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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大名火消設置の日付について、)

大名火消設置の日付についての正しい情報は?

このQ&Aのポイント
  • 大名火消の設置日付についてはウィキペディアなどの情報が混乱しており、正確な日付がわからなくなっています。
  • 情報1によれば、1634年(寛永11年1月29日)に江戸幕府が大名火消を設置しました。
  • 情報2によれば、寛永11年(グレゴリオ暦1634年2月26日)に江戸幕府が大名火消を設置しました。

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回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 回答から先に述べますと、 >>1634年(寛永11年1月29日) >>寛永11年(グレゴリオ暦1634年2月26日) どちらも正しいです。 「よもやま話」を参考にしてください。 1月29日は、いわゆる「旧暦」で、明治以降に導入されたグレゴリオ暦(現在、私たちが使っている暦)に直すと2月26日になるのです。私たちは「新暦」または「太陽暦」と言っていますね。従って、どちらも正しいのです。 まあ、小説に書くような時は、1月29日と、私たちは書きます。 (よもやま話) 暦について: 「太陽暦」にも2種類あり、「ユリウス暦」と「グレゴリオ暦」があります。 ユリウス暦 1年を太陽の動きに合わせて365日とする。しかし、実際には太陽の周期は約365.2422日であることから、4年に一度閏年を設け366日とした。しかし、この方法では、約130年に1日ずれることが解りました。 グレゴリオ暦 現在、我々が使用している暦です。これは、ユリウス暦を基にして100で割り切れるが400では割り切れない年は平年(閏年とはしない)とする。というものです。 歴史 (1)日本での暦法は、日本書紀によれば、持統天皇4年11月11日、 「勅を承ってはじめて元嘉暦と儀鳳暦を行う」 とあり、実際に使われ始めたのは持統天皇6年(692)からとされています。 (2)持統天皇以降暦法は幾度となく改暦され、現在、解っているのは、 元嘉暦・・・持統天皇6年(692)・・・・5年間使用 儀鳳暦・・・文武天皇元年(697)・・・・67年間使用 大衍暦・・・天平宝字8年(764)・・・・94年間使用 五紀暦・・・天安2年(858)・・・・・・4年間使用 宣明暦・・・貞享2年(1685)・・・・・70年間使用 宝暦暦・・・宝暦5年(1755)・・・・・43年間使用 寛政暦・・・寛政10年(1798)・・・・46年間使用 天保暦・・・弘化元年(1844)・・・・・29年間使用 いずれも「太陽太陰暦」(陰暦、または、太陰暦、旧暦とも呼ばれた)です。 (3)明治5年11月9日、明治5年の太政官布告第337号で、 「今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付 来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」 とされ、それまでの天保暦に替わり太陽暦を採用することとなりました。 (4)明治5年の布告では、4年に1回閏年を置くことは記載されていましたが、その後、諸外国の例にならい、「置閏法」が明治31年5月11日に、明治31年の勅令第90号で、 「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス 但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中 更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」 要は、グレゴリオ暦と同じにする・・・という布告でした。 ちなみに、 太陽太陰暦では、「月」を中心として「太陽」の動きをも加味したもので、月の満ち欠けによる周期は29.53日で、12ケ月すると354日で8時間の余りが出ます。 太陽の動きである365.2422日からは11日の誤差が生じました。 そこで、32~33ケ月に1回「閏月」を入れて調整しました。 歴史小説などの年月日等は、1~3月が春。4~6月が夏。7~9月が秋。10~12月が冬。ですが、現在のグレゴリオ暦で換算すると、およそ1ケ月を足した月と考えて良いでしょう。 現在でも、太陽太陰暦を重んじる、例えば、横浜の中華街などでは、2月10日前後に旧正月の行事が行われていますよね。

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