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歴史上の女性の姓(または苗字)

もちろん一部に限られるのかもしれませんが、平安時代には名家の女性は姓があったようです(平徳子、北条政子など)。 室町時代になってもそれは変わらなかったようです(赤橋登子、日野富子など)、 幕末になると、夫の姓を名乗るようになったようですが、これはいつからなのでしょうか。また、戦国時代の女性は名前が知られている、お市、浅井3姉妹、千(家康の孫で豊臣秀頼の妻)などはいずれも姓が出てきませんが、本名には有ったのでしょうか。

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  • Pinhole-09
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回答No.5

戦国時代姓をつけていわれる女姓としては、立花誾千代(ぎんちよ)と吉岡妙麟(林)が知られています。立花は生家の姓、吉岡は生家と嫁ぎ先は同じ姓です。 二人とも男勝りの女武将なので姓をつけてよばれたのでしょうか。 女性は生家の姓を名乗るのが普通なので、やむを得ず〇〇の妻になるのでしょう。

その他の回答 (4)

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.4

古代の戸籍には、庶民でも男女同じように氏名が記載されてますけどね。 http://chushingura.biz/p_nihonsi/siryo/0051_0100/0065.htm

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.3

>平安時代には名家の女性は姓があったようです(平徳子、北条政子など)。 姓(かばね)は、ヤマト王朝時代、大王家を中心として安定してから、有力氏族の職掌や立場が次第に確定されていくなかで、各有力者の職掌や地位を明示するために付与されたと考えられていて、その後に血縁関係を表すものとなって行ったようです。 平安時代、有力貴族であればもともと姓があるのは当然です。 ちなみに「みなもとのよりとも」の「の」は、やまぐちさんち「の」つとむくんの「の」と同じ意味です。 >室町時代になってもそれは変わらなかったようです(赤橋登子、日野富子など)、 苗字は血縁を表す姓とはことなり、平安時代当たりから貴族や武家が家単位として名乗るようになったといわれており、室町当たりからは姓が廃れ苗字が普及して行ったといわれています。 北条政子を例に出していますが、 北条は苗字で、もともとは平政子(たいらのまさこ)、ただこの政子は生まれたときに付けられた名前ではなく、政子と名づけられる以前の名前は不明だそうです。 源氏に嫁いでも源を名乗らなかったのは血縁ではないから(養子縁組の場合は姓の変更もあったらしいです)といわれています。 >幕末になると、夫の姓を名乗るようになったようですが、 庶民含めるのであれば明治ですね。 ただ、江戸時代に庶民に苗字が無かったわけではないです。 >浅井3姉妹、千(家康の孫で豊臣秀頼の妻)などはいずれも姓が出てきませんが、 浅井家の娘であれば浅井が苗字になります、嫁げば嫁ぎ先の苗字になります。 それと、浅井家の姓は藤原だそうです。 今では、姓(かばね)と苗字は同じ意味でつくぁれていましが、振るかまったくの別物でした。

回答No.2

女性で苗字が残ってるのは公家の娘か武家の高官の嫁ぐらいです ちなみに浅井三姉妹ですが 江は「徳川徳子」として名前が残ってます(徳子は朝廷より与えられた名前のようです) 基本的には「○○家の○○姫」とか呼ばれてたようです 例えばお市なら結婚後は「浅井家のお市さま」とか 苗字と言うより嫁ぎ先の○○家の誰々って感じですね

tzd78886
質問者

補足

幕末を扱った大河ドラマでは 山本八重→川崎八重 林文→久坂文 に変わっていましたね。これは作家の創作でしょうか。

  • f272
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回答No.1

> 幕末になると、夫の姓を名乗るようになったようですが 日本の上流階級では妻は夫の苗字を名乗ることはありませんでした。生家の苗字を一生名乗るのです。ただし実際には女性が苗字を名乗ることは公式にはありません。結婚前はxxの娘であるし,結婚後はyyの妻と名乗ります。だから公式には女性には苗字がないと考えるのがわかりやすいでしょう。 これが明治になって民法が制定されると家の苗字を名乗ることになり,結婚して夫の家に入ると夫の家の苗字を名乗ることに変更されたのです。 庶民はこれに反して結婚すると夫と同じ苗字を名乗ることが江戸時代でも一般的です。ただし庶民は公式には苗字を名乗れなかったのですが...

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