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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:不意打ち名人 ヤマトタケル)

ヤマトタケル神話に隠された真実とは?

このQ&Aのポイント
  • ヤマトタケル神話は複数のアチコチの勇者の説話がまとめられたものであるという通説があります。
  • 征西において熊襲の兄弟との戦いでヤマトタケルは卑怯な方法を使い、カワカミタケルを殺してしまいました。
  • なぜヤマトタケルのこの卑怯な行為が記紀に残されたのか、その思惑や事情について考えられます。

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noname#140269
noname#140269
回答No.1

まず、カワカミタケルで合っています。しかし私の手元の資料では熊襲の首長とされていますね。 ヤマトタケルとはご存知とは思いますが、ヤマトタケルノミコト。景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物であり名は小碓尊(おうすのみこと)です。記紀に登場しますが、実際には4世紀から 6、7世紀頃の数人の大和の英雄を統合した架空の人物という見方もあります。これは津田左右吉の説ですが。 だいたいが景光天皇も仲哀天皇も実在したのかどうかも疑われています。応神天皇が「ほぼ間違いなく実在した最初の天皇」とされ、神武天皇初代では無く、応神天皇初代説もあります。 日本の神々、天皇に関する神話は、日本書記、古事記、記紀に記述されています。ところが日本書記も古事記も記紀も、同じ史記でも内容が全く違う事を書いてる話が実に多い。記紀ではヤマトタケルはその様に残虐性に富んで書かれていますが、そもそもが実在した大和の国の英雄の集まりだとすれば、納得がいく様な気もするんです。熊襲征伐、神武東征、土蜘蛛征伐もやはり一つの実話と伝説と修正の集大成だと思うんです。故にヤマトタケルもその様な書かれ方をされたのではないでしょうか。権力に逆らうとこうゆう目に遭うぞという警告もあると思います。ヤマトタケルも当時は日本最大の英雄という概念は無く、それが時代が進むに連れて、逸話に英雄譚が付き、神話時代の日本の象徴とされたのでしょう。その少年期話は、別に隠す必要性は無いし、権力の中心にいたとすれば、もっともな話であるとも考えられます。 事実、日本の天皇の歴史を紐解けば、結構残虐な事をしている天皇はいます。武烈天皇、雄略天皇がそのいい例です。崇徳天皇も死後は「怨霊」として恐れられ、現在に至るまでその怨霊は信じられており、丁重に祀られています。 実にまとまりの無い回答でごめんなさい。

PAPATIN329
質問者

お礼

何と言いますか、征西の時はスパイと言うか忍者と言うか、 敵のフトコロに入り込み巧妙に目的を遂行する優れた暗殺者を想わせますね。 私もこの方法が卑怯卑劣極まりない、までは思いません。 戦争みたいなものですから何でも有り、かと。 たいしたもんだと思います。 でも編纂者がなぜもう少しかっこ良く書かなかったのか、と言う疑問が。 悲劇のヒーローでもあるのに。 今風の、ズルイやつは最後まで生き残る、みたいな感覚はないようですね。 やられた方が、見事だ、俺の名前を名乗れ、て言うぐらいだから ちゃんとした兵法だったのかと。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

「価値観の違い」で、紀記編纂時にはそのような行為が卑怯とは考えられていなかったとうことかと思います。 例えば戦国時代の下剋上は悪とされませんよね。 それが江戸時代になって身分を固定化する必要が出てくると主殺しは悪とされるようになるのです。 明智光秀が裏切り者の筆頭にあげられるのはその良い例かと思います。 また、赤穂浪士による吉良上野介殺害についても「主の敵討ち」という面から「忠臣美談」と扱われますが、「完全武装で寝込みを襲って無抵抗に近い老人を殺害した」という見方も出来なくはないのです。 騙し討ちも「騙される方が愚か」ということでしょう。

PAPATIN329
質問者

お礼

見方によってイイヤツと悪いヤツが逆転することもありますね。 でもこの部分はやられた方が可愛そうな気がします。 権力者から少し離れた氏族の英雄ならこのゲリラ的兵法は理解できます。 主の命令でともかく出来る方法を選んだ。 確かに吉良上野介って日本で一番可愛そうな人かも知れませんね。 どうもありがとうございました。

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