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「偽官」について教えて頂けませんか。
「偽官」について教えて頂けませんか。 詩人の王維について「偽官に授けられ、それを恥として云々」という解説がありました。 おおよその見当はつくのですが、辞書にも載っておらず、はっきりしません。 ご存知の方、どういう制度だったのか教えて頂けませんか。よろしくお願いします。
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辞書にない場合は背景を探らねばなりません。 Wikipedia王維…既読ならばskip pls. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%B6%AD [偽官]の語は出ていませんが、略伝の項に安史の乱との絡みの記述があります。 [偽官]は中国語の辞書にもありません、一般名詞としての「偽りの役人」の用法と思います。 さすれば一体王維の場合の[偽官]とは何か。 まとまった記事が見つからないので出典が気になりますが、孫引き覚悟で数点のサイトの記述から抜粋統合して訳しておきます。 唐代の人 姓:王 名:維 字:摩詰。李白=詩仙、杜甫=詩聖、王維=詩佛、三人は鼎(かなえ:辞書を見て)の脚と言われる。取り分け王維は画も音楽も優れていたという。 科挙進士及第後"給事中"の要職にまで出世したが、折悪しく安史の乱に巻き込まれ捕らわれる。安史の乱の張本人安禄山が宰相楊国忠(楊貴妃の従兄)と対立し立場が危うくなり、反乱を起こしたものです。副都洛陽に続き都長安を陥落せしめる。時の皇帝は玄宗皇帝。 さてここからです! 捕らわれた王維は安禄山により[偽官]に就けられるが、このことを後世の多くの人が彼の道徳上の汚点と言う。例えば後世の朱熹の評は「王維は開元(年号)の時代に詩で名を成した、緑山の乱に遭い、賊の手に在って死ぬことが出来なかった、事件が治まったのち幸いにして罰を受けることもなかった。その人は既に話すこともない、とはいえ言葉(詞)は聴く者の魂が洗われるようだし、また文章の調子の衰えも少ない...としているが、呉師道や王世貞などによる評では、褒めつつも非難めいた文言を付してもいる。他の宋・元・明の学者たちも類似のことを言っているが、所詮は無責任な評論に過ぎない。 実際はどうだったか! 王維によると;安禄山が洛陽・長安に入ると、大臣達は籠に閉じ込められた猿、自分のような小役人は主を亡くした犬のようで、恐ろしくて耐え難かった。病気と称して薬を飲んで見せたり、逃亡の準備をしてみたり、その結果賊軍の警戒を強めてしまった。捕まって以来十日以上も食事は抜き、大小便はおしこめられた部屋の中、外の守衛は刀・槍・棍棒を持ち、粽のように巻かれて安禄山のもとへ連れて行かれる。 安禄山は王維に対して職位に就くべく迫る。王維は仏教徒であったので死を恐れはしなかったが、まことに残酷な安禄山は数十名の人々と王維の配下を集め、王維に言う「お前がこの職を受けなければ、毎日一人を殺す。お前が応えず、または自殺などするならば、彼ら全員をお前と共に陪葬する」と。この脅迫の結果王維は偽りの職を受けざるを得なかった。 事件が治まった後、王維は処分されなかったばかりでなく、不思議なことに再々官位が上がる。至徳二年十月大唐の軍が洛陽を回復し投降した300人超の[偽官]を都長安で裁くことになる。2か月後“漢奸条例”が交付され[偽官]達が処分を受ける。王維は最軽微の罰“流放”となるが、結局は粛宗の了解により太子中允の職に就く。この理由は1.忠心を示す詩2.王維の兄弟王jin4[糸+晋]が自分の官位を下げることで王維救済の嘆願をした3.当時の宰相崔圓伸が援助した、ことによる。 ざっと以上が経緯のようです。念のため中国語ですが代表的な材料を挙げておきます。 http://tieba.baidu.com/f?kz=467319874 要点: ・王維にまつわる話の[偽官]は、国語辞典にのるような特定の意味・用法でなく一般名詞。300人以上も居たということは、王維一人に帰結する性質のものではない。 ・[偽官]という制度はない。むしろこの事件後“漢奸条例”が制定され、この時の300人超はこの法で裁かれたが、この法が[偽官]をのみ対象とするか否か不明(私は調べていませんので)。 ・[偽官]の読みは、私は単純素直に ぎかん とします。 *少々横道に入りましたがおおむね全体像が見えると思います、ご参考まで。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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Wikでは後姿という画像ですね。 波乱の多いかたのようですね。 人生の終盤、55歳のときに安禄山の事件にまき込まれ、一時仕えたようですね。 そのときの官は正規とされる支配権力から見れば、偽の官なのでしょうね。 この叛乱つまり盗賊の偽の官に叙せられたという罪でしょうね。 「偽官に授け」という表現ことばはすこし言語上での違和感があります。 「偽官を授け」なら分ります。それを受けた罪ということでしょう。 いわば賊の手助けをした、ということ。賊をジャスティファイする協力をしたという罪なんですね。 以下のところで勉強し、理解しました(わたしなりに納得しました)。 http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_A54_2.html
お礼
お答えいただきありがとうございました。 中国の詩人をWikで調べるという発想はありませんでした。 結構参考になりますね。 ありがとうございました。
お礼
ご丁寧に解説頂きありがとうございました。 「偽官」が制度ではないことは大変勉強になりました。 また、私が一番知りたかった強制の程度にも詳しく触れて下さいました。 かなりの強制があったようですね。これも王維が有能であったが故なのでしょうね。 また、お蔭様で、安史の乱が当時の人々に与えた影響の大きさも改めて知ることができました。