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正岡子規の短歌

正岡子規の短歌に「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり」というものがあります。  この短歌の意味とみなさんの独自の解釈を教えてください。 詳しく教えていただけると幸いです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • latipes
  • ベストアンサー率36% (63/173)
回答No.3

こんにちは  すでに、素晴らしい解釈が書かれていて、 自分の解釈を書くのに気がひけるのですが、 気になっていたので参加させてください(*^-^*)  私は、『花ぶさが短く、畳に届かない』という部分に、 子規自身の『自分の命が短く(残された時間が少なく)、 自分の望むところ(やりたいことをまっとうするところ)までに届かない』 という想いが、かけられているように思います。  でも、子規は写実主義で、見たままをそのまま言葉にするという技法を取った人なので、 短歌自体に解釈をつけたがるのは後世の人々が彼を理解したいとか知りたいとか思うからかもしれませんね。 (この『つけたがる』という言葉は、質問者様がそうだというのではなく、一般論としてです。表現が不適切だったら申し訳ありません。私としましては、悪意があるのではないのです。)    以前の回答に寄せられているように、 彼は、素直な心で見たままを歌にしただけなのかもしれません。  その作品を読んで、どう感じるか、また、どう感じてもそれが、その人にとっての真実であるという・・・・  そう、人に気づかない視点を教えている・・・ 日常の中にある、ちょっとしたほのぼのさとか、 美しさとかをおしえてくれているのかなぁと思います。  たとえば、普段は見上げることのない空を見上げるきっかけを与えるといったような・・・・。 そう考えると、私の解釈は、どうなんだろう? と、思って、自信なしなのですが・・・・。 子規にはちょっと関心があったので参加させていただきました(*^-^*) なんか、回答部分は短く、雑感が多く申し訳ありません。

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.2

大変有名な短歌ですね。この歌が詠われた明治34年(1901)は、 正岡子規は結核で病床についていました。 子規は写実的な歌を詠う歌人ですから、床のなかから、 藤の花ぶさをじっと観察していたのでしょう。 藤の花ぶさが短いから、もう少しのことで畳の上に届かないのは、 残念なことだなあという思いを詠ったのでしょうね。 病気で、やりたい事が出来ない俺とおなじだなあという やや残念な気持ちを詠ったのだと私は解釈しています。 辛い気持ちが歌に現れていますね。 翌年(1902)に子規はなくなっています。35歳の生涯でした。

  • tera2002
  • ベストアンサー率17% (98/561)
回答No.1

正岡子規が胸を患い病床にいて詠んだ句だと思っていますが。 きっと寝ている子規のために藤の花を生けて、目線が違わないように畳の上に花器を置いてあるのではないでしょうか・・・ その藤の花の房が短いので畳の上に届かない 死期の迫りくる彼がどんな想いで詠んだのでしょうね・・ なんだか忘れられない句です。