ご質問の趣旨とは少しズレるかもしれませんが、考えていただきたいので述べさせてください。
脳死とされているのは、脳の機能が停止しており、現代医学では可逆的に回復できない状態に陥った、と判断される状態です。脳の機能が残っているかを試し、機能していないと判定されれば、死んだとみなされます、臨床的脳死。よく考えていただきたい事が二つあります。脳の機能が停止していることは、脳細胞が壊死していることを意味しない。次に、現代医学以外の方法によって可逆的回復が望めるかも知れぬ、ということです。何らかの方法で、停止している脳機能を再び動かすことが出来れば、その人は蘇生することに。
そのような方法があれば、そもそも脳死とされる状態に陥ることを防ぐことも出来ただろう。
現代医学は薬物と手術が二大治療法です。それ以外の方法を考えるべきなのです。具体的には、物理的に行えばその可能性が。一部を除けば、それを要移植患者にも適用できるでしょう。
重ねていいますが、脳死とは脳機能の死、つまり、脳機能の停止です。脳細胞の壊死ではありません。だから蘇生の可能性が残る。移植医療に賛成しますか?反対しますか?
ご質問の回答は、NO.2でよろしいと思います。植物状態では内蔵機能が維持されるが、脳死状態では徐々に低下し停止する、この違いです。
お礼
脳幹が死んでいれば脳死と見る専門家も多いとか。 脳幹が死ねば肉体の活動ができないので大脳もまもなく死んでしまう。 でも、機能を失った脳幹の働きの一部の役割を人工呼吸器でまかなうことで、ある程度肉体の活動を保つことができる。 その間に、脳機能を回復させる“治療”ができるようになるかもしれない。 という受け止め方でよいでしょうか。 回答ありがとうございました。
補足
脳死は脳の“機能の停止”である、ということですね。蘇生の可能性があるということは、脳の働きの一時停止、という受けとめ方も出来るかと思います。 脳幹の機能が停止しても、しばらく内臓は働き続けるというところが、興味深いです。 そして、肉体そのものの生命、その肉体(生命)に「宿る心」。 不思議。 不思議。 ご返事が遅くなって申し訳ありませんでした。