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音の高低の呼び方の由来と共通性
- 音の「大・小」は、物体の大小と同様に捉えられていますが、音の「高・低」「上げる・下げる」は何故そう呼ばれるのでしょうか?物理学的には、振動数が大きいものを「音が高い」と呼びますが、これは西洋文明に限らず世界的に共通な概念です。
- 日本の古典芸能の楽譜でも音を高くする場面では上の方に印をつけるなどの表現が見られます。しかし、なぜ人間は振動数の大小を高低あるいは上下と結びつけるのでしょうか?これについては明確な理由はわかっていません。
- 世界の他の文化では「音が太い・細い」「音の左・右」といった表現が使われる可能性もあるでしょう。しかし、音の高低の呼び方は文化や言語によって異なる場合もあります。
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音に対する「高い、低い」の概念は、必ずしも世界共通ではないと思います。 私自身の記憶もあります。 小学校低学年の頃、よく先生に「高い音、低い音」「音が高いから音符が高いところに書いてあるでしょ」など言われたものです。 しかし当時の私には、高い、低い、という概念が全く分かりませんでした。高い音とは何なのか?低音とは? たくさん勉強していくうちに、ドレミを覚え、だんだんイメージをすることができるようになったのです。そんな私が、今は子供たちに歌を教えているのですから、不思議なものです。 もしもあの時期に、音の高い、低いについて学んでこなかったら、おそらく私は、一生音の高低の概念を持ったり、その言葉を頼りに音楽を表現したりすることはなかったと思います。やったであろうことはただ、「真似すること」だけ。 多くの場合、エネルギーをたくさん使って声を出すと、いわゆる音高の高い音になるので、そこに日本人は、「高い」という言葉をあてはめたのでしょう。多くの外国でもそうです。しかししばしば日本では、「しっ!声が高い。」と、「大きな声」に対して「高い」という感覚を持っていることも事実です。 すなわち、周波数が多くなることを高いというのではなく、音圧が大きくなることを「高い」と感じる感覚です。 すでに日本人の中でも、音の高さについて、感覚が統一されていないことの証拠なのです。 16世紀、多くの宣教師たちが来日し、ローマに使節団として少年たちが出向くなど、当時の若者は貪欲に西洋文化を学んだそうですが、外国人宣教師をして、最も頭を悩ませたことが、「日本の子どもたちは、歌の音程を覚えてくれない。」(いわゆる、音痴というやつですね。) 一生懸命教えれば教えるほど、がーがー叫ぶだみ声。音程を伝授することは非常に難しかったとのことです。背負っている言語、文化が違うのですから当然のことなのですが、わかるような気がします。 音の高さを意識している人もいればそうでない人もいて、意識していない人にとっては、死ぬまで無縁の世界なのだということです。
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- felicior
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音の高さの基準はだんだんと上がってきました。 同じドの音でもバロックの時代では 現在よりも半音ほど低かったようです。 高い音ほど明るく華やかで目立つため、 華やかさを競い合った結果、基準が上がってきたと思われます。 目立つものを高いと表現するのはまあ納得いくと思います。 ちなみに 音を半音あげるシャープ(sharp)は鋭い・尖ったという意味です。 音を半音下げるフラット(flat)は平ら・平坦という意味です。 「嬰ハ短調」などの「嬰(エイ)」は中国の伝統的な音楽用語が 日本まで伝わったもので、読みのつながりから「揚(ヨウ)」を 使うこともあったようで、持ち上げるという意識はあったようです。 ここに「鋭・平」という対立が生まれます。 ところで 振動数が大きくなると波長は小さくなります。 振動数が小さくなると波長は大きくなります。 振動数は一秒に百~二万回であり人間が直接感知できるものではありませんが、 これに反比例する波長なら、弦や管の長さと直接に関係します。 ピタゴラスは音の神秘を弦長の数理で説明しました。 大きい楽器ほど低い音を担当しているのは誰もが知っています。 大きい物ほど叩けば低い音が出る 小さい物ほど叩けば高い音が出るということも感覚的に誰もが理解しています。 ここには「大・小」という対立があると思います。 個人的には第六感的な「高低」よりも目で見てわかる「大小」のほうが具体的 だと思うのですが、「大」が「高」に結びつかなかったようです。 これに関連して バイオリンやギターの弦を押さえるポジションは 体に近い側ほど高い音、遠い側ほど低い音が出ます。 トロンボーンのスライドのポジションも同じです。 手前に合わせるほど弦や管は短くなるためです。 プレーヤーには「遠・近」といった対立感覚を持っている人もいるかもしれません。 なお、鍵盤楽器は右が高く、左が低くなっていますが、これは 右利きの人が多いため、メロディーを担当し細かく動くことの多い高音を 右手で演奏しやすくしたというだけのことかもしれません。 古代ギリシャでは音階の中で一番高い音を 「ネーテー・ヒュペルボライオーン」と名付けました。 一番高い音にも関わらず、「一番低い」という意味だそうです。 これはキタラというギターの起源になった楽器を構えたときに 一番高い音を奏でる弦が一番下にあったからのようです。 ローマ人がギリシャの音楽理論を翻訳するときに、感覚と違うためか、 音階の開始音と音階名の関係を高低逆にして翻訳して しまったということがわかっています。 どうやら音楽では視覚的なものよりも直観的なものが勝るようです。
補足
回答ありがとうございます。 >ローマ人がギリシャの音楽理論を翻訳するときに、感覚と違うためか、 >うやら音楽では視覚的なものよりも直観的なものが勝るようです。 この「感覚」とか「直観的(直感的?)」の正体は何なのでしょうか?
- ymrs
- ベストアンサー率59% (121/203)
面白い着眼ですね。改めて考えされました。 振動数が大きいものを「高い」と呼ぶのは日本だけではありません。 少なくとも英語はそうですし、ドイツ語、中国語でもそのようです。他の国ではどうなのでしょうね。 私は、人間が音の振動を感じる部位の差ではないかと考えます。 *************************** 音は空気の振動です。そして空間があるとそこに音は共鳴、共振します。 高い音は狭い空間に、低い音は広い空間に共鳴します。 (ピッコロは小さく、チューバは大きい) 人間の中にはいくつかの空間があります。口腔、鼻腔、咽頭、胸部 低音は胸部など人間の体の下の方にある広い空間に響く 中音は咽頭部、口腔など真ん中に響く 高音は鼻腔副、鼻腔、頭部など身体の上部の狭い空間に響く 現に声楽では「低音は胸に響かせ」「高音は頭頂部に響かせるように」と指導するくらいです。 高い音というのは遠くまで良く通ります、まるで空を伝わるように。 高い音は、眉間やこめかみあたりにキンキン来る。 低い音は「音」というよりただの振動として床や壁を伝わり、床の振動を脚で感じます。 現に低い音を飲酒時などに大音量で聴き続けると、腹部をかき回されたように気分が悪くなり。高い音を大音量で聴き続けると、頭が痛くなります。 つまり人間が音の振動を体感する部位の高さから来ているのではないかと考えます。 余談ですが女性の声が男性よりも高いのは、悲鳴で助けを呼ぶため、遠くまでよく響く必要があったからだという説もあります。 *************************** ネットでちょっと調べてみたところ明確な答えは得られませんでしたが、皆さん色々考察、議論してるみたいです。面白いですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E9%AB%98 http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/gengonitsuite/contents/takaiotohikuioto.html http://mentai.2ch.net/gengo/kako/963/963467586.html
補足
ありがとうございます。 ということは人体の構造と関係がある可能性がありますね。 頭が下で胸が上にある生物なら逆の名前を付けたかもしれないですね。
- k_kota
- ベストアンサー率19% (434/2186)
音を高い低いと呼ぶのは,おそらく共通では無いと思います。 日本でも高いと言うのは大きいと言う意味で使われる場合もあります。 音が太いと言うのは実際に使ってますよ、野太い声とかfat soundとか、 音楽の畑では普通の表現です。これは基本周波数と言うよりは倍音の話ですね。 音を高いと呼ぶ理由ですが、低い音は重量物が出す傾向にあり、 高い音は軽量物が出す傾向にあります。 重量感はすなわち高さの感覚に近い訳です。軽いものは上にあってもいいですが、 重いものは下にある訳です。 そういう意味で位置の高低を表す表現に合わせるのは合理的だと思います。 他にも色々表現があると思いますし、専用の言葉を持っている可能性もあります。 言語学とかの人なら詳しいと思います。
補足
回答ありがとうございます。 日本でもいろいろな表現があることはわかりますが 「高い・低い」で通じることは通じますよね? 逆の意味で間違われるようなこともないように思います。 >重量感はすなわち高さの感覚に近い訳です。 これは無理がありませんか? それなら「重・軽」にする方が素直ではないかと。 >おそらく共通では無いと思います この根拠は何でしょうか? 日本のことしか書いてないようですので このように考えられた根拠をお聞かせいただけると幸いです。
補足
回答ありがとうございます。 この疑問を抱いたきっかけは、 実は発達障害の子に音楽を教える場面をテレビで観たことでした。 階段状の絵を描いて「これと同じで音が高いでしょ?」と言っていたのですが 「本当に感覚的に同じなのだろうか?」と思ったのです。 英語と違って 日本語のイントネーションは音の高低(周波数の違い)だそうですから 日本の音楽には音の高低の激しさは要らなかった(導入しにくかった)のかもしれませんね。