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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「日本書紀」景行天皇記の中に、大分県の土蜘蛛討伐の記述があります。)
日本書紀に記述された大分県の土蜘蛛討伐と神社の不思議な関係とは?
このQ&Aのポイント
- 「日本書紀」景行天皇記には、大分県の土蜘蛛討伐のエピソードが記されています。稲葉川の上流での戦闘や三神への祈りなど、古代の戦いの様子が描かれています。
- しかし、不思議なことに、この土蜘蛛討伐を記念して祀られている三神の神社は、戦いが行われた場所からはかなり離れており、さらに位置も離れています。戦場から遠く離れた場所で戦中に祈りを捧げることになった理由には不明な点があります。
- 現代では真実はわかりませんが、これらの神社を参拝すると、古代の戦いを感じることができるのかもしれません。古代の記述が事実かどうかは別として、その神社には歴史の一端が刻まれていることは間違いありません。
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質問者が選んだベストアンサー
「日本書紀」の景行天皇の九州遠征は、「古事記」では皇子のヤマトタケルの業績に組み込まれてる範疇ですよね。「古事記」の方では景行天皇自身の遠征は無かったかと。 実際に該当するような遠征が行われたのかどうかはわかりませんが、史実そのものをそのまま記した記事かどうかというと疑わしいかと。じゃ、何のために記事があるのかというと、土蜘蛛討伐そのものじゃなくて三神に祈ったという方がメインなんですね。 これは何故かというと、要するに朝廷に従う有力豪族たちの祖先神を建国神話に組み込むのが目的なのです。建国神話に組み込むことで、この豪族はこういう由来がある由緒正しい血統だと国家が認めるわけです。したがって場所が離れてるとかそういうことは関係ありません。
お礼
九州の有力豪族が、どのようにして朝廷に組み込まれたかの理由を述べているわけですね。 その有力豪族が蟠踞していた地域が、三神が祀られている神社になるわけですね。 ありがとうございました。