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烏帽子について
平安時代の時代劇を見たのですが、なぜ烏帽子を取られると恥ずかしいのでしょう。また、戦国時代には日常でほとんどかぶらなくなったのはなぜですか?教えてください。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>平安時代の時代劇を見たのですが、なぜ烏帽子を取られると恥ずかしいのでしょう。 まず最初に知っておいて欲しいことは、朝廷や公家などは、「素顔」を見せないことが「礼儀」でした。 (1)特に、女性は、顔全体から襟足にかけて「白粉」を塗り、その上に「眉毛」を書き、口元では「紅」を塗りました。 (2)男性も、基本的には、女性と同じように「白粉」に「眉」「口紅」でした。 戦国時代の今川義元も公家の血を引いていましたので、顔面は「白粉」で化粧をしていました。 (3)江戸時代でも、例えば、将軍家で公家の娘を正室などに迎えると、正式には、先に書いたように「白粉」「眉書き」「口紅」でした。 (4)現代のTVなどで放映される時は、そうした「本当の?」顔形(「白粉」「眉書き」「口紅」)を再現してしまうと、配役のキャラクターが失われるため、「素顔」で登場しています。 (5)源氏物語絵巻などを見ると、特に、女性は、すべて「色白」に描かれていますよね。 さて、そこで本題。 朝廷や公家が身体を見られることが「失礼」に当たる・・・ 従って、頭髪にしても、常に、公の場では、髪も隠す。絶対に人前では自らの身体を見せないのが「礼儀」とされていましたので、「烏帽子を取られる=丸裸にされる」・・・。 さらに、朝廷などで官位を外されると烏帽子の着用ができなくなる・・・つまり、庶民と同じになってしまう。 これらから、烏帽子を取られると(丸裸と同じで)恥ずべきこと、と、されました。 しかし、面白いことには、この「帽子を取られる=はずかしめを受ける」が現代でも残っているのですよ。 学校の運動会などで「騎馬戦」がありますが、相手の帽子を取る、そして、取られた方は、その場で「騎馬」を崩して「負=恥ずかしい」が、いまだに続いていますよね。(まあ、鉢巻を取る場合もありますが・・・)。 >>戦国時代には日常でほとんどかぶらなくなったのはなぜですか? 戦国時代に入ると、「戦」の明け暮れで、烏帽子などを被って「優雅」にしていられない時代となりました。 極端に言えば、常にどこかで戦があり、敵の刀や槍、鉄砲などから防御するには、「鎧(よろい)」「兜(かぶと)」で身を守ることが必要でしたので烏帽子を日常的に着用することが廃れました。 ・・・そんなに「優雅」にしていられない・・・。 ただし、朝廷などに赴く時には、「正装」として「直垂(ひたたれ)」や「烏帽子」を着用しました。 しかし、戦国時代以前の源平合戦絵巻などを見ると、それぞれの「官位」または「自己象徴」として烏帽子を被って戦っていますよね。 烏帽子についてのサイトです。 http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/headgear/eboshi.htm#1
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- sosdada
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「恥ずかしさ」などの「感性の基準」は、時代や地域といった「文化」によって作られます。平安時代に山田優がタイムスリップしたら、口と目の大きな化け物顔でしょう。現代の女性が、化粧をしないで人前に出れないというのと同じで、「そういうものだった」としか言いようがありません。 烏帽子には大きく分けて二種類のかぶり方があり、揉み烏帽子という、普段着感覚のかぶり方は、武士政権の鎌倉時代以降は、兜をかぶるときにまげが邪魔になるので、前頭部から頭頂部を剃るようになり、それが一般化しました。戦国時代でも、武士が兜をかぶるときは、髷を切る時間の余裕があれば髷を切っていました。 烏帽子は公家の風俗なので、武士政権が強くなるにつれて、武士は公式の場以外ではかぶらなくなりました。公式の場でかぶるのは、公家のまねをして権威付けをしたかったからです。浅野タクミノカミも吉良コウヅケノスケもあの時かぶってました。 庶民がかぶらなくなったのは、鉄器の刃物の普及により、髪を短く切ったり剃ったりすることができるようになったことが理由として大きいでしょう。それまではロン毛を頭の上で束ねるしかなかったのです。
お礼
丁寧なご説明ありがとうございます。