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普通は「教室に学生がいる」のように、人間を指しているとき、「いる」を使
普通は「教室に学生がいる」のように、人間を指しているとき、「いる」を使いますよね。 文学作品に「すでに三人の客がある」と書いてあります。 どうして「ある」ですか。ほかに人間にたいして「ある」を使う場合は有りますか。
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質問者が選んだベストアンサー
扶養家族「あり」とか配偶者「あり」とかいうのは違いますか? 来客も「あり」でおかしくはないですね。 「どこに」というニュアンスが加わると「いる」を使うことでストレートな表現になりますが、「どこに」のニュアンスを薄めたり、「どこに」よりも別な視点が重要なら「あり」となるのではないでしょうか。 ご質問の例だと「三人」に重きをおいているような感じがします。 「かわいい七つの子があるからよ」という歌詞もありますね。この場合は「山にいる」ことよりも「七つの子がいる」ことを伝えたいのだと思います。
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- cxe28284
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客がいてもその客の動きを意識しないで只存在として数だけを意識する時 「ある」を使うのではないでしょうか。前後の文と関係あると思います。 多くの賛成者がある。子供が3人もあるんだって。この場合は英語のhave に似た感覚だと思います。
- ucok
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70年以上前の作品だと文法や言葉遣いがかなり違いますので、古い作品なら、そんなもんだなと思っていればいいです。
- marisuka
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おもしろそうなので考えてみました。 確かに「今日は来客があった」などと、客の場合は「ある」が使えますね。「すでに三人の客があった」は「客がいた」でもいいはずです。でも、「先客があった」はなにも変じゃない。 生物は「いる」、無生物は「ある」が原則です。ならば客は無生物なのでしょうか。いえ、きっと客は「無生物扱い」なのだと思います。 呼ばれた人がそこにいることや来たことを「現象」として捉えている場合に「ある」を使う、という考えはいかがでしょうか。 他の方の回答が楽しみです。
- toganakute
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前後の文がわからないので推測ですが、 「すでに三人の客の(姿が)ある」 このように括弧内の単語が抜けているだけでは? 文章をより美しく、あるいは簡潔にするために、単語を省略したり指示語に置き換えたりなどは時折見かけますよ。
- E-1077
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前後の言葉が抜けているだけではないかしら? 「すでに何かしらを体験した三人の客の例がある」など・・・・。 「いる」は居るですが、「ある」は「有る」か「或る」もしくは「在る」などにも変換されるように存在の意味も含まれるので、作者の意図も分かりませんか?