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迷惑
自分が●●●することで周囲に迷惑が掛かかってるときに「やめる人」と「やめない人」の違いとは何ですか? ※ ●●●は生きていく上で必要のないこと、どうでもいいこととします。
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>自分が●●●することで周囲に迷惑が掛かかってるときに「やめるひと」A、「やめない人」B B: 私がよく経験する例にドライバーとして他人の車の前にいて自分のマイペースでゆっくり運転し、後続をいらいらさせ、後続車が追い抜こうとすると一転猛然とスピードをあげて追い越されまいとする人間です。 私が標準としている穏健なドライバーは、後続がいらいらしているようならできる限り(多少違反気味で)スピードを上げ、追い越せる道にきたら譲ってくれるドライバーです。もちろん私もそうしています。そうすることがマイ プレジャー(自身の快感にもつながる)なのです。 が、先述の「やめない」ドライバーはこの点、心の持ちようが根本から違うように思います。 実は身辺にこういった典型的な知人がいますので、非常に研究が進みました(笑)。分析すると、 1)あくまで自分本位。自分の利益しか考えない。 2)他人の心を忖度しない。鈍感だということではないようです。1)に通じますが、自分にとって余計なことを考えるのが面倒なのでしょう。 3)他人には負けたくない、譲りたくない。自尊心が必要以上に強烈な人ということでしょう。 他にもあるかもしれませんが、これだけで充分ではないかと思います。 A は上記の反対を取ればいいのではないでしょうか。 対策を書けとはかかれてありませんので、この辺で。 ご参考になれば。
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- ukiyotonbo
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No2の方の回答とそれに対するお礼欄の記載内容、何の説明もない騒音おばさんの強烈な動画貼り付けを拝見させて頂きましたけれど、私には、No2の方が多少なりとも不快な思いをされたのではないかと危惧されました。迷惑というものには、不快も含まれます。 これが、周囲に不快を与えることを、やめる人とやめない人の違いのあなた自身の具体例になり、あなたはその本質を理解するのではないでしょうか。 この騒音おばさんは実刑になりましたが、裁判上の被告の調書、口頭弁論からすると、「生きていく上で必要のないこと、どうでもいいこと」を前提とするこのご質問の典型例にはならないと思いますよ。
お礼
回答になっていませんよ。 規約で禁じられている「回答ではない回答」並びに「指摘回答」です。 しかも質問に対する指摘ではなく他の回答者へのお礼への指摘ですから悪質性は高いです。 どなたかの通報があると思われます。 口頭弁論は読みましたが生きていく上で全く必要ありません。
- pupurr
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こういう人は、昔は非常識と非難される人です。これが、やめない人。 バブルの時代には、モラルや常識がなくなって、たががゆるんだといわれてました。 それから、2世代の世代交代をしたと思います。 精神的規範という、伝えるべきことが、おろそかになったため、女性はメス化したとか、幼児虐待とか、起こってきてますね。 このルーツは、常識や道理、生命感がうまく伝わってない延長に、「やめない」というばちあたり、つまり、不利益を作る人がいっぱい出てきてるようですね。 その根本は、心のありようです。 あえて、いいませんでしたが、偏見をやめていえば、、生命感や心の問題は、昔は宗教で扱ってました。 今は手垢にまみれて正しく伝わっていませんから、偏見があると思います。 本来、仏教などは、生命感や生命哲学、または仏教哲学といいますので、哲学、つまりどう生きるかというものも入ってます。 現代の人は、宗教は悪い物として扱う人が多いと思います。これは逆転現象です。 正しいものを、私利私欲で曲げていることが問題とする、正しい見方が大事です。 特に、生命は大事というのは、宗教から出てきた考えで、それが基礎になって、文明があります。 ですから、その根本の真意が伝えられず、やがて常識やモラル、規範、規則など守らない人が出てきて、生命にも危険が起こる、悲惨な事件が起こるというのは、しごく自然な流れですね。 ですから結論として、 ただしいことがきちんと伝わってないことから、このような人『やめない」人が増え、問題が起こってくる。ということが日常となります。 違いでいえば、言っても通じない人と言っても通じる人。 迷惑を考えないというのは、周囲を完全に無視した幼稚な状況です。 普通なら喧嘩になるでしょう。 そういう場合、 わかりやすくいえば、利益と不利益で考えると、つまり、ご利益とばちでいえば、迷惑は因果応報でばち、つまり不利益、損、がでるでしょう。 現代人はごりえき、と、ばち といってもわからないでしょうが、利益と不利益、利益と損、という関係で、、、先見したほうが得ですよというしかないでしょうね。
お礼
ご利益を「ごりやく」と読んでしまいました。orz 両者の相違の解説をお願いします。
私はこの問題をさらに細分化して考えるべきだと思います。すなわち (1)周囲に気遣いが無いので迷惑をかけている人間。 (2)迷惑だとわかっているのに、続ける人間。 (1)に関しては既に議論があるようなので、さておきましょう。教育が不十分なのかもしれないし、マナーがわからないのかもしれない。しかしそれは無知というだけです。問題は(2)ではないでしょうか。確かに不可解です。 この理由は様々考えられますが、私は大別して二つあると考えています。 A. 迷惑だとわかっていてもやる必要がある場合。仕方ない場合。 B. 自分は許されると思っている場合。 Aは教師や親が子供に接する態度が過剰だとか、ジャーナリストが取材対象に付きまとうというなどのことです。しかし厳密には迷惑と違うので、考察から外しましょう(設問にも外してよいとあるので)。むしろ問題はBですが、なぜに許されると思うのか。 個々の事例はプライバシーの問題があるのでフィクションで例を取ると、私が興味深いなと思ったのは『ハンニバル』のメイスン・ヴァ―ジャーです。 このヴァ―ジャーは子供を泣かせて涙でマティーニを作ってすすったり、レクターを追い詰めたり、妹の人生を妨害するのを生きがいにしています。当人は寝たきりなので、他人の生を台無しにして悦に入っています。迷惑な人間です。しかし自分は神に許されている、という趣旨の発言をします(金にあかせて宗教的に特権的な位置にある)。したがって何をしてもいいのだ、と。 同じロジックは神権拝受した国王がやったり、民衆の支持をえていると称する国家主席がやったりします。しかしそう大げさなことでは無くても、「俺は不幸だから少々他人に迷惑をかけても許される」とか、「~~は同じことをしてるから俺も許される」などという理由づけもあります。 大人はそれが迷惑行為だとわかっているのに継続する場合、その迷惑が許されると自己弁明できる理由があるからこそ、続けるのです。更生には理由づけを問いただし、考えを改めさせるのが肝要だと考えます。
お礼
ネットだと延々と続ける人がいますよね。 理由づけを問いただし、考えを改めさせるのも不可能に近いですね。
- nahaha55
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オツムの出来の違いです。
お礼
まさにその通りだと思います。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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自分(その●●●する自分)がその世界ではない人ではないでしょうか? 三十センチだって三メートルだって何とかする間柄、できる夫婦たるお互いもあれば、三センチ三ミリだってやれない間柄、夫婦のお互いってありますね。 それを黙ってしらばっくれて、過ごす以外にない。道で出会ってもすぅっとすれ違う。 大通りの向こう側の路地から出てきて、また違う路地にいなくなる。 異類同士、いや蛇性の淫という話もあるが、鶴や狐っていうのは駄目でしたね。 そういうことが原因で、いやしらばっくれることができないと、ご紹介の騒音のおばさんの言動に出て行くかもしれません。 生きることで必要になっていることはやめられませんね。それが異界ではとても迷惑なんですね。 がまんできるか、偽れるか、自分をなくせるか。そういうことかな。
お礼
こちらが達観すると相手は更生できないのですよ。
全然哲学的な回答ではありませんが…。 「周囲に迷惑」が明らかなのに止めないという事は、 やっぱり「自分の事しか見ていない」 んじゃないですかね? 例えば、 「映画館で下らない話をずっとするカップル」 とかでしょうか?
お礼
まさにその通りだと思います。
- cyototu
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人間て存在しているだけで周囲に迷惑が掛かっていることをご存知ですか。ですから、迷惑を掛けないように生きて行くことなんか誰も出来ないのですよ。もし人に迷惑を掛けたくなかったら、貴方は死ぬ以外に方法はありません。だから、私たちは如何に人に迷惑をかけないように生きて行くかなんて考えても無駄です。そうではなくて、お互いに迷惑を掛け合いながら、そして寄り掛かりながら、どうやって私たちが住みよい環境に持って行くかを考えなくてはならないのです。 よく若い方で「私は貴方に迷惑を掛けないから、貴方も私に迷惑を掛けないで下さい」と言って、筋の通ったことを言っているつもりになっている方もいるようですが、そんな理屈を言う人には、私は「貴方が存在しているだけで私は迷惑しているんだが、どうします」って言うことにしています。迷惑を掛け合いながら、互いに工夫しながら楽しく生きて行く、それが社会と言うものです。
お礼
あまり人に迷惑を掛けられた経験のない、人に迷惑を掛けることに頓着しない方だとお見受けします。 また、「迷惑」の度合いの乖離もあることでしょう。 しかし、そのことを逐一ご説明申し上げられるほど暇ではありません。 http://www.youtube.com/watch?v=s1oH_jEYIXw
- spellegrino
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こんにちは。 多角的に物事を見ることができ、気づけるかどうかの違いが、まず一つ。 世の中、自分だけが生きているわけではないと思える謙虚さがあるかどうかが、一つ。 その行動が自制できるかどうかが、もう一つ。 どうでしょうか?
お礼
まさにその通りだと思います。
お礼
まさにその通りだと思います。