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「人は死ねば消滅し無になる」という概念を信仰する人が
「人は死ねば消滅し無になる」という概念を信仰する人が 殺戮者に対して「殺戮をしてはいけない理由」を説き納得させることは可能でしょうか? ※このとき「人は死ねば消滅し無になる」という概念を信仰する人は、その「人は死ねば消滅し無になる」という概念は壊さないように語る。
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>説き納得させることは可能でしょうか? 不可能だと思います。 「死ねば無になる」という理由で人を殺すことは無いと思います。 たとえその人は殺人理由をそのように言ったとしても、本人は自分がどうして人を殺したいのかよくわかっておらず、ひとまずの理由として自分の行為の正当性を表現しているのだと思います。 人は誰しも死ぬと考え、生きていることに価値が無いと思うのなら、当の本人が自殺するはずです。 当の本人は生きながら他人を殺すってのは、生きているから快楽を感じるので、楽しみのための殺人ですよね。 騙されちゃ駄目です。 自分への破壊衝動を自分にではなく、他人に向けることで、代わりに破壊されてもらうってのは、卑怯です。 そして自分自身が終わってはいないので、何度も自分を破壊する衝動が起こったとき、身代わりを立て続ける。 それで他人を殺すわけですよね。 それで再生を果たした気になっている。 ひとまず自分を破壊したいという欲求は身代わりの他人を殺すことで収まったが、また首をもたげて自分を破壊したくなり、身代わりを立てる。 死刑になるまで続きます。 ということで、その人の言い訳は通用しません。 だって嘘だから。
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- tiltilmitil
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「生が喜びである」あるいは「少なくとも喜びのほうが多い」「わずかでも喜びがあれば多くの苦に勝る」のいずれかを納得させられればいいでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 <<「生が喜びである」あるいは「少なくとも喜びのほうが多い」「わずかでも喜びがあれば多くの苦に勝る」のいずれかを納得させられればいいでしょう。>> そうかもしれません。 しかしながらかなり困難そうな題材ですね^^; ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ご回答者によるとご質問者は高い人のようです。存じ上げませんでまことに失礼します。 「人は死ねば消滅し無になる」ということも「人は死ねば消滅し無になるかどうか」もあまり意識や、考える事もなく過ごしているのが常人だと存じます。 そしてなお、そうやって仰せのことをしてはいけないとも思い、人にもそうやって対し、それを前提に生きあっていると存じます。 「人は死ねば消滅し無になる」を信仰しているとか確信している人は多くないと存じます。 否定している人も多くないと存じます。そういうことを知らないし、知らなくても生きていられるからだと存じます。 無になる、その無が根源世界の無であれば一定の実現(禅でいう見性ですか)が必要かも知れませんが、単なる無なら信仰でもなんでもないと存じます。 私の党派の唯物史観ではそうとしか考えない人が大多数です。 そういう人同士では一定の存在同士の良心として語り合います。殺戮は無論許容しません。 私が、ご質問を理解していないのでしょうか?申し訳ありません
お礼
<<ご回答者によるとご質問者は高い人のようです>> 単なる凡夫ですw なぜあのようにいわれたのかちょっと謎です^^; <<「人は死ねば消滅し無になる」を信仰しているとか確信している人は多くないと存じます。>> 多くないかもしれません。 個人的にはこの概念と「死後・来世は無い、死んだらそれで終わり」が同じものに感じるのです。 <<否定している人も多くないと存じます。>> 「来世はある」「行為には結果がある(業論)」などは反対意見にあるかもしれませんね。 <<そういうことを知らないし、知らなくても生きていられるからだと存じます。>> お釈迦様は来世があるという立場ながら、カーラーマ経などで、来世あるかないかについて問題にならない という風にも語られていますね。 あるかないかわからないという立場でも、今生で正しく(八正道)で生きるなら、もし来世があったとき「無い」といって邪見に陥ってしまうこともなく安息、いいところにいくでしょうし安息、わるいところにはいかないでしょうと安息、もし来世がなくともそのときは一切の苦から開放されるので安息。今生でも識者に非難されず、幸福に生きれて安息。というような安息(結構ざっくりと書いてしまいましたが^^;)があると。 来世の有無は、だから問題にならないと。 <<根源世界の無・・・・単なる無なら信仰でもなんでもないと存じます。>> これがなんなのかわかりませんが、禅で有・無を覚り、苦(ドゥッカ)を無常を覚り、無我を覚るという意味合いでの覚る「無」では無いでしょうが、同じ「無」に至るというのが「消滅し無になる」の意だと思ってます。 わかっていないことにかんする決め付けなので・・・ 私はそのようなものを「信仰」と呼んでいます。 数多ある信仰で、「死ぬことで最高な境地に達するという」考え方が生まれては消え、自爆テロや親切心からの殺人など悲しい事件もありますね。 「来世が無い・死後は一切の苦が滅する・死で涅槃に入れる・死こそ最高な境地だ」という決め付けを抱く人の中には、良心による殺戮者(めっちゃ怖いです^^;)が出てくるように感じましたのでこんな質問をしてみました^^ 同じ決め付け同士ではなかなか殺戮者を納得させることは難しいと感じたのです。 回答していただきありがとうございました^^ ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
- yuix_99
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哲学の難しい言い回しは苦手ですので、質問を取り間違えていたらすみません。 この解釈は、その信仰者、一人が死ねば、その人は消滅し無になり、あったことも、なかったことも感じられなくなるという信仰だと思います。ここまでは壊す必要がないと思います。 ただ、これに追加する形で、言いたいのが、実際には、その感じ方や記憶、個性は周りにも伝播していますので、個人が死んでも無にはならないと思います。 殺戮の場合、殺された周りの親族や友達、ペット、地形や家、家具にはその人の何らかの記憶や痕跡が残るためトータルで考えた場合無とはならないように思います。 かといって、有であった時に影響を与えた全てを消滅させることが出来ない限り、無にはできないでしょう。無になればOKという考え方ですので、ここに矛盾が発生し殺戮はマズいという事にならないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます^^ 僕の理解力が無いのかちょっと意味がわからない部分がありますが。。。 この信仰者の「人は死ねば消滅し無になる」は 生命を対象にそのシステムが死によって完全になくなる 死後・来世は無いということ。死によって一切の苦が滅されるという信仰です。 いわば、死ぬことが仏教で言われる一切の苦しみを滅した涅槃であると。 ・・・・ 生命物質は相互依存で複合的に影響し合っているでしょうが それとこの信仰とは関係ないのではと憶測します。 多因多果の現象世界でしょうから影響は常にる事も理解できますよ。 その影響を与えたという事実・変化の歴史はなくなりはしないでしょう^^ ★ 信仰者「死によって一つの生命の機能が完全消滅する、苦の原因一切を滅する」 殺戮者「なら、早くいっぱい殺してあげたほうがいいんじゃないの?一切の苦しみがなくなるのだから」 信仰者「・・・・・・」 と「死後は無い・死ねば消滅し無になる」決め付ける、という思想には、このような道徳を破壊する危険な穴があるように僕には感じられたので、そうではないといえる見解があるかなぁと気になって質問してみました。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
- 雪中庵(@psytex)
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「死ねば無に帰する」どころか、「生きている事を厳密に 把握しようとすると無に還元される」という知見において、 それ以外の解釈は不可能になったのです。 宗教やモラルのように根拠の不明確な便宜的方便によって 「殺戮をしてはいけない理由」を強弁しても、それが実効性を 持たないのは、そうしたモラリスティックな宗教同士の対立が、 戦争の火種になっている事からも明らかです。
お礼
回答ありがとうございます。 無知ゆえに、なすべきことはなし終えたといえる知見による智慧に至っていないのです。 無知ゆえに、あるがままを知らないのです。知らぬゆえ、数多なる解釈が生まれるのでしょう。 無知ゆえに、現れるこの概念内において殺戮肯定を明確な根拠を持って打ち消せるのかという疑問が今回の質問でした^^
- kyoromatu
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えらい小難しい話でんな・・ 可能と言えば可能だろうし、不可能と言えば不可能でしょう その概念とやらをもっている人次第でしようね 第三者としてはいくら考えたって意味も無く 堂々巡りで正解の無い話です。
お礼
回答ありがとうございます^^ 「納得」の括りが微妙かもしれません・・・ 確かに誰がどう納得するかはわかりませんもんね^^; 今回の疑問は「この「人は死ねば消滅し無になる」において論理的に殺戮肯定論に対し殺戮否定論で対抗し、強い根拠・論拠を示せるか?」というものでした。
- haruimihitomi
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ものすごい経歴の持ち主、そんな方への回答は、おこがましいのですが、暇なようなので、あえて回答させていただきます。「殺戮をしてはいけない理由」を事を起こした方に導き納得させるには、遅すぎます。せめて事を起こす前に導きたいものです。「人は死ねば消滅し無になる」ですが、 信じるものは救われる、では いけませんか、、、、、
お礼
回答ありがとうございます。 ん?経歴ですか?・・・特に何にもないですよw <<「殺戮をしてはいけない理由」を事を起こした方に導き納得させるには、遅すぎます。>> 遅すぎでしょうか? この人はこれからも殺戮を含めていろいろな行為をすると思いますし 遅いということは無いと思いますよ。 <<「人は死ねば消滅し無になる」>> というと、「死こそ救いだ、だから私は殺すのだ」という「殺戮肯定論」をとる者もいるだろうと憶測したので、この身内内で解決できるのだろうかとちょっと疑問に感じたので質問してみました^^
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お礼
kigurumiさん 回答ありがとうございます。 僕も不可能だと思います。 嘘もありますし、やり逃げ思考もあるでしょうね^^; ~生きとし生けるものが幸せでありますように~