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なぜ「スポーツ」(競技)が誕生したのか?

なぜ「スポーツ」(競技)が誕生したのか? どういう経緯でスポーツが生まれたんですかね。 「お祭り」から生まれたのか?はたまた、 「殺し合いの戦争」から生まれたのか? 自由なご意見お待ちします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

なぜ「スポーツ」(競技)が誕生したのか? 色んな必要性から、スポーツ競技が生まれたのだと思います。 質問者さんの考える様に、 「お祭り」から生まれたスポーツも有るでしょうし、 「殺し合いの戦争」から生まれたスポーツも有ると思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84 古代のスポーツと近代のスポーツは、考え方が変わってきていると思います。 ・・・・・ 古代ローマ時代には、「剣闘士」がおりました。 アンフィテアトルム(円形劇場)では、剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられました。 これは、市民の日頃のうっぷんを晴らさせる為に、剣闘士同士による殺し合いを見せて、政治の安定を図ったのではないかと思います。 映画で有名なのは、「ベンハー」の戦車競争や、「グラディエーター」等。 ・・・・・ 中国でも、各地に拳法の達人が多数おり、試合をしてどちらが強いか決めていました。 この場合、試合の結果命を落とす事も多々あり、何があっても文句を言わない旨試合前に念書を書いて試合に臨みました。 しかし、命まで賭けての試合は後々まで遺恨が残り、悲惨な惨劇が繰り広げられたのは想像できます。 近代になり、命を賭しての試合は野蛮だと言う事で、寸止めのルールを採用したスポーツとなってきました。 (先日、テレビでやってましたね) ・・・・・ 剣闘士などの個人的競技だけでは無く、戦争そのものが、集団で行う陣地を奪い合う競技になっていったのだと思います。 ・・・・・ 近代になり、昔からの格闘技(殺し合いの手段)が、ルールが整備され、安全なスポーツとして生まれ変わったものも沢山あります。 それ以外にも、単純に体を鍛える為のスポーツも沢山生まれてきました。 ・・・・・ その時代時代により、また、必要性により、ルールも形態も変わっていったのでしょうね。 こうして考えると、現在のスポーツが、どこからどうして変わってきたものか、色々思いを巡らすのも面白いですね。

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  • kadowaki
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回答No.6

「スポーツ」(競技)にしろ、芸術にしろ、現在では必ずしも現実生活や実利性とは無関係であるかのように考えられておりますが、その発生事情について考えをめぐらせば、いずれも人間生活にとって必要なモノ・コトに還元されることが判明するのではないでしょうか。 その意味でも、オリンピックの競技種目のうち、砲丸投げ、やり投げ等を含む陸上競技は言うに及ばず、格闘技、射的競技のようなものほど、近代になって誕生した、よりルールの煩瑣な球技等と比較した場合、やはり本来的なスポーツの原点に位置すると言えるような気がします。 すなわち、スポーツ競技の原点にあるのは、戦争において自国を勝利を導くために兵士が身体を鍛えたり、武器等を扱う能力を向上させたりするためのトレーニングではないでしょうか。 当然ながら、こうした日頃のトレーニングの目的は最終的には戦争に勝つことを措いて他にはないのですが、そのためにこそ、兵士たちも指導者たちもより効率的にトレーニングの成果を出そうとして試行錯誤したはずで、その結果、もともと戦争に向けての手段であったはずのトレーニングがいつの間にか自己目的化せざるを得なくなったのではないでしょうか。 同じような事情は、魚釣りにおける「キャッチ&リリース」においても認められるわけで、もともとは魚を釣って、人間の食材とするという現実生活のための大切な営為だったはずですが、効率的に魚を釣る技術を向上させようと工夫すればするほど、魚を釣る技術や手腕だけが自己目的化せざるを得なくなっていくのと変わらないと思います。 さらに申し上げると、人間は遠い過去から現在に至るまで、ある意味、もともとは現実生活のある目的を実現するための手段でしかなかったモノ・コトを目的化することによって、文明を発達させ、こうして多種多様な文化なり価値なりを生み出してきたと言えなくもないですよね。 その結果、いつの間にか本来の目的が何だったかを忘れてしまい、あたかももともと自律的な価値が自明のこととしてあったかのように人間が思い込むようになったとき、これを丸山圭三郎は文化フェティシズムと呼んだのではないでしょうか。 私を含めた多くの現代人の脳裏を支配し、その虜囚としてしまったはずの経済的な価値にしても例外ではないですよね。 なお、数年前までライフル射撃関連の掲示板に出入りしていたとき、部外者からの「人殺しの道具を用いてスポーツだなんて、恥を知れ!」という書き込みがありまして、私としては、「なら、あなたは、弓道、アーチェリー、剣道、フェンシング、あるいはボクシング等の競技はもともと何を目的としていたとお考えでしょうか?」と逆に問い返さざるを得ませんでした。

  • k_25th
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回答No.5

スキージャンプというスポーツは元々は大昔の処刑の方法(台)だったと教わりました。罪人は一度だけ当然板などつけずジャンプというか飛びおり、万一それで死ななかったら、一度ジャンプしたことで罪は償ったことになりあとは普通に生活することが許されたそうです。他のスポーツも何か元があったと思いますが頭悪いので忘れてしまいました…m(__)m

noname#194289
noname#194289
回答No.3

古代オリンピックは戦争と密接な関係があるようです。バーチャルな戦闘を儀式にしてオリンピアの神に捧げるというような考えがあったのではないでしょうか。一方本物の戦場に出る前の訓練としても役に立っていたとするといずれにしても戦争に勝ちたいというような動機が根源にあったように思います。個人的な闘争とは少し違う帰属意識のようなものも大きな要素ではないでしょうか。ゴルフやテニスのような個人競技でもスクラブに対する会員の帰属意識がありそうです。

  • sirowan777
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回答No.2

「ひまつぶし」です。 食べるのに精一杯ならスポーツをする余裕はありません。

回答No.1

狩猟の応用だという説があります。

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