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アスペルガー症候群かどうか判断してください。
アスペルガー症候群かどうか判断してください。 私の友人なのですが、アスペルガーを疑って、いろいろなホームページなどで調べたのですが、症状に当てはまったり当てはまらなかったりで、どっちなのか分かりません。具体的には次のような言動があります。 【問題があると思うところ】 ・自分の言動によって、相手がどう思うのかを考えられない。 ・目先の損得を最重要視する。情けは人の為ならずという考えが一切理解できない。 ・人格に関わるアドバイスやダメ出しを一切受け付けない。肯定も反論もせずに黙り込む。それでも責められ続けると、相手を永久にシャットアウトする。 ・気に入った異性には、初対面であろうと構わずに積極的にアピールする。結果、相手には必ず引かれるのだが、引かれたことも分からず、周りに止められるか、相手がその場を立ち去るまで攻め続ける。 ・人の話を遮ってまで、目に見えた物に反応し、「見て!あの看板…」などと言う。 ・1対1なら普通に話せるが、複数人で話すと、何も話さなくなる。 ・過去にいいことをして褒められたことが絶対的な価値観となるようで、同じようなシチュエーションになると、自信満々でこういう時はこうすべきだと言う。 ・自分よりダメだと思う人間を見ると、激しくダメ出しをする。具体的には、遅刻する人・何度言われても凡ミスを続ける人・仕事をサボる人など。 ・自分はダメ人間だなどとネガティブにはなるが、何が原因でそう思うのかを分析せず、改善されない。 【問題ないところ】 ・平和主義であり、多少怒りっぽいものの、時間とともに抑えることができ、他人に危害を加えるようなことはしない。 ・孤独を好まない。旅行や遊びなどに積極的に行きたがる。 ・勉強については、可も不可もあまりなく、興味ある分野の記憶力は多少秀でているものの、それも人並み程度である。 ・販売店で仕事をしており、主に品出しをして、その商品については、お客様から聞かれれば説明をしているそうで、10年ほど続けているので、業務に支障があるほどの問題は無いと思われる。 以上です。ご判断をお願いします。
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(No.10の続きです、非常に長文になり申し訳ありません。 お力になれるか解りませんが、これで終わる予定です。) 大人も子供を授かったからと言って、急に大人になれるわけではありません。 努力した分それを認めてくれる暖かな存在や支えがないと、子供に荷を負わせたり、自分の身代わりのようにして子供の自尊心を傷つける愚かな行為に走ってしまうこともあるんだと思います。 大人が大人を育てることもまた大切なことだと思います。 私は医療に救われました。 No.7さんが仰る例の方は、良い出会いが無かったのでしょう。 否定ばかりされて、行き場のない怒りが子供へ向かってしまったのでしょう。愛情から医療と向き合ったはずなのに、何処で歯車が狂ってしまったのか――悲しいことです。 質問者さんが先ず出来ること、それは、息子の主治医達がしたように、ご友人の能力の把握と伸ばすこと、サポートすることではないでしょうか。貴方は幸いにも、ご友人のことを良く理解できているのではないですか? 信頼の積み重ねから始めては如何ですか? その人の特性を良く知り、良いところは良いと認める。 そして、安易に「駄目だ」という言葉を使わないことだと思います。 発達障害がある人は、繰り返し否定されてきているので、否定される言葉に恐怖を感じている人が多いと思います。 肯定と提案――提案することでどういったメリットがあるのかを説くと、ご友人は頑な態度を説いて、耳を傾けてくれることが少しずつ増えていくと思います。 言葉にするのは簡単ですが、行動することで良い結果を引き寄せられると私は思います。 息子のことを書くとき、私は何時も複雑な気持ちです。 大病させてしまったこと、診察が遅れて後遺症が残り、障害を重くさせてしまったのではないかと済まない気持ちで一杯になります。。 ここで書くのも良いことなのか悪いことなのか何時も悩みます。 でも書くことによって、発達障害に対する悩みや偏見を取り除くことに幾らかでも貢献できたら、息子が病気をしたこと、息子に苦労させていることに対しての報いになるのではないかと思っています。
(No.9の続きです、長くなったので分けました。) 私は何とか周りに追いつかせたくて必死で、声を枯らして息子のお尻を叩くようにして付きっきりで勉強を教えました。 もう、優しく何かする余裕はなく叫びまくりでした。 そうこうするうちに私は段々ノイローゼのようになり、息子は息子ですっかり勉強嫌いになり、あんなに頑張っていた学校の宿題すら嫌がるようになってしまいました。 それで、限界を感じて、小4になって直ぐに塾はやめてしまいました。 普通の勉強法では、やらないよりやった方がマシ。 そのぐらいの手応えしかなかったのです。 これは息子が中学生になった今も悩みです。 今の主治医と作業療法士の先生と一緒に模索中です。 息子は今でも文字を正しく書き写すことが苦手です。 漢字は書き取りしているその先から似て非なる文字を書いてしまいます。間違った文字を繰り返し、こちらが指摘するまで延々と書いてしまいます。 「ここ間違っているよ」と言うと否定されたと感じて激しく怒ります。そして私も良かれと思って言っているのにとカッとして口論になり、二人とも落ち込むのです(息子も我慢強くなったので、今はその様なことは減りましたけれどね)。 息子はそれで、勉強意欲を失うことも屡々ありました。 息子は書き取りそのものが不得手なので、文章を正しく書き写すことも苦手で、黒板の文字を書き写すにも一苦労です。 言葉の表現も独特で、意味は通じても通常なら使わない表現をしたり、言いたいことを絞り込んで話すのも苦手です。それは作文の面にも現れています。 知能そのものは平均より上でも、テストの成績は散々です。 知能から行けばそれなりに良い成績が収められ、テストも勉強した分だけ結果が出て楽しい筈なのに、多動が強いのでテストの点数に結びつかないのです。学校のテストは息子から自尊心を奪っていきます。 息子は最初は学習障害の診断も多動症の診断も嫌がっていました。 でも、今は検査から自分は不得手なことばかりではなく、得意分野が沢山あるのだと解ったり、作業療法士の先生の親身なサポートと励まし、主治医が立ててくれているこれからの治療プランと見通し、担任の先生の理解を得ることが出来ました。 発達障害を恥だと考えて、職場にもひた隠し、治療を否定していた夫の考えも変わりました。 これらは診断を受けた結果のことです。 理解して貰うには診断が必要なこともあるんです。 診断名が無ければ、息子は唯の怠け者、無気力でやる気のない子と学校関係者には思われるのがおちだったでしょう。息子も以前は、 「何故自分は人が出来ることが出来ないのか? どうしてやってもやっても駄目なのか? 努力が足りないのか?」と周りからも責められ、駄目な人間だと自らも烙印を押すばかりだったので、人から訂正されることを忠告とは思えずに、否定と捉えていたんだと思います。 診断名がないままでは、誰も息子の悲しみも苦労も解りません。 診断を受けることは一息つくことでしかなく、そこから後にも苦労が続くと言うことが事実であっても。 No.7さんの仰る親御さんは、これまで周囲の理解を得ることが出来なかった、または、得ることを放棄して、お子さんに責任をなすりつけてしまったんですよね…きっと。 理解のない周囲の大人達に駄目な親だと決めつけられ、傷つくばかりで、その重荷を背負うことを止めたくて弱音を吐いてしまったんだと思います。 私も息子が大病したときは、看護婦に罵られ、夫にも罵られ、息子が苦しむさまに このまま亡くなるんじゃないかと胸が張り裂けんばかりで、代われるものなら今すぐ代わりたいほどなのに、その上まだ責められるのかと、母親なんて辛いばかりだと孤独と絶望を感じていました。 けれど、紹介先の病院の看護婦さんは違っていました。 「お母さんが息子さんの病気に気が付いたから、息子さんの病気はここまで軽くて済んだんですよ」 ―その言葉がなかったら、私は親であり続けること、その責任から逃げ出したくなって息子のお見舞いに行けなかったと思います。 あの言葉があったから、息子が元の明るい笑顔を取り戻すこと、自分には息子を守る力があること、サポートして下さる医療従事者の方々の愛を信じることが出来たんだと思います。 (すみません、収まりきらなかったので後もう一度だけ投稿させてください。)
No.3です。 アスペルガー当事者の家族ではありませんが、発達障害の息子を持つ以上、立場的には近いと思いますので再投いたしました。 診断…それで全てが終わるわけではありません。 これは、それまでの悩みについて一息つく場でしかなく、本当に辛いのは、ここから先だと思います。 私が息子がLD(学習障害)ではないかと疑うきっかけになったのは、息子が小学校に入学して間もない、ある日の出来事でした。 学校に届け物があったので職員室に立ち寄った帰り、息子がふと気になり休み時間を利用して教室に足を運ぶと、子供達の姿と それぞれの机に伸び伸びとした文字が躍った自己紹介の紙が置かれていました。 私はそのとき、「もしや…」と不安になりました。 「でも、あれだけは書かれているはず。間違えていたとしても、あんなに幼稚園の先生が熱心に教えてくださって繰り返し練習したんだもの」 そう思って、息子のもとへ向かうと…。 ――紙が真っ白なんです。 どの子も 好きな食べ物、好きな遊び、大切にしているもの、思い思いに書いているのに…名前すら書かれていないとは。 ショックでこちらの頭の中も真っ白です。 でも、息子は私のそんな様子に気が付いて、済まなそうに恥ずかしそうにしています。 「どうしよう…。でも、可哀想だ。あんなに練習したのに書けないなんて…」そう思うと悲しくて泣けそうになりました。 息子が幼稚園に通った二年間、先生方が園児のみんなが卒園までに自分の名前を書けるようにと、カードの一枚一枚に一文字ずつ子供達の名前を平仮名で書いたカードを単語帳のようにして、リングで留めて手作りして下さいました。 そして、作品に自分で名前を書けるようにと、文字の指導も熱心にして下さっていたのです。 でも、何時も息子の文字はフニャフニャで、どの文字も微妙に違います。一文字なのに二文字に分けて書いていたり、ここでは実名が解ってしまうので出せませんが、読めたとしても有るわけの無い、不思議な名前になっていました。 これらは通園中も気になっていたので、家でも練習をしたのですが、息子は左利きのためか鏡文字をよく書いていました。 親から見れば、適当に書いているようにしか見えなくとも、本人は一生懸命、精魂込めて書いていたのですね。 訂正すると、激しく怒って嫌がりました。 悔し涙をながしているときもありました。 そうなると、頑なに文字を覚えるのを拒否して、練習を放棄してしまうのです。 長姉も左利きなのですが、字が汚いと父親に叩かれて泣いていたという話を私は次姉から聴いていました。 また長姉は他にも父から「ぎっちょ」と呼ばれたことを苦に、無理矢理右利きに矯正した過去に対してトラウマを持っていました。 それらの教訓があったので、私は息子が下手な字を書いても叱るまい、無理矢理利き手を矯正することは決してするまいと、出来るだけ優しく文字を教えました。 ――でも、駄目なんです。 いくら練習しても、息子は文字の形を正しく捉えることが出来なかったのです。 馬鹿だ馬鹿だと母親からは繰り返し言われてきた私でしたが、幼稚園の年長の5歳になったときは、いくら勉強嫌いでも教えておかないと不味いだろうと考えた両親から平仮名を手解きされ、書き順は怪しかったものの、それ程苦もなく形も読みもマスター出来たので、息子もきっと平仮名を覚えられると信じていました。 「息子は左利きだから鏡文字になってしまい、その事を叱られたと思って苦手意識が強くなってしまっただけ。 間を置いて、関心が出てきたら無理しないで教えてみよう」 そんな風に思いながら、のんびりと断続的に平仮名を教えていました。 でも小学校入学までに、息子は幼稚園時代に覚えたはずの怪しい平仮名までも忘れてしまい、名前を書くという行動すら取ることが出来なくなっていたのでした。 この事実は嫌な予感を招きました。 息子は入園前に大病をして、てんかん特有の脳波を示すようになっていたのですが、主治医からは、それがきっかけで多動症の傾向を示していること、学習面にも影響して勉学に苦労する可能性が示唆されていたからです。 私は直ぐに、このことを当時の主治医(小児神経科医)に相談し、心理の主治医からは年齢的に診断は難しいけれど、学習障害の疑いがあることを告げられました。 そして、診断名そのものよりも、息子の能力の把握と開発、その事に対して二人の医師はサポートして下さいました。 そして医師の勧めもあり、国数の教科の塾通いをすることにしました。
- hopukinzu
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arandoさんがご友人のことを心配なさっているお気持ちは、大変よく理解できます。 しかし、私やpyonkiさん、そしていろんな方々が心理学を勉強し、その世界で経験してきた中で少しでもお力添えできることがあればと思い、ご回答に参加しているのです。 arandoさんが“ブーム"という言葉に過剰に反応なさってますが、本質はそこではないと思います。 もしあなたが本気でご友人のことを心配し、心理療法で良い方向に改善できることを望むのであれば、あなた自身で心理学を学んでみてはどうでしょうか。 心理的診断することの重要性や難しさ、診断によって近親者や当事者がどのように今後の人生に多くの影響を受けるか、この世界で生きてみないと解らないことだと思います。 診断を下すことだけが、当事者の幸せに繋がることではないことが、理解ると思います。 何か説教じみたことを言ってしまい、大変失礼いたしました。
- pyonki
- ベストアンサー率21% (9/41)
再び書き込ませていただきます。 最初に書き込ませていただきましたように、私は発達障害の診断に関わることがときどきあります。精神科に勤務しておりますので、発達障害と診断された方のいろんなケースを見てきたつもりですし、何人かの方とは深くつき合ってきたつもりでもあります。これは余計な一言かもしれませんが、家族にアスペルガー傾向の者もおります。 その上で、私は発達障害の「ブーム」をとても憂慮しています。発達障害に関わる支援が整備されてきたのは非常によいことで、学校などでも発達障害をもった児童・生徒への理解が進んできました。これは、本当に必要なことですので、「ブーム」であろうがなかろうが、これからもどんどん進んでいくべきことです。こういったことは、「ブーム」ということとは別のことで、「ブーム」という言葉で私はそんなことを申し上げているのではありません。 それを踏まえた上で、やはり私は今発達障害がブームであると言わざるを得ない。ブーム的側面があるのです。もちろん、そのブームを起こし、それに乗って必要以上に動いてしまっている専門家にもっとも責任があると思っておりますし、私自身も自分自身がつい患者さんに対して「発達障害があるのではないか」と思うことが増えていることにもっと自覚的にならなくてはならないと思っております。精神医学・臨床心理学分野では、さまざまなブームが起こっては去っているのが正直なところです。「PTSD」であったり、「多重人格」であったり。(ちなみに、これは精神医学・臨床心理学分野だけの現象ではなく、あらゆる分野の学術研究において、さまざまなブームが起こっては去っていきます。)今はそれが「発達障害」であるということは、この分野に携わる専門家の共通の実感なのではないでしょうか。 ブームによって、先に申し上げたように支援の充実が加速されるということは多かれ少なかれあると思います。診断によって救われた思いをする当事者や家族の方々もいらっしゃるでしょう。それはブームの光の面といえるかもしれません。しかし、その陰で、「発達障害」と診断されたことで無用の苦しみを味わっている人が大勢いるということを言いたいのです。私自身がこれまでに出会った例で言いますと、診断を受けてからお母さんに口答えをするとそのたびに「あんたは発達障害でおかしいんやから」と言ってまともにぶつかることもできなかった子、親御さんに小さいころから診断名を告げられ「自分はどこか他の子と違うと思わない?」と繰り返し言われ続け、ある時点からそれに抗議する意味合いを込めて不登校になった子…、子どもに限りませんが、診断が暴力となってさらにその人を苦しめることになる場合も少なくないんです。 アスペルガーと言ってもいろんな人がいるんです。診断をもらって救われる人だけでは決してないんです。そこを、質問者さんも、dtd3567さんも、間違えないで下さい。そして、これも専門家の責任ですが、診断をもらってもそれに対応した治療や支援というのはまだまだ非常に遅れているんです。ましてや、(特に子どもだと)親御さんなど、他の人から検査するように言われて診断がつき、その診断に苦しみ続けることだってあるんです。診断といっても、風邪や胃潰瘍みたいに、治療してすぐに治る類のものではないんですよ。一生付き合っていく診断名をもらうことになるんですよ。言葉足らずで申し訳ありませんでしたが、そういった無用な検査と診断の押しつけが横行していることを、私はブームという言葉で表現したつもりでした。 当事者じゃない人間が、診断を促すこと、検査をすること、診断を付けることは簡単なんです。でも、診断がつくことのメリットに比べて、診断がつくことのデメリットが残念ながら大きすぎる場合が多々あるんです。そして、当事者以外の人間がそれを見極めることは専門家であっても大変困難なことだと私は思います。 それだけに、私は、質問者さんがその方をアスペルガーなのでは?と考えてそれを確かめる方向に動こうとされていることは「ブーム」に乗せられてしまっているように見えますし、とても恐ろしいことだと思っています。診断がついた後の見通しが甘すぎます。 わざわざ診断をつけなくても、アスペルガーの方への接し方をまずご自身が勉強なさって(ブームのおかげで一般書もたくさん出ております)、それを踏まえてお付き合いされてはどうでしょうか。そして、そのノウハウを「発達障害」という言葉を使わずに周りの方々にも伝えていかれては? また、ご本人が何か悩んでおられるようなら、カウンセリングを勧められてもよいかもしれません。あくまでも「発達障害」で行くのではなくて、その方が困っていることを相談しに行かれる、ということです。それで、いくらか生きやすくなるかもしれません。
お礼
再びありがとうございます。 あなたが精神科の先生で、数々のデメリットを見てきたことは分かりました。とても勉強になりますし、考えさせられました。 ただ、先ほどの書き込みで、悪意だけが伝わってくるだの、卑怯な行為だのとおっしゃられたことについて、ただの一般人がネットでたわごとを言っていると思ってスルーしていたのですが、精神科の先生に言われたのだと知ったことで、とても傷つきました。精神科の先生はどんなときでも優しく接してくださると勝手なイメージですが持っていたので、そんな人に激しく罵られるなんて、私はどれだけ酷い人間なのだろうと思いました。それとともに、人を深く傷つけるようなことをおっしゃる精神科の先生がいることがショックでなりません。 ブームという言葉もまた、病気に対して使うにはショッキングな言葉ではないでしょうか。今回の説明により、ニュアンスが伝わりましたが、なお配慮が足りない言葉だと感じてしまうのは私だけでしょうか。マスコミなどで取り上げられることが多くなり、話題が先行し、みなさんが過敏になっているというような言い方をすれば、誤解されることもないと思います。 私も主題と逸れてしまいましたが、先生の書かれていることも、ご自身のプライドを守るような内容がメインになっているような気がします。 こんなことにイライラして噛み付くなんて、私がまっ先に精神科に行くべきだと思えてきしたが、どうか先生にだけは当たらないよう祈らざるを得ません。 ありがとうございました。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
あるアナウンサー。 司会の途中で突然もう1人の司会者の顔を見て「あなた鼻が大きいのね」と言ってしまう。 こういうことが何度も起こって、もう1人のアナウンサーはフォローのしようがなく、一瞬固まっては聞かなかったことにして、番組を進行するしかない様子でした。 その人が司会をやってた番組の映像を見て「この人、絶対ADHDだな」と思いました。 その独走するアナウンサーの名前をグーグルにうちこむと 自動で障害 という文字が出てきた。 二つのキーワードになった列を選んでクリックすると、クリックをすると彼女に関してページがでてきて、学習障害、LD、ADHA <だったようです>という言葉が載っていた。 <だったようです>というのは過去のような印象を受けるが、この障害は消えるということは無いので、<実は>という言葉が省略されていると思えた。 今なら判定されたかもしれないが、その人の時代は<学習障害>という言葉が無かった。 本人も本の中で「私ってLDだったの?」と書いていたそうです。 質問に挙げた問題と思われるもの全部に、そのアナウンサーの特徴が当てはまります。 問題とは思われないとものは最後以外は当てはまり、それを彼女の職業に適応すれば、それも当てはまります。 最近LDという言葉が一般の人にも認知されるようになったので、彼女は学習障害を持っているのではないかと名前が上るようになったわけです。 今の時代に生まれていたら、間違いなくLDとされたと思います。 彼女の子供時代の内容が書かれた本を読みましたが、かなり変わったぶっとんだ子供だったようですから。 彼女の場合ADHDを伴う落ち着きの無いアスペルガー症候群だと思う。 人が敬遠して言わない言葉を相手にそのまま「あなたって太っているのね」「あなたって変」と躊躇無く本人を目の前にして言えるわけですから。 それによって相手が固まってしまいっていることが読めない。 だから相手が固まっていても「どうして変かというと」とまだ喋り続けて相手をずたずたにしてしまう。 「あらあら なぎ倒されちゃいましたね」と助け舟を出して仲介に入った人に「なにが?」とキョトンとしてしまっていた。 悪意が全く無く、感じたままをストレートに言えてしまえるので、対人関係の問題が生じるわけです。 いっときKYという言葉が流行しましたが、アスペルガー症候群の特徴の一つもKY。 人の言葉をさえぎって「見てあの看板」と言ってしまうのはADHDの可能性がある。 普通全部を言わないでも会話できるが、アスペさんは全部を言わないと言葉の裏まで理解しないので、何を会話しているのかよくわからないから無口になるしかない。 絶対的な価値と置くのは普通誰でもそうだけど、他人に自分の絶対価値通りにしろと押し付けない。 アスペルガー症候群の特徴の<融通がきかない>からくるものではなくADHDにより「言わずにはおられない」のも理由の一つじゃないかと。 駄目だしをするのは、ルールと違うことをするから。 しかも、仕事をサボる など迷惑行為に対して気持ち悪さを感じるからじゃないかと。 手を抜く・サボる という負の行為を一緒にやることは、仲間意識を高めますよね。 <同じ穴の狢>は仲間意識を高める ということが、ルールをなるだけ守ろうとするアスペルガーには理解できないこと。 悪人が他の悪人をかばい、正直者が常に損をする という倫理とは矛盾するがこの現実の世界を理解できない。 悪がはびこり腐敗していく不安定な環境に対し、障害ゆえに耐性がいつまでも持てず、不安感で気持ち悪いわけです。 だから批判じゃなくて「気持ち悪いから どうかやめて」と訴えているだけ。 アスペルガーの人は自己評価が低い。 駄目だしを何度もくらいので、自分は駄目な人間だと評価しやすい。 アスペさんのクレームをちゃんと真摯に聞いて改善してあげれば安定した環境となり、「不正は駄目だよ」など不愉快なことは言われくなるのではないか と。 アスペルガーの人が「浮気は駄目だよ」と言い、浮気した人は「みんなだってやっている」と言う。 アスペルガーの人がおかしいんじゃないことはわかりますよね。 融通をきかせられないアスペルガーが悪いんじゃないですよね。 見て見ぬふりをする。 これは集団で生活する上で大事なことですが、人に気持ち悪さを発生させてしまうんです。 それはアスペルガーの人だけじゃあないんです。 アスペルガーの人は、気持ち悪さに対する耐性が低いんです。
- dtd3567
- ベストアンサー率100% (1/1)
アスペルガー症候群かどうか判断と言いましても、 各都道府県に2005年より設置している 発達障害支援センターに相談されるとよいです。 他にも「社団法人自閉症協会」なども存在します。 あと質問者には申し訳ありませんが、 回答者側に理解に苦しむ発言をされている方が いらっしゃったので忠告致します。 発達障害はブームとかそんなものではありません。 アメリカなどの西洋医学の精神分野の先進諸国では 1970年代に大統領より「発達障害」について 認めるようになりました。 正直申しますと、日本は「発達障害」における後進国であり、 2005年にようやく「発達障害者支援法」が施行され、 少しずつ活動が行われるようになりました。 なぜこのようなことを申しますと、 私は12年間情報処理業界で勤務していましたが、 30歳前半で、知的障害のない自閉症、及び、 アスペルガー症候群を含む「広汎性発達障害」と 診断されました。 正直私は嬉しいです。 今まで、幼少時、学生時代などで上手く人間関係で馴染めず、 ストレスの「発作性心房細動」になるまで努力したのに 関わらず、上手く行きませんでした。 なので「発達障害」はその人の個性、方向性を示す 重要なものです。ブームが去ってほしいなんて言う人は 「発達障害者」の日本における現状を 何もご存じないから言っています。 日本に「発達障害」の診断、訓練などを行ってくれる 医療機関、公的機関、NPO法人などは ごくわずかです。 逆に、精神分野に対して大きな偏見を持つ方が 日本ではまだ沢山居て、深く根付いています。 なので、町で歩いているだけでも、 マナーやモラルのない学生、社会人などに 振り回され苦しんでいます。 なので、私が少しずつですが、 多くの人々に「発達障害者」の事、 そして当事者が日本には支援する機関がなく 苦しんでいることを知って頂きたいたいとおもい 活動を進めています。
お礼
ありがとうございます。 ただ、友人のことなので、診察を勧めること自体が、病気を疑っているようで、本人が傷つくと思うのでどうしたらいいかと…。 何か確証に近いものがあれば、他の友人やご家族にも相談できると思って質問したところです。 努力が報われないことが、発達障害のせいだったと分かり、正直嬉しかったとのことですが、私の友人も苦しんでいるように見えるので、もしかしたらそう思うのかも知れませんが、そればっかりは分かりませんので、やはりご家族の方等に相談してみたいところです。 ご自身の体験談まで書いていただき、ありがとうございました。
- Nine_Lives
- ベストアンサー率58% (44/75)
高機能自閉症にしろ、そうでない自閉症にしろ、どこかで区分できるという考えは 心理学ではしません。 強い自閉症から全くそうでないレベルまで、無段階に(スペクトル的に)人の性質は存在し、 問題となるのはその本人が社会適応に問題を抱えて、本人もしくは周囲が苦痛を感じる 場合に限られます。 私も「アスペルガーくさい」ですが(場の空気がその場で読めません。後で考えて しまった、と思うことが多いです)、それはそれで私の個性ですので、それでも お付き合い頂ける人と親しくなり、難しい場合は自分なりの配慮を考えて 「お知り合い」で留めておきます。 そういう「まぁアスペルガーっぽいご友人」をどう捉えるか(そういう奴と流すか、 障碍を持っていると感じるか)、というご質問者様の認識の問題ではないかと、 個人的には考えます。
例え、この場に臨床心理士や精神科医がいたとしても、ネットでは診断は不可能です。 何故なら、アスペルガーの検査は数十分で出来るような簡単なものではないからです。 私はアスペルガーの診断については詳しくありませんが、アスペルガーの人の中には、多動症や学習障害を併せ持つ人が健常者よりも割合が多いと言われています。 私の息子が多動症と学習障害(その中の読字障害「ディスレクシア」と呼ばれるもの)です。 上記の検査は、アスペルガーの検査と内容は殆ど同じだと思いますが、生育歴の問診に始まり、臨床心理士と作業療法士から検査を受け、言語性・動作性IQの検査の他に、目や手の動き、体の左右の重心バランス、利き目、利き耳など細かな検査を受けて、小児神経科医が総合的な見地から診断をしました。 アスペルガーの診断についての詳細は、こちらが参考になると思います。 【いのちのホームページ アスペルガー症候群・いのちのホームページ アスペルガーを主とした発達障害のサイト】 http://www.geocities.jp/johnhealing/ リンク先を開くと、画面左側中央当たりに《アスペルガー症候群の診断》の項目がありますのでクリックしてみて下さい。 こちらは過去にあった質疑です。 http://okwave.jp/qa/q4327415.html http://okwave.jp/qa/q4247844.html?ans_count_asc=1 アスペルガー当事者の方やその方面に詳しい方が投稿していますので、非常に参考になると思います。 また、診断が容易でない理由も解ると思います。 ご質問から受ける印象ですが、アスペルガーを疑うほど その方は困っていないのではないでしょうか。 年齢より幼い印象があるので心配なさったのでしょうけれど、同じお仕事を10年続けて立派に勤め上げていらしゃるのですし、その方自身が普段悲観的になっているのでなければ、何も心配は要らないと思います。 もしも、このご質問が質問者さんご自身のことであり、何か生き辛さを感じていて、きちんとした診断を受けて能力のバランスを知りたいというのなら、検査を受けることに価値はあると思います。 アスペルガーがあると、二次障害から鬱病や躁鬱病を患う方もいますから、受診することで予防の仕方を医師や臨床心理士から学べると思います。 成人のアスペルガー診断は診断できる病院自体が少ないので、何も情報がないところから診断を考えるのなら、最寄りの発達障害支援センターに相談なさると良いでしょう。 【発達障害者支援センター一覧】 http://www.autism.or.jp/relation05/siencenter2008.htm
お礼
ありがとうございます。 私としてはできる限りの具体例を挙げたつもりですが、簡単に判断できないことなのだと理解できました。
- pyonki
- ベストアンサー率21% (9/41)
ご友人がアスペルガーかどうかをここで人に教えてもらってどうするのですか? 私は職業柄、アスペルガーの診断にかかわることがしばしばあるのですが、それがたとえ本人さんやお母さんなどの希望からなされたものであっても、その診断がその後本人さんの役に立つ場合はそれほどないように思います。治療といっても薬を飲んですぐに治るような類のものではないし、もともと持っているそういった傾向を踏まえてどう生きやすくなるか、というようなゆっくりしたものです。 それよりも私はアスペルガーの診断を受けた子のお母さんなどが「やっぱりこの子はおかしかったのね」というような感じで子どもをどこか突き放して(障害を持った子だから違うのよというような目で)見てしまうようになることのほうが問題だと思っています。どんなに子どもを愛して大事にしておられる親御さんでも、「診断」を巡ってはそういったことが起こってしまう。今発達障害というのは一種のブームになっていますが、そのせいで起こらなくてもいいつまらないことが起こってしまっているのが残念でなりません。 あなたが、このサイトで血縁関係にあるわけでもない人の診断をつけようとする意味がどうしてもわかりません。質問文からはその方に対する悪意だけが伝わってきます。もしその方に対する自らの悪意を正当化するためにこの質問をされたのであれば、それはとても卑怯な行為だと思います。 これを読ませていただいて、診断をめぐっては本当に慎重にならなければいけないなと再確認させられました。早くブームが去ることを祈ります。
お礼
ありがとうございます。 自らの悪意を正当化するために…はそうなのかもしれません。深く反省しました。 でも、昔はイライラすることもありましたが、10年以上付き合ってきて、どうにか状況が改善されないものかと常に思っています。ハッキリ言って損をしてしまう性格だし、本人もそれに本気で悩んでいるのですが、解決策を導き出せず苦しんでいるように見えるからです。面と向かっては言えないようで、コミュニティサイトに書き込んでいます。 アスペルガーと診断された人の中には、そう診断されたことで心のモヤモヤが解消され、前向きに考えられるようになった人もいるとのことなので、もしそうであれば、他の友人や、できればご家族の方とも相談してみたいですし、みんながそれを個性と捉えて、悪気は無いのだと考えることができるようになり、よりよい付き合いができるのではと思って質問しました。 もしそうでないなら、安心できますし、少し自分勝手な奴だけど、悪気はないんだよな、と思って今まで通りに付き合えば済む話です。 最後に、私のことをどうこう言われるのは構いませんが、この問題はブームなどという言葉で片付けられることでしょうか。本当に苦しんでいる人やその周りの人のことをよく考えたうえでの発言でしょうか。悔しいような悲しいような気持になりました。
お礼
複数に渡り、ご回答いただき、ありがとうございます。 今までつらかったこと、今も日々悩んでいること…それらが痛いほど伝わってきました。でもお子さんを深く愛している気持ちが一番伝わってきました。だからこそ、本気で悩み続けて、ここにも書き込みをしてくださったのでしょう。 複雑な気持ちで書き込まれたとのことですが、発信したことで、それを読む人がいます。読んだ方は、私のように何かしたら感じ取るものがあるはずです。それが発達障害に対する悩みや偏見を取り除くことへの貢献につながったかも知れません。 私は「肯定と提案」これを続けていくつもりです。今までもやってきたつもりですが、もっと信頼は積み重なると思うことができました。 ありがとうございました。