顕正会について
顕正会についてご質問いたします。
私は2009年(昨年)に顕正会に入信しました。顕正会を知っていますか?または入信されていますか?
顕正会は日蓮大聖人を信ずる会で、現在140万人の会員がいます。
怪しい宗教とは違って、お布施だの寄付金だのは一切請求してきません。ただ年に一回12月に一応任意で1万から8万円の公布御供養をする決まりがあり、先ほども述べたようにあくまでも任意なので支払わなくてもかまわないことになっていますが、私が思うには半強制だと思います。それから新聞を一年分として8,500円、これも任意で購読することができます。
顕正会は日蓮大聖人を信ずるものの団体で、創価学会の池田大作を批判しているのです。それは日蓮大聖人の御遺命を守っているのは顕正会だけで、顕正会の目指すところ天皇陛下以下日本国民が皆「南無妙法蓮華経」と唱えるようになって、富士山の麓の天毛ヶ原に国立戒壇が建立され、そこに日蓮大聖人を安置することによって日本が仏国であると宣言するというのです。そのための期限が後十年弱に迫っているそうで、今会員を必死に募っています。会員は朝夕の勤行(お経を唱えること)と、積極的に折伏(会員を増やすこと)をすることが義務付けられています。ただ、必ずそうしなかったら怒られたり暴力を受けたりすることなどは一切なく、表面上は会員は穏やかで、暴言を吐いたり幹部からの圧力があったりすることはまったくありません。むしろ会員自らが、全国に建てられている会館の運営を手伝ったりするほど熱心な信者が多いです。そして毎月総幹部会を開き、会員の体験発表会など(お経を唱えたら奇跡的に癌が消えていたなどの話)を行っております。それは後日、各会館にて放映され、会員が鑑賞しています。そして日曜日には埼玉の本部会館をはじめ、各会館で日曜勤行を行っており、信者で溢れており、会長を会員は非情に尊敬しており、真剣に会長の話を有難く拝聴しています。そこが創価学会とは違うところだと思いますし、創価学会員だった方が、「顕正会のほうが正しい」と、入信されるケースが多いです。会長の話は確かに間違ってはおらず、確かに筋が通っているのです。そのため創価学会や日蓮正宗に対して、「どちらが正しいか、口上対決をしましょう」と、本を出版するほど自信に満ちています。ここまでが顕正会員である私が感じた印象です。
しかし、国立戒壇が建立されることは政経分離の憲法の中において違憲ではないかと、共産党から質問されるのを避けるため、池田大作は独自に「正本堂」という建物を勝手に建て、「これが日蓮大聖人の御遺名である国立戒壇であると偽ったことから、顕正会長がその部分を指摘し続けて、国の意思で建てられた物ではないので、国立戒壇ではないと追及したことにより、日蓮正宗より、顕正会は破門されたのでした。けれどもそれに反するように入信する人が後を絶たず、「顕正会だけが正しい」と胸を張っています。
私の通っている会館は、日曜日にもなると、人があふれかえっているほどの大盛況です。
なので今も信じておりますが、どうしても疑問ばかりが思い浮かび、皆さんのご意見を伺いたく質問いたします。
世界各国には星の数ほどの宗教などの団体があり、どうして顕正会だけが正しい団体であるのか?が証明されていませんし、日蓮大聖人がすべて正しいと証明できるのかが疑問です。世界の中の小さな日本および日本国民にだけ日蓮大聖人がおわしますというのはどうなのか、約700年以上も経つのだから、本当に正しい教えであれば、すでに全世界に広まっていてもよいのではないか?仏教の700年は日にちにして一日二日か程度であるからまだ世界には広まらないのだと会長はおっしゃり
。そして日本国民が日蓮大聖人のことを背き続けた罰として日本は滅ぶのだそうです。
日蓮大聖人を信じないで死んだものは臨終の相が黒く醜くなり地獄に落ちるのだそうです。それではアフリカの奥地の人々やローマ法王の存在はどう説明できるのか?それらは皆間違っていると言います。 それはおかしいのではないのか?毎日朝夕に勤行をしている私はどうしたらよいのかわかりません。
先日も生活費にと思っていた一万円が顕正会に供えられました。なので今は毎食マヨネーズご飯のみです。
今の私の気持ちは、「このまま日蓮大聖人に背かずにして行くべきか?」「もうこれ以上はかかわらないほうがよいのか?」 ただ私だけの意見を述べたままですので、顕正会の言う分も聞かなければフェアではありませんが、どうか皆様のご意見をお教えください。
お礼
『法華五百門論』を早々に調べてみたいと思います。 「才能ある畜生」の言葉があるのか、ないのか。また、その言葉が清涼国師澄観に向けられたものだったのかどうかについても。 調べる足掛かりを教えてくださった貴方様に、心からお礼を申しあげます。 敬具
補足
xNekoNyanX様、早々の御回答有難うございます。 「才能ある畜生」のでどころについて教えて頂き感謝しています。 「国涼大師」は「清涼国師」の間違いでした。お詫びして訂正させて頂きます。 日蓮聖人は、必ず文証をお挙げになり他の宗派のお坊様を批判なさっておいでです。 清涼大師澄観と妙楽大師湛然が『法華経』が一番か『華厳経』が一番かと云う事で宗論をなさり、互いに相手の宗派の良い処を自家薬籠中のものとしたと思っていたのですが、一方的に澄観が盗人のように言われるのは納得がいきません。 中国華厳宗では『大乗起信論』を取り入れ、その伝統は華厳宗四祖の澄観の思想にも受け継がれていますが、湛然は澄観との宗論の後、『大乗起信論』の真如縁起説や華厳宗の生成の観念を自論展開に採用しています。 天台宗の実質的な祖師である天台大師智顗関係の文書には『大乗起信論』の引用例は全くみられず、『天台小止観』にある一箇所の引用例も後世の挿入であることが判明しています。 湛然以降から『大乗起信論』の引用が天台宗側に数多見られる事実から考えて、澄観以降の華厳宗が一方的に一念三千説を盗んだなどと云われる謂れはないと思うのですが。 天台大師智顗の一念三千説は『法華経』方便品の十如是の文だけではなく、『華厳経』の「心仏及衆生是三無差別」という如来と衆生と心の一体観にもヒントを得て構築されている以上は、強ちに後に成立する華厳宗の高僧が『華厳経』と『法華経』の思想の融合をはかったとしても「盗人」とまで中傷される謂れは無いと思うのですが。