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戦時中のエピソード:武器が届かぬまま戦い続ける守備隊の悔しさ
- 戦時中、守備隊が武器を求めて本土に訴えたものの、制空権の奪還の遅さから武器は届かず、米軍との激しい地上戦が始まった。
- しかし、ある夜、日の丸をつけた輸送機が竹ヤリを投下。守備隊員たちは喜びながら竹ヤリを手にするも、悔し泣きをした。
- このエピソードは戦時中のどの島で起こったのか、本に書かれていたのかは不明。知っている方がいれば教えてほしい。
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水木しげるさんの「白い旗」に一部掲載されています。 ほんの一コマ二コマですが。
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- aburakuni
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確かに実話としては無い話でしょう。 そもそも戦争後半には戦闘機でさえ性能的には数段劣る状態で、新たな開発をせず過去の遺物となっていた様な輸送機で、すでに制圧されつつある地点まで行けるはずもないし、軍首脳がそんな作戦を認めた筈もありません。 ただ水木先生が書かれた比喩として考えると、「竹槍」と言うのは象徴的な「武器」ではあります。 東条首相が本土決戦を唱え、竹槍での武装訓練を打ち出した時、それを軍事的視点で「他に注力する事がある」と言う記事を書いた新聞記者が居て、その当人を徴兵するために大阪のその記者が居る地域だけ40歳以上の男子を徴兵対象に入れたと言う「竹槍事件」がありました。 またその竹槍訓練の宣伝から「非戦闘員」ではないとして、米国側に民間人殺傷の根拠を与えた事もあります。 つまり竹槍は当時の軍首脳部の馬鹿げた思考の象徴的武器であり、当時の憤りをストーリー化したと言うのが、その話の下地だった様な気がします。
お礼
ありがとうございます
- eroero1919
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旧日本陸軍の名誉のためにいうと、たぶん創作された話なんじゃないかと思います。水木先生は戦争で腕を失っていますからね。水木先生はマンガ家第一世代なので話をデフォルトするのが上手なのですよ。他の戦記マンガでは駆逐艦の艦長が自ら魚雷にしがみついて敵に突っ込むという描写もありましたしね。 なお、史実の話としては、沖縄戦では爆撃機に乗った特別挺身隊が沖縄の占領された飛行場に強硬着陸し、中の隊員が飛び出して米軍機を破壊するという作戦が行われました。作戦は数度にわたって行われましたが、強硬着陸に成功したのは最初の作戦の1機だけ、米軍の損害は6機が破壊されただけでした。 またあのインパール作戦では英軍はパラシュートで補給物資を送ったのですがたまにそれが風に流されて日本軍側に落ちてくることがありました。飢餓に苦しんでいた日本軍将兵はそれを拾って食いつないだりしたそうです。 大変意外な気がしますが、当時の日本軍と海兵隊と、1個小隊あたりの火力は実はほぼ互角でした。日本軍側に擲弾筒があるとそのぶん日本軍が火力が上回るそうです。 では何が違うのかというと、中隊支援の迫撃砲であり、それ以上の野砲の数と性能でした。実は戦場で死傷する原因のナンバーワンは砲撃によるもので、およそ50%つまり半分は砲撃です。以下、爆撃、機関銃と続き、小銃による死傷はとても少なくなります。 日本軍が主に戦ってきた中国国民党軍と共産党軍は機関銃や野砲などの重火器をあまり持っていなかったしその運用も稚拙だったので日本軍の敵ではなかったのですが、高性能の重火器を大量に持つソ連軍や米軍には苦戦しています。
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ありがとうございます
- yatiyochan
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昔、貸し本屋と呼ばれた店に並んでいた『日の丸戦記』創刊号 東京・日の丸文庫 光伸書房 1962年(昭和39年)という漫画本の中に、水木しげる「二人の中尉」という作品が載っています。 そこには硫黄島の戦いで洞窟に追い詰められた日本軍が無電で弾薬補給を依頼すると、ある夜輸送機がやって来て、細長い木箱をひとつを落としたのを担いで持ち帰って蓋を開けてみると、中は竹ヤリばかりでそれを見た将兵たちは「何だ。竹槍じゃないか」「竹槍で戦えというのかな」と呆然とする件(くだり)があります。 おそらく質問者様が記憶されている話の初出ではないでしょうか。
お礼
原典は恐らく同じだと思います ありがとうございます。
- 巧(@TYR_efes)
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・・・それと似た話は硫黄島にもあるみたいです(酔汗)
お礼
ありがとうございます!
お礼
ありがとうございます!