- ベストアンサー
琉歌は何故8、8、8、6音数律なのか。
琉歌は何故8、8、8、6音数律なのか。 各種の和歌の句は5音、7音です。5音、7音が心地よく響く所以があるのと同様に、琉歌の句が8音、6音で構成されているのにも理由があるのだと思います。どんな理由がありますか。 教材が必要なときのために一首だけ例示しておきます。この歌と限らずに説明し易い作品を用いて下さって結構です。 恩納なべ作『恩納岳あがた 里が生まれ島 もりもおしのけて こがたなさや』 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (1)
- kogotokaubewe
- ベストアンサー率56% (236/420)
回答No.1
お礼
和歌の話から片付けます。 NO.1のお礼欄の仮説が日本語の2音、3音、1音という特徴が原因で5音、7音が耳に心地良い結果を生むと述べているのに対して、6拍、8拍が耳に心地良いという原因があるために休止の1拍を除いて5音、7音に落ち着くのだ、との説だと読みました。即ち因果関係がNO.1の仮説と逆転しているのだと読みました。 和歌や俳句の朗詠、歌舞伎の台詞口上などは何れにも疎いので反応できません。この件については音楽家の中に何かしらの見解をもつ方がいるかもしれないと思いました。第二の仮説として記憶しておこうと思います。 琉歌については、先ずは故老の援けを得て実験するのがよいと思います。漢字の中国音を学び、万葉仮名を分析することによって当時の日本人の発音を知ることができているというのですから、1500年頃の琉球の言葉がお手上げということはないように思います。素人の寝言かもしれません。 有り難うございました。
補足
本日は8月29日です。この先の回答はないものと判断して締め切ります。 未解決の問題を解決するには少しでも可能性のある仮説を網羅することが第一歩と考えます。6拍、8拍説がどの程度の信憑性をもつのか私には評価できませんが、予想外のお答えで研究するのに値するのかな、と思いました。 間違えるに事欠いて「古老」とすべきを「故老の援け」としたのは、また絶妙な場所で間違えたものです(もっとも故老も使われなくはないようですが)。 最近、別の場所で「謝る」とすべきが「誤る」となっているのを見過ごしました。どうも絶妙な場所で誤るのには我ながら閉口しています。 皆さん、お世話になりました。