- ベストアンサー
創価学会と宗門の関係の現在とは?
- 創価学会と宗門の関係についてお伺いします。学会と宗門は共通の祖を持ち、僧侶や一般信徒が布教活動を行っていますが、なぜ学会は僧侶を差別し、宗門は学会員を批判するのでしょうか?また、宗祖や歴代会長が現状を喜んでいるのかどうかも気になります。
- 学会と宗門は同じ信仰を持ちながら、なぜ宗開両祖や歴代会長の望んだ僧俗和合の信仰が実現できないのでしょうか?お互いに改めるべき点はあるかもしれませんが、尊敬し合い、喧嘩せずに和解することができないでしょうか?
- 日蓮が日蓮宗を作ったのは喧嘩するためでしょうか?宗祖や歴代会長の心を共有できないのでしょうか?創価学会員や宗門の方々の意見をお聞かせください。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
基本的に宗教団体は分裂してゆく傾向があります ある程度大きくなった組織は、その中にちょっとカリスマ性の ある人がいるとその人を中心にして 元の団体から分裂します 分裂した後にカリスマ性のある人物が亡くなったりすると その団体は他の人が率いたり、消滅したりします しかし、教えに差が無くても他の団体との合併という事は なかなかありません そういう意味で創価のもよくあるパターンの1つです 創価もいずれ幾つかに分裂していくと思います そーゆーもんです それと壮年部さんが「何も変わってない」と書かれてますが 祈りの手順や教えなど変わりましたよ というか、分裂前から創価の教えは変わり続けていました ですから入会の時期によって覚えた教えがちがうので 話すと時代時代の特色が出てて面白いです
その他の回答 (1)
- ks5518
- ベストアンサー率27% (469/1678)
創価学会 壮年部の者です。 宗門より破門されてから、創価学会は、特に 何も変わっていませんよ。 ただ、余計なお金がお寺に行かなくなっただけ。 ある意味、創価学会は宿命転換したのですし、 何も不自由しているわけではありませんし、 今のままで良いですよ。 今となっては、皆さん、シャワーを浴びたように サッパリとしていますよ。 宗門による権威的イジメは、何も日顕になって 始まった事ではないのですから。 今更、宗門と一緒になって、和合僧を築こう何て したら、その時こそ、皆さん創価学会を辞めちゃうか 信濃町にデモが起こるのでは。 宗門への上納金は法華講の皆様がいらっしゃるから 大丈夫だと思いますよ。 また、歴代会長先生が存命でしたら、全く同じ様に されていたか、日顕は唸り飛ばされて、宗門にすら いないでしょう。両先生とも、とても恐ろしい先生 だったそうですし、でなければ、戦時中宗門に対し 神札を正面から拒否しないでしょう。 弘安二年の大御本尊は宗門にあるとしても、大聖人 の心は、宗門の中には全く残っていないのですから。 宗門の無い創価学会は、桃源郷の様なとても幸せな 状況ですので、どうぞ今のままにしておいてください。 それが皆様の総意だと思いますよ。
補足
御回答ありがとうございます。質問者より改めて御回答者様に御伺い致します。先ず一般信仰者から見て不自然に思うのは信仰の対象の御本尊が別の宗派(宗門)に有って学会員はコピーだけでも良い…とは普通一般的には理解出来ませんが如何ですか?…。確かに朝晩は家の御本尊に祈るのでしょうが節目には宗門に登山し僧侶に会わなくても大御本尊には御目通りしたいと願うのは信仰者なら当然で無いでしょうか?…。更に僧侶が悪僧なら学会伝統の折伏精神で宗門を折伏し救済し救って幸せにしてあげようとの大慈悲は無いのでしょうか?…宗門も学会もそれ以外の人々も衣や服を脱げば同じ人間で無いですか?…。一般人には一生懸命折伏出来て宗門の人間を救えない…学会はそんなに無慈悲なのですか?…。日蓮の精神はそんな物ですか?…。何時までも喧嘩して気嫌いしてるより全人類の救済を出来るのは唯一学会だけで無いのでしょうか?…。日興は26箇条で『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て…』と有ります。『日蓮が魂を墨に染め流して書きて候うぞ信じさせたもう…』の御本尊を宗門と学会の喧嘩の都合で御目通り出来ないのは日蓮の精神、御心でしょうか?…。 宗門も学会も人間の集まりなら善人も悪人も色々な方々がいらっしゃって当然で、それを宗門だ!学会だ!…と一纏めに言うのは如何な物でしょうか?…。 同じ最高の御本尊を信仰してる者同士の喧嘩を宗祖開祖歴代会長は嘆かれ御怒りと私は思いますが御意見は如何で御座いますか?…。宜しく御願い致します。