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愛されているうちに自殺するのがいい

人に愛されているうちに自殺するのがいい というのは川端康成ですが、言葉の表面だけをみればあまりに安易ですが、自殺を考えてきた人にはわかる部分があったりするかと思います。 哲学向けの質問かもわかりませんが、上記は心理学的にはどのような心理なのでしょうか。 また、自殺自体がどういう心理とされているのか、参考ページなどありましたら添付願います。

みんなの回答

回答No.7

喪失への不安じゃないでしょうかね。 愛されているということは、愛されない状態へと変化する可能性があるわけです。その可能性を未来に仮定した時、幸福の喪失が耐えられず、愛されているという幸福のうちに死にたいということかもしれません。 自殺を考える人というのは、おそらくリアリスティックであり、ネガティブなのかもしれません。 今享受できている、人に愛されているという状態がいつまでも続くと信じることができれば、喪失の不安にさいなまれることはないのでしょうが、現実的に変わらないものなどない、全ては流転するものだ、と気づいてしまうと、幸福の喪失は可能性として考慮せざるを得なくなるのだろうと思います。 喪失するかもしれないけど、喪失状態ももまたいつまでも続かない、きっとまた愛される時が来る、とまで考えられれば、自殺に至ることはないのでしょうが、ネガティブ故に喪失への気づきで思考が止まってしまうのかもしれないですね。 単純に幸福の永続を信じるか、不幸もまた続かないともう一つ先まで考えることができれば、自殺には至らないが、ネガティブな状態の想像で止まってしまうと、その不安が耐え難く、自殺が選択肢となってしまうということじゃないかと思います。

  • ichigonn
  • ベストアンサー率48% (22/45)
回答No.6

私は自殺を考えたことがありました。 自分のことが嫌いでたまらなくて、殺したいと思っていました。 今思えば、生き方がわからなかったのだと思いますが。 輪廻とかもしあるとしても、二度と生きたくないと思っていました。 生まれ変わったら…とかいう期待は私にはありませんでした。 とにかく消えてなくなりたい。無になりたいと。 小学生の頃、幸せのてっぺんで死ねたら一番幸せだろうなと思っていました。 てっぺんまでいったらあとは下るだけだからと単純な発想なのですが。 これも単純かもしれませんが、私の考えを述べます。 自分が愛している人が自殺したら、当然強く印象に残りますよね。 「なぜ自殺なんか…」「なぜ止められなかったんだろう」 きっと一生引きずる程、病気や事故などよりも更に強く、 その人の心の中に刻まれます。 自分が死んだあとも、自分を愛してくれた人が、 死ぬまで自分のことを覚えていてくれる。 これは自殺した本人にとってはすごく幸せなことではないでしょうか。 (私の場合は正反対で誰の記憶からも消え去りたいと思っていましたが…) 誰からも愛されず、自分が死んでも何も残らない。 自分の存在意義はなんだったのか。 小説家の彼にとってこれは恐怖だったのではないでしょうか。 小説を書くという行為は、自分の存在証明であり、 また誰かにそれを肯定してもらいたいという願望も含んでいると思います。 小説家の幸せは、人の心に残る作品を作ることではないでしょうか。 なぜそうしたいのか。 彼自身が誰かの記憶に残ることを望んでいるからではないでしょうか。 参考になるか分かりませんが自殺の心理についての回答が寄せられています↓ http://okwave.jp/qa/q895535.html 乱文で失礼しました。

回答No.5

自分のベストが永続できない思いと、それによる人の心変わりに、 耐えられないのだと思います。美人がきれいなうちに死にたい、 老いたくない、見捨てられたくないというのと同じでしょう。 自分が受けるであろうショックから自己防衛し、かつ名声も美化されて残る。 究極の、逃避による防衛機制ですね。

crmant
質問者

お礼

例えば優秀な野球選手がキャリア中盤の27歳で引退したとします。 40歳で現役の人もいます。 この場合、後者は“現役をやめられない”で現役続行というある種の“防衛”をしているわけではなく、前者のみが防衛ということでしょうか。 美人が老いたくないから美容整形へ行く、ということはあっても、死ぬなんて聞いたことがありません。 >自分が受けるであろうショックから自己防衛し、かつ名声も美化されて残る 臆病な俗物、ということでしょうか。 それを云えば、生きている人も変わらないのではないでしょうか。

noname#140269
noname#140269
回答No.4

poizon19です。再回答させていただきます。 ここは議論をする場では無いので、あれなんですが、輪廻転生を信じ、現実逃避して自殺を図る。これは確かに私が自殺を図った時に思った心境ですが、輪廻転生を否定し、現実逃避を肯定する、crmantさんの意図が解りません。それは私が凡人だからかも知れません。でもこのサイトでも選択肢は大カテゴリがあり、小カテゴリがある。ヤフオクについても大カテゴリがあり、小カテゴリがある。自殺心理も大きな「輪廻転生信奉」という大カテゴリの中の「現実逃避」という小カテゴリなんです。その大カテゴリがナンセンスとおっしゃられるのならば、それで結構。小の部分の「現実逃避」にだけ目を向けてください。そうなれば、もうcrmantさんが選択した心理学のカテゴリも間違っています。哲学に移してください。これに対するお礼コメントや補足は要りません。

crmant
質問者

お礼

輪廻転生を大なる希望とした小なる事実、とは、「不可知である」ということです。 いくら輪廻について考えても自殺に対しては全く創造的ではないのでナンセンスだと書きました。 これらを返答しないことは小なる事実を見捨てることになりますので返答しましたが、サイトをよく理解しておらず、議論によってより核心に迫れるのであればそれでよいと考えておりました、すみません。

noname#140269
noname#140269
回答No.3

文豪と呼ばれる方々には「変人・奇人」が多いのもまた確かです。 ●芥川龍之介 = 自殺の遺書に、実の子供達に向けて「この我が人生の戦いに敗れし時は汝らの父の如く自殺せよ」と綴っています。要は人生に行き詰ったら自殺しなさい、と子供に向けてメッセージを残しているんです。 ●太宰治 = 隙あらば自殺を試みる「自殺志願」心理の持ち主で、川に身を投じ心中したのも、その心理状態が作用しています。 ●川端康成 = 上記の様な言葉を残している、これも「自殺志願」心理の1つです 川端の心中まで察する事は出来ませんが、仏教の教えでは、『人間は生きてる時よりも死んだ時に、初めてその人の価値が判る』と言われます。つまりは「葬式にどれだけ人が集まるのか」で生前の人となりが判るという事なんです。人間の価値は死ななければ判らない、というのは確かに的を得た教えだと思います。川端の心中にはそれがあったのではないでしょうか。自殺すると、人間は「神格化・伝説化」します。「乃木希典」「岡田有希子」「マリリン・モンロー(自殺と仮定します)」、皆そうです。 自殺者の心理ですが、やりかけのゲームを初めからやり直す、所謂「リセットの心理」が働いているんです。自殺志願者の大体68%が「輪廻転生」を信じています。今の現状をかなぐり捨てて新しく生まれ変わりたいという意志です。淡々と書いてる私ですが、私も実は「自殺願望を伴う抑鬱・躁鬱病」です。過去に4回自殺を図っています。その時の心境はまさに、輪廻転生の心境です。自殺願望の根本原因から解放された今は、自殺したい、という考えは以前と比べてもかなり薄らいでますが、左腕は過去の自傷行為で傷跡だらけです。(因みに%の数値は私が心理学を専攻してた20年前の数値です) 「人に愛されているうちに自殺するのがいい」という川端の言葉は、リセットの心理とは明らかに違います。自我の欲望です。 変な言い方になりますが、自殺を成就できた人の心境は人それぞれです。それは本人に聞いてみなければ解らない事です。ただ共通して言える事は、「逃げてしまいたい」という「現実逃避」の願望が根本にある事は間違いありません。

crmant
質問者

お礼

抑鬱である回答者さんには言いたくはないのですが、“輪廻転生”はあまりにナンセンスです。 ひとつだけ書かせてもらうと、そういった宗教的な考えは大なる希望のために小なる事実を無視した結果です。 私は小なる事実についてのみ質問させて頂きたく利用させてもらいました。 しかし、その他の記述と見解は参考になりました。 ご回答ありがとうございます。

回答No.2

はじめまして♪ 「愛されている」と思い込んでいるときに、、って事でしょうかねぇ。 私の地域は全国でも自殺率が高い場所ですし、実際に近所の何人も、、、、 20年近く昔に父が突然の病死してしまいましたが、私が中高生の頃に近所の方が自殺してしまいましたが、「自殺する人は、死ぬ事しか考えられないような心の病気に成ってしまったんだ。借金なんて誰でもある。額とかじゃなくて、その人はそれがきっかけと噂されているけれど、そんなのはキッカケとか、後から他の人が思うだけ。 自殺を選択した人は友人知人どころか家族にも気づかれないように生活してタイミングを探すようになる。」 と、聞かされたました。 自殺してしまう人は、そういう「死んだ方が良い」といろんな状況を考察し、自己判断で「自殺」が最良の選択肢と考えてしまう心の病気なんだと思います。 たまに、ドラッグや泥酔とか外的要素が助長する場合もあるようですが、それらも「キッカケ」と言いますか、根底の思想の一部が解放されただけだと思います。 私もお酒が好きで、たまに泥酔暴走しますが、後日人から聞くと、他人等に迷惑行為が無いそうですので、一般人なのかなぁ~と、、、 実際に「自殺」してしまう人は、やむにやまれぬ環境の人以外、一般的には「ココロ」の病だと思います。

crmant
質問者

お礼

“こころの病気”ですか… それを言ってしまえば“こころの死人”よりは“こころの病人”のほうがよいということにもなります。 また、上記が“愛されていると思い込む”ことかどうか、は哲学になり長くなりますのでここでは言及しないようにします。

noname#131337
noname#131337
回答No.1

事前に理解出来ない人に説明しても、 きっと理解できない範疇だと思います。

crmant
質問者

お礼

それを言ってしまえば私は理解できていることになります。

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