※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸時代の日本人の性生活は活発だったのでしょうか?)
江戸時代の日本人の性生活は活発だったのでしょうか?
このQ&Aのポイント
江戸時代の日本人の性生活について、農民夫婦の性交頻度が一晩に3回から5回とされている文献がありますが、その根拠は明確ではありません。
江戸時代の農民は長時間の労働によって疲れており、積極的な性生活を送れたとは考えにくいという意見もあります。
現在の知見から判断すると、江戸時代の日本人の性生活が活発であったとは言い切れません。
江戸時代の日本人の性生活は活発だったのでしょうか?
江戸時代の日本人の性生活は活発だったのでしょうか?
小林一茶が精力絶倫であったことは知っていましたが、トルストイやゲーテと同様、天才はモノゴトを異常に追及する変態っぽいところがあるからだろうと考えていましたところ、下記↓のような記述を読みました。
http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/eating11-20/issa1.html
上記によると、一茶は例外ではなく、当時の日本人一般にそうであったというのです。
農民夫婦にとって、一晩に3交、5交は普通のような書き方をしています。しかし、一茶に関する文献は吟味していても、農民に関する文献はありません。何故そう断定できるのか根拠を挙げていません。
というのは、私も若い頃から肉体労働をやって来た者ですが、総じて疲れており、性生活に積極的であったとは到底言えません。当時は農作業は機械化されておらず、農作業は長時間労働であったと思います。
戦前の農村を描写したものを読んだことがあるのですが、夜明け前から、星が出る時分まで野良で働いていたという描写があり、何と言う長時間、重労働なんだろうと驚いた記憶があります。自分も田んぼで雑草取りなど(農薬を使わないから)をやっていましたが、一日中中腰で屈みっ放しで、その疲れること。
江戸時代の農民も、戦前の農民のように勤勉であったと私は想像します。いくら昔は娯楽がなかったからとは言え、そんなに活発な性生活があったのでしょうか?疲れてなかったのでしょうか?自分の経験から、どうも信じにくいです。
活発であったことがうかがえる文献などあれば教えて頂けませんか?
補足
再度の回答ありがとうございます。 >オミヤゲに重宝したそうです そういう面はあったのでしょうが、私は当時の農民が性を謳歌していたとはとても思えないのです。 むしろ、ぎりぎりの生活の中で、せめてのも許された快楽だったと捉えたいですね。 百姓一揆は江戸を通じて総計3700余件あったといいますし、東北地方には今尚、飢饉で死んだ人を弔う塚が散在しているようです。 >農村が疲弊して立ち行かなくなるほどはとらないでしょう。 ちょっと認識が甘い気がします。以下にその理由となる内容を転載します。 """"" 江戸時代も中期に入ると、(当時の農業技術では)農業生産量も頭打ちになり、初期に比べて人口が増えた分、ちょっとした凶作でも(余剰生産量に余裕がないため)飢饉になりやすい状況にありました。 そこへもってきて、どういうわけか、中~後期にかけては冷害等の天候不順が続き、凶作による飢饉がたびたび発生、そのたびに、農村では『百姓一揆』、江戸では米価の高騰による両替商や米問屋への『打ちこわし』が起きています。 ちなみに、『享保(1732~1733)』・『天明(1782~1787)』・『天保(1833~1836)』の飢饉を『江戸の三大飢饉』と呼びますが、その中でも、『天明の大飢饉』は最悪で、東北地方を中心に100万とも200万ともいわれる餓死者が出たようです。当時の日本の人口は推定2500万人前後ですから4~8%もの死者ということになります。 """"" 天保の飢饉では大坂市中でも餓死者が多数出たようです。それが大塩平八郎の乱になったようです。 徳川時代の政治の実体は専制政治ですから、多かれ少なかれ、今の北朝鮮のような社会で、人々に快楽を楽しむ余裕は与えられていなかったと思います。 折角質問を立て、回答を頂きながら、「小林一茶はなぜ、あんなことが可能だったのか?」という疑問は解けずに終りそうです。 餓死者が大量に出ているアフリカに行って、彼らの性生活を調査してみれば答えが得られるかも知れません。 ありがとうございました。