※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖徳天皇説。)
聖徳太子は聖徳天皇だったのか?推古天皇の陰謀による政界改革とは?
このQ&Aのポイント
聖徳太子は一度天皇に即位していた可能性がある。推古天皇の陰謀により、息子の竹田皇子を即位させようとしたが、彼が死去したため太子が政界に復帰し、独裁的な政界改革を行った。
聖徳太子は新羅討伐隊を結成し、朝鮮半島に軍隊を派遣しようとしたが、失敗に終わった。その後、太子が天皇位を剥奪され、闇に葬られてしまった。
太子の死因については諸説あるが、古代史特有の暗殺の可能性も考えられる。日本の歴史では改革派の権力者が暗殺されることが多く、太子もその一人だったのかもしれない。
聖徳太子は、一度天皇に即位しているのではないでしょうか?
推古天皇の陰謀?により、息子竹田皇子を即位させようとしたが、死去。
第一候補者、聖徳太子は政界からはじかれていたが、適任者がいなかった為、急遽政界復帰。
600年からめまぐるしい独裁とも取れる政界改造を行う。また、新羅討伐隊を結成し、朝鮮半島に軍隊を派遣しようとした。(二度とも失敗に終わるが、、、)
摂政ごときが、こんなこと独断で実行できますか?何故蘇我氏は、若者の無謀ともとれる決断に黙って従っていたのか?愛人の推古帝が最高位なら、こんな若者簡単にひねりつぶせるはずなのに。
最終的に聖徳太子は天皇位を剥奪されます。天皇だった事実も闇に葬られてしまいます。
日本書紀では、太子は愛人と自殺したと書かれています。現人神が自殺なんて、あってはならないことです。当時書記を読まれた方は、太子に幻滅したでしょうね。でも、本当にそうなのかな?古代史
特有の暗殺じゃないですかね。
日本の歴史では、改革派の権力者達は、暗殺され、情けないレッテルを貼られることが多い。
太子もそのうちの一人だったのではないでしょうか?
否定、肯定、両意見 待っています。
お礼
まさしく、熱に浮かされて、質問してしまいました。 飯田氏、武田氏、新川氏の文献読まさせていただきます。 学生の頃からの疑問を、俗説を読むことで、拍車がかかってしまったようです。 ありがとうございました。