは「こころ--魂」を信じます.この世に生まれ出てくることは,「心の修行」のためであると信じています.この世で一生懸命に神から与えられた人生(何が与えられたかはわかりませんが)のいろいろなことを乗り越えてこそを使命を果たすと思っていますし、悟りを(というと大げさですが)知るという事ではないでしょうか.その苦というより使命は人に世って違うと思います. 

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました。 だめです、ごめんなさい 私は魂とかまったく信じないから 根底の考え方が違うので 理解は出来ないのですが 回答してくれた事は感謝します 魂とかを信じてる人がどのような意見をもっているかとかも知りたかったし 信じないわけを言うと もし、神がいたとしてもその神が存在する理由とか わからなくなって その神の存在理由が地球とか人とか いうものだとしても、 神の自己満足のために生きるのは私的には気持ち悪くむかむかするからです キリスト教とか 嫌いか好きかで言うと嫌いですね あてつけがましくて 恩着せがましくて キリストの死とか まぁ~ 人それぞれ意見があるから面白い世の中だから 気にしないでください

回答No.5

お釈迦様によると、早い話が煩悩にだまされているのだそうです。 煩悩とは心が刺激を求める働きです。普通の人は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚 および意識からの刺激に振り回されています。五感の刺激はわかると思いますので 省略しますが、五感を遮断して静かにしていたり、言葉や動作の反復で五感の刺激 が平坦化すると、こんどは意識が刺激を求めて神仏や霊とかの幻覚・幻聴が見えた り聴こえたりするものです。 そういうわけで心が刺激を求める働きは際限がないので、普通の人はとりあえず 乗りきる努力をして生きています。でもそれは冷静に考えると、uglyelさんの 言うように「なんで?」と言うことになるでしょう。

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました。 おぉ~ すげ~(笑) まったくその通りですね。 確かに、「なんで?」っていうのは、人間としてや社会で生きていく上で とんでもなく必要ないですもんね あぁ~ そうだわ~ お釈迦様ですか~ 面白いですね~ 宗教とか 永遠に対する憧れとか 自分の弱さを無理やりな考え方で自己洗脳で うみゃうみゃうみゃ~ 見たいなものかと思ってました。 輪廻転生とかとくに 記憶がなければ 生まれ変わっても しかたないし ある意味クローン人間とも変わらないし あなどってました(笑) 結構面白そうなものですね ちょっと調べてみます

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.4

「苦労すれば報われる」といったような意識が、私の周りの年輩の方々にはおおくありました。彼等はまた、権威主義ではないというが、実質的には権威主義的だったので、「ちゃうやん!ブッダが言うとうやろ。「苦行はあほや、しんどいだけで意味もないわ」って!」と私が言うと、いつもなら、なんや文句をいうのに、ブッダの名前を出しただけで、態度をなかったことのようにとりました。苦労人だからでしょうか?苦労を強いられるている状態というのはとても苦しいはずです。すすんで苦労するのはまだましでしょう。

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました。 うぅ~ん 進んでする苦労っていうのは 自己満足だと思ってます って言うか、人間は自己満足以上には生きれないって思ってるからだけど でも、死で悩むのは答えが出ない以上 自己満足にもならないから 苦しいみたいな・・・?? 余談ですが ブッタってそういう考えの人だったんですか 興味なかったから知らなかったけど 面白そうな人だから調べてます

  • kierke
  • ベストアンサー率10% (3/29)
回答No.3

うまれたとき死をはたして知っているでしょうか。 子供は夢が豊富にあります。 大人:「大きくなってなにになるの?」 子供:「電車の運転手!」 大人:「それから次は?」 子供:「~ちゃんと結婚するの!」 大人:「それから?」 子供:「う~ん?」 で止まります。 しかし、ある日おじいさんが居なくなってみんなが泣いているのを見、また事故や病床の人を見、死の恐怖を知ります。 そして、「う~ん?」のあとに「死ぬの」が入ってきます。悲しい事です。 でも夢は捨てられません。また悲しさを紛らわしたい。生きている実感が欲しい。生きていた証が欲しい。 だから、苦しくともがんばります。死が訪れた時に 自分で自分を「良くやった」と誉める為にはがんばる しかないのです。 生きた証が欲しい人は名を残す為(みんながそうでは ありませんが)苦行もいといません。また、お金を残 す事によって子から感謝されるためにもがんばりま す。 誰かに「君は良くやった。楽にしていいよ」と言われ たい人は自分より強大なもの(と思われるもの、宗 教)にすがります。 死が全てを奪う。故に人は意識し苦しむのでしょう。 然し死を死として受け入れれば悩みません。 死よりもっと苦しく悩むものはあります。死は一種の 希望です。(決して自殺推薦じゃないですよ!!) ですから、 >人ってなんで苦を求めるんだと思いますか? については 夢を持ち、がんばったと言われたい、言いたい、忘れられたく無い。から苦を求めるのだと思います。 また、ただ単に楽をもとめようとしても何が苦かを知らなければ判断できません。それ故苦はつきものです。 私は哲学的な意味のエピキュリアン好きですよ。 >ものを区別して勝手に名前を決めたり それの用途を勝手に決めたり それによって自分を束縛し 自分でつくった鎖で自分をがんじがらめにしてる感じかな? これ少し解りませんでした。束縛されていると名前のあるもの私自身が感じた事が無いので。 またよければ教えて下さい。

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました。 犬とかは死を恐れないのと同じみたいな事ですよね。 死を知らなければ死を感じれないですもんね~ 私には人生がありません。私は一つの現象  だから死は結果ではないみたいな考え方してます。 だから、生まれてる事に恐怖しないのと同じで 死にもあまり恐怖しません それに、楽しいときとかは、間違えなく楽しいです だから、あまり人生苦しくないけど う~ん でも、苦を知らないわけではないしなぁ~ 確かにそう考える事もできるなぁ~ 社会で 鉛筆の使い道は 字を書くとか決められた事しか出来ないけど 鉛筆でご飯も食べれるし 眼科検診のとき間違いなく片方の目をふさぐ事もできるし 鉛筆の芯を抜けばストローにもなるし 出来る事しか出来ないけど 間違いなく 無駄に束縛して まぁ~ ふにゃふにゃふにゃ~ って感じですよ 社会としての常識にとらわれて 自分を押さえつけてるみたいな ?? ごめんなさい 書いてるうち意味わかんなくなりました でも、これで投稿します(笑)

  • misoka
  • ベストアンサー率35% (56/160)
回答No.2

> 生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり > 答えの出ない問題に悩み苦しみ > 今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望んだり それは受け入れられないからではないですか? 理由も分からずこの世に投げ込まれ、理由も分からないままこの世から 投げ出される、そういう事実が受け入れられないから、苦しむのだと 思います(ハイデガーですね...)。 でも、ある偉い人が言うには、人生何のためにあるのか? って答えは、 「楽しむため」なんだそうですよ。 すべて快のうちに悟るべし。

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました。 面白い考え方ですね。 あたりまえの事だけど見失ってました。 あたりまえである事ほど見えにくくなってるなぁ~ 「楽しむため」って言うのは、私もそう思います それ以外内ですもんね 苦しんで苦しんで死ぬって言うのしんどいですもんね 社会ではやりたい事は制限されても 人間としては何をやっても自分がよければいいと思うし 人殺しも自殺も慈善活動もボランティアも それを苦しんでやらない限り 私的にはOKだと思ってます でも、私的には殺人とか嫌だと思う事は は嫌いだから 許せませんね

noname#1001
noname#1001
回答No.1

死を恐れるのは本能です。頭で考えるかどうかとは別に、生命を脅かすものには体が条件反射します。恐怖心というのも得体のしれない危険から身を守ろうとする作用です。痛みを感じる事も生命を守ろうとする信号です。驚いた時に体に力が入り目を見開くのも防衛本能が働いている為です。 つまり、人に限らず死はすべての生命が最も忌み嫌うもので、人に特徴的なのは、そのメカニズムに関心をもって考察を試みる、という事だと思います。生に執着する本能に、考える、という知性が加わっているわけです。だからといって、他の生命と比較して人にだけ特別な生命の意味というものがあるとは、私は思いません。生命の歴史のなかで、他の生命と同じく一つの役割を担っているに過ぎないと思います。 死を意識して苦しむ理由、というのは、おそらく人だけが「自分も必ず死ぬ」ということを知っているからでしょう。自分の必ずくる死、というものを知らなければ、死の瞬間まで本能に従って生きる事に専念できますよね。 必ず来る死を意識してしまうと、自分がなくなるという不安はもちろん、自分が存在している意味、とか、死後の事とかを考えずにはいられなくなるのでしょう。どうせ死ぬんだから生きていても意味がない、と考えてしまっては生きる事に執着する本能とぶつかって、根源的に納得できないわけで、生きる意味を求めるのだと思います。 自分を束縛する、ということについては、人が社会をつくる動物である、ということにかかわりが深いと思います。社会の中で平穏に暮らす為には本能のおもむくまま、というのではよろしくないという事を学習して知っているからです。 自分を厳しく律する求道者、というのは事情が違いますが、これは自己を極限に追い詰める事で真理を見い出そうとする真理探究の手法の一つだと考えますが、精神的に行き詰まった一般の人が求道者のような苦行を自らに課したりするのは救済を求める方法の一つだと思います。救われる為の段取りとしてやっているわけです。 人は本能の他に優れた知恵を与えられましたが、この知恵(精神)は案外もろく、自立する強さを持ち合わせていないのではないでしょうか。他の人の考え(精神)や、先人の知恵(宗教等)と関わっていないと破綻してしまうくらい、脆弱にできてるように感じます。 誰とも会話せず、読書もせず、メディアとも関わらず、といった状況に人はどれほど耐える事ができるでしょうか。 長くなりましたが、死ぬまで色々考えるのが人間の特徴、という事ですね。

uglyel
質問者

お礼

ありがとうございました。 大変ためになる答えでした。 わかりやすかったし この答えいいと思います。 メディアを必要とするのは人間としての私じゃなくて 社会としての私ですもんね~ 社会を作る生物って 確かにその通りだな~ とか納得させられました。 虹って7色って言われてるけどどう見たって 色と色の間の微妙な色とかぼやけててそんな違いがわからないときとか 人間としての私は許せないけど(笑) 社会としての私はその通りですもんね

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