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烏帽子子と烏帽子親の関係について
烏帽子子と烏帽子親の関係について 関東の田舎に住んでいます。 以前祖母が、近所に住む遠い親戚に当たる一家(姓は同じです)について、烏帽子子だとか何とか言っていました。 昭和のころまではその一家がうちに餅を持ってきて半分は持って帰らせるというしきたり?があったそうです。 調べてみると、元服するときに何たらで武士のしきたりとか……書いてありましたが、少なくともうちは江戸時代は庄屋や組頭をやっていて、その後も農業をやっています。 そこで、烏帽子親と烏帽子子の関係やそれぞれの身分、その役割について教えて頂けませんか。 よろしくお願いします。
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烏帽子親とは、あなたが既に調べたように、武家社会で男子が元服する儀式の際、烏帽子をかぶらせ、元服する男子に烏帽子名(幼名を大人の名に変える)をつける人で、元服親ともいいます。 元服した男子、つまり烏帽子子は、烏帽子親とは自分の親と同等、あるいは親以上に堅い絆で結ばれるとされているので、烏帽子親には、親が仕えている主人、本家の家長、親の親友など、信頼している人を選びます。 ご存知とは思いますが、元服はの男子が成年となる儀礼で、15・6歳ころから行われ、幼名を大人の名にし、髪形を大人の髪型にするなどしました。 余談ですが、烏帽子親は烏帽子子に対して公私共に面倒を見ますが、口出しもします。 また、烏帽子子は、烏帽子親に対して自分の親と同等に、ときには親以上に礼節・儀礼を尽くします。 この風習は奈良時代から公家で行われていましたが、平安中期ころから武士が台頭し、武家では公家に倣って行うようになり、江戸まで続きました。 江戸も中期以降になると、武士より経済力をつけた豪農や豪商があらわれ、殿様に貢献した見返りに名字帯刀が許されると、公家・武家の風習を真似て元服のようなことをしたのです。七五三もその一つです。 以上が、烏帽子親、烏帽子子の概略です。 あなたの家柄は、豪農だったので庄屋となったのでしょう。そして名字帯刀を許されていたので武家のように烏帽子親・烏帽子子などを決めて元服のような儀式をしたのでしょう。 それらが、あなたのおばあさんのころまで行われていたのでしょう。 なお、御餅に関しては、その土地その地方の慣習であって、あなたの土地では、おばあさんのいうとおりのことが行われていたのだと思います。
お礼
詳しく説明して頂きありがとうございます。すっきりしました。