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正岡子規 詩 ベースボール
正岡子規の ?久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも?という詩で一部が実況中継されていることを表しているらしいのですがどの点が実況中継されているんですか? どなたか教えて下さい(^_^ゞ よろしくお願いします!!
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正岡子規はベースボールが好きで、病気になるまで 選手をしていました。 ただ当時(明治20年前後)はラジオさえ無く、放送が ないので実況中継などありませんでした。
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- dayone
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実況中継がラジオなどを指すのであれば まさにNo.1のPinhole-09様の御回答のとおりでございます^^ ですが…実況中継を少し違ったニュアンスで捉えた場合、一つの解釈が成り立ちます。 ただし、moccal7様の御提示された一首だけでは難問過ぎます^^ 御存知かどうか存じませんが、下記のとおり 明治31年に詠まれた「ベースボールの歌(9首)」連作の最初が 「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」… 『子規全集 第6巻 /正岡子規著/東京・アルス/大正15』 「竹の里歌(明治三十一年)/ベースボールの歌(72頁)」56コマ/382 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978842/56 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも 國人ととつ國人と打ちきそふベースボールは見ればゆゝしも 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者はあらじ 九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす 九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり 打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち來る人の手の中に なか\/に打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに (\/は「(なか)なか」の繰り返しの意) 打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする 今やかの三つのベースに人滿ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな <上記「ベースボールの歌(九首のうちの二首<8、9番目>)」は、 明治31(1898)年5月24日新聞「日本」に発表。> 9首全体をとおして読んでみると如何でしょうか? 4番目がプレイボール、9番目には満塁などと まるで野球の由来や場面を実況しているようにも受け取れます。 以上、見当違いの場合は御容赦下さいm(_"_)m