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イザヤ書53:1-7
- わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
- 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
- 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
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こんにちは、 私はまだまだ勉強不足で、ご質問に満足に答えられる自信はありません。 ただ、ご質問のその箇所がそれは大切なところですので、ご質問の趣旨など確認するだけでも、と思い直し、回答しています。 この預言を聖典に納めながら、なぜユダヤ人はいまだに救世主を待ち続けているか。 繰り返し、繰り返し、”キリストはアダムが犯し、その後私達が犯し続けてきた罪をあがなうために十字架にかかった”という教義を聞いてきたキリスト教徒からみると、Isaiah53はそのものズバリ、疑いようもなく自明な。。。。神の子による自己犠牲が、私達罪びと全てを父である神の元に引き戻してくれた。。。教義の核となるところです。 その見た目には素晴らしさのかけらもなかった。。。我々は、軽蔑され、退けられた”彼”を気にかけることさえしなかった。。。。”彼”への裁きは、実は神からの、我々の反抗への裁きであった。。。。。我々の罪は全て”彼”に転嫁された。。。。。”彼”は我々が癒されるために鞭打たれた。。。。。我々は一人残らず迷子になった羊であり、”主”は我々の罪を”彼一人”に背負わせた。 生け贄の子羊のように、羊がその毛を刈るものの前に無言であるように、”彼”が口を開くことはなかった。(以上聖書の口語訳) 私達の知るキリストの最後そのものです。彼の不可解な行動がパズルでも解くように、不過足なく美しく説明されています。”ああ。。。それであの人は死ななくてはならなかったのか。。。。” これで納得できなければもうどうしようもありません。 しかしまた、それと反対に、その日の暮らしだけで精一杯の、虫けらのような人間の脳みそをどう使ったら”神の子羊の犠牲”の本質を理解できるのかわかりません。不可解で、神秘的で、不公平だ、というのがもうひとつの本音です。 ですから、キリストはいなかったことにしてしまうユダヤの方々の”現実的な”見方も想像できないわけではない。 でももし我々人間が生き方を本来的に選ぶことができるのなら、私はどちらを選ぶのか。。。 それは、もう間違いなく、神との仲直りをし、そして、いつの日か、血の道をわずらっていた婦人のように、そっとイエスキリストの外套を後ろからなでて幸せを感じる、そんな日が来るかもしれない。。という”希望”を選ぶ私です。 答えになっていなくて申し訳ありません。以上です。
お礼
ちゃおぽるぽさん ふたたびのこんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。おっしゃるところ ごもっともだと思います。 たぶんいちばんの問題は わたしたちの《のぞみ》と現実主義とがまじわるところでしょうか。 まじわりといった生易しいものではなく けんかをし戦争になっているのかも知れません。 ★ それは、もう間違いなく、神との仲直りをし、そして、いつの日か・・・ ☆ こういったかたちある希望は 欧米人はすでに過ぎて来たのだと その昔おさなかったころにはわたしは思っていました。思いこんでいました。ところがヨーロッパ人は 例のナチスを出したことで自信をまったく喪失してしまったようですし アメリカ人はわるいですが――このあいだ誰かも言いましたが――単純すぎます。いわゆる原理主義は幼稚すぎます。ティーパーティーがお好みなら ゆっくりじっくりとお茶を味わっていただきたい。沈黙――あるいは ゆづりあい――ということを お茶をたしなみながら心に刻み込んでもらいたい。 と言いたいことを言ってしまいましたが アメリカには――そして聖書にも――日本人のこころが根づくといいでしょうね。 どうでしょう? わたしはこれからとしては キリストのキの字も言わないでキリスト・イエスの心があふれている世の中を夢見ていますが いかがお考えになりましょうか? ちょうど今べつの質問で 次の言葉をおそわりました。 ▼ (ヰキぺ:恩送り) ~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E9%80%81%E3%82%8A 「恩送り」と意味が相当程度に重なる別の表現が古くから日本人にはしっかり定着している。『情けは人の為ならず』というものである。 『情けは人の為ならず』とは「情け(=親切)は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に良いことが返ってくる(だから、ひとに親切にしておいた方が良い)」という意味の表現である。 「恩送り」や「情けは人のためならず」といったモラル・常識は、各地の人間社会が古くから持っている良識のひとつ。類似した考え方は、日本以外の国々、様々な国・共同体にも見られる。英語では A kindness is never lost (親切は決して失われないので実行しよう)と表現している。 ただし、現代の先進国などでは人々が、こうした良識やモラルを忘れがちになり、極端に利己的で近視眼的になる傾向があることや、それが社会的に見ると様々な害を引き起こしていることはたびたび指摘されている。 そのような状況の中、近年、英語圏では「恩送り」に相当する概念が、Pay it forward (ペイ・イット・フォーワード)の表現で再認識されるようになった。 Pay it forward or paying it forward refers to repaying the good deeds one has received by doing good things for other unrelated people. この "Pay it forward" をテーマに小説『 ペイ・フォワード 可能の王国』が書かれ、この本のアイディアをもとにペイ・イット・フォーワード財団が設立された。この財団は学校の生徒、親、教師に、この Pay it forward の考え方を広める活動をしている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ アメリカにお住まいとうかがいましたので 触れてみました。いかがでしょうか? キリスト・イエスのめぐみは その垂直のものが同じ内容として この水平の恩送りに移行していませんか? そして少しは日本人のこころだと胸を張って言ってもいいのでは? 弱腰外交にもこころがあるのだと。