• 締切済み

私という人間について、すごく悩んでいます。

私はまだ社会で 働いたことはないのですが 普通じゃない仕事以外、就いたとしても、客のために頑張ろうとか思えないし、努力するのは「怒られず、無難に」やるため。仕事を通して社会に貢献する気がない。それにまず仕事が嫌。自分の時間なくなるの嫌だし。 でも、何故か趣味に関しては、それで人を喜ばせたいと思っている。音楽、絵、写真などの芸術作品を見て頂いて、非現実世界にいざない、心をいやしてもらおうと考えている。感謝の気持ちもごめんなさいの気持ちもちゃんとある。涙を流せるだけの感情もある。 私は、どんな人間なんだろう。すごく矛盾している。 仕事をちゃんとやらないのに 自己表現や、仕事抜きにした「人間」としては結構真面目。 おかしいと思いませんか?

みんなの回答

回答No.8

趣味がそのまま仕事になればいいね。 ただ、趣味じゃやっぱり生活が出来なくなって、やりたく ない仕事をやらざる負えなくなったらだけど・・・ 本心はどこにあったとしても、仕事をして対価を得るとい う権利には、仕事という義務があることを忘れちゃいかん よね。

  • kaiyukan
  • ベストアンサー率15% (482/3140)
回答No.7

普通の人間って感じです 趣味は好きな事だからですよ 自分の作品は見せてあげるのではなく、見てもらう側です 見てもらえて嬉しいですよね?自分の分身、子供みたいなもんですから。 だから、感謝や謝罪の気持ちは当然ある訳です あとは職業にもよるでしょう 看護師などになったら、 苦しんでる人見たらこの人の為に頑張ろうと思えるのでは? だから医療系などは、やりがいのある仕事に分類されやすいですね 普通の仕事だと、そういう実感が湧きにくいものです 私も、ただ同僚に迷惑かからないよう、こなす事だけですね 基本、金貰うためです

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.6

仕事には「天職」と「適職」ってやつがあるらしいですよ。 天職は、やっていて楽しくて仕方のないこと。利益とか関係なくやりたいこと。 自分も満たされて、人にも喜びを与えられる仕事。 でも、そういう仕事はだいたいがお金にならないから、天職だけでは生活できないのが普通。 一方、適職は、生活するための仕事のこと。 喜びとかやりがいとかを持てる物とは限らない。生きるためにすべき仕事。 この二つを混同するとややこしいです。 別々に考えて、適職をこなしつつ、余裕が出きた所で趣味的に天職するのが賢いとなります。 質問者さんは、きっと芸術的なことが天職なんですね~ でも、今の時代はお金がなければ生きるための食料も、住む場所も確保できません。 だから、適職は必要です。ちゃんとやる必要なし。怒られたくないから、無難にやろう…で全く問題ないんです。 問題なのは、天職的な要素を、適職に求めてしまい「仕事をしない」ことです。きっと質問者さんは大丈夫ですね。 自分の天職に気づく人は、そんなに多くありません。素晴らしいことですよ~! 私も自分も天職…早く見つけたいな~w

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.5

>仕事をちゃんとやらないのに 自己表現や、仕事抜きにした「人間」としては結構真面目。 おかしいと思いませんか? 別におかしいとは思いません。 「仕事をする」ということは、「生活するうえで対価を獲る」ということで、公務員だろうが、医師だろうが、会社員だろうが、政治家だろうが同じ事。 要するに、生活するのにお金に困らなければ、仕事をする必要もない。それだけ。 また、多くの趣味を持つという事は、その趣味を活かして教室などを開き、お金を得るということも出来ると思います。 絶対多に行く必要はないので、じっくり考えると良いでしょう。先ず、一人の人間であるという事をしっかり認識した上で、今後、どうするというよりも、どうしたいのかを自問自答しましょう。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.4

【私は、どんな人間なんだろう。すごく矛盾している。 仕事をちゃんとやらないのに 自己表現や、仕事抜きにした「人間」としては結構真面目。 おかしいと思いませんか? 】 別におかしくはないけど、ただの世間知らず、もの知らずなだけです。 水道はひねれば水が出る。 スイッチを入れれば、明かりはつくし、冷蔵庫は開ければ何か食べるものはある。 そして、ご飯は用意されて、なんだ、今日はたいしたおかずじゃないなとか、ふつうに毎日思うわけです。 そして、明日は何を着ていこうとかの、自己選択が常に許されると思っている。 自分に施されているものは当然に、そこにあって、あたりまえだという環境をどうやっても何も考えてないからに過ぎない。 ゴミはね、捨てるより、ゴミになるまでの過程でたくさんの人の’汗’として最終形としてあるということを あなたが知らないだけだし、それを知りたくもないし、自分は特別だと【ごみも捨てずに済む人間】と思いたいだけのこと。 自分が支えられているように、誰かを支える役割を負うことを、めんどくさいと逃げたいだけの理由です。 そして、最後はあなたも、人生を終えての、人間のゴミです。 これは誰も同じ。 あなたがどんなゴミになるまでの過程を経てきたかは関係なくね。 降った雨がいつも、十分に水道から出てくる。 何の不思議もないでしょうけどね。

noname#161756
noname#161756
回答No.3

皆さんそうだと思いますよ。質問者さんは人を喜ばせるのが好きなんですね。

  • tomosin
  • ベストアンサー率41% (13/31)
回答No.2

NO.1さんに反論するような文になるんですが… 確かに自分の時間はいくらでも欲しいですけど、 中には高校卒業してエスカレーター式に何の疑問もなく仕事に就いて働いている人もいるわけですよね。 所為、みんなが働いてるからとかそういう感じですんなり受け入れてる状態です。 でも中には、みんながそうなのになんで自分は働く気になれないんだろう?と 思い悩む人もいるわけです。 仮に学校でも、不登校になる子もいるわけです。 みんな、「学校なんてめんどくさい」と思ってるって言い聞かされて登校するよう促されますが、 でも「嫌」と思う気持ちの度合いなんて、みんな人それぞれ違うわけですよね。 現実を見てもらえればわかりますが、登校できないほどに「嫌」だと思っているその事実が答えです。 みんな嫌とはいえ、本当に歯くいしばって嫌々本当に嫌々学校に通って、 見るのも嫌な教室、机、先生の授業、書き取り、給食…はまあいいかもしれない、 友人関係、宿題、放課後の掃除、帰宅してるんだろうか?きっと違うはず。 大して嫌だと思ってないから普通に登校できる。 勉強や授業は面倒だろうし掃除も面倒だろうけど、登校しないほど面倒ってわけでもない。 それ以上に友達と会話してたり、勉強でたまに誉められるのが嬉しいとか、 好きな子がいるから頑張れるとか、将来に向けて明確な目的があるから頑張れるとか 人それぞれ、モチベーション(意欲)があるはずなんですよ。 あなたがどんだけ働くのが嫌なのか、自分の時間なくなるのが嫌なのか その気持ちの度合いは文面だけじゃ推し量れないので何ともいえないんだけど、 「気持ち」自体って 数値換算して、誰もが客観的にデータ比較して一目瞭然に違いがわかるようなものではないから あなたのその気持ち自体がどんなものであるかなんて、他人にわかりっこないわけです。 それは、もしかしたらご両親もそうかもしれない。兄弟もそうかもしれない。 ましてや先生、友達なんかにわかりっこない。 更に突き詰めると、比較する対象として確固たるデータが見れないわけですから、 あなた自身も、自分の気持ちがどれほどのものであるかなんて実はわからないってことです。 あなたが大学、高校、中学、小学…と幼い環境にあればあるほどに、 それはわかりづらい心の問題としてそこに発生するのだという事は、理解して欲しい。 矛盾は誰しもあるけれど、矛盾で行動できなくなったり思い悩むような… それほどまでに心のバランスが崩れるほどの矛盾を抱えてる人は、そうそういないと思います。 まわりの大人はあなたの事を大して理解しもせず、一般論で諭すものです。 大人って案外バカで、知った気になって勘違いしたり偏見で物事を片付けようとするから気をつけてね。 もしどうしても自分を知りたいなら、独学でもいいから心理学について掘り下げてみるとよいですよ。

回答No.1

経験から言うと、客のために仕事をしても得られることは何もありません。 何か得られるのは一部の社員と、経営にかかわる人達です。 接客をがんばっても、信用を得る以上に信用を失います。 経営に直接関わっていない、会社で働いている人の8割か9割かは会社 ニートのようなものです。自分の心に「必要とされているんだ」と言い聞か せて仕事をします。必要ですが必要ではありません。 皆好きで会社で働いていませんし、基本的に仕事は嫌いで、辛いので趣 味に走ろうともします。 そして娯楽や芸術作品で心身を癒そうとします。 しかしそれに傾向しようとはしません。生活や地位のために働かなけれ ば・・と思い直します。 逆に矛盾していない人間を探すほうが無理です。 自分の心が矛盾の状態にあるからこそ、普通に生きていけるように思え ます。 真面目に、自分の時間をたくさん使って、創造性のあるもの追求していく とその先には、生涯の孤独 か たくさん人々の感動と賞賛 です。

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