- 締切済み
近代文学、現代文学のファンの方々、そして三島由紀夫ファンの方々へ
近代文学、現代文学のファンの方々、そして三島由紀夫ファンの方々へ 三島由紀夫が自決した年、1970年の7月7日のサンケイ新聞に掲載された「果たし得ていない約束??私の中の二十五年」という、エッセイをご存知ですか? このエッセイの中で、三島由紀夫は、1945年の終戦から1970年までの二十五年間の自分自身を振り返っています。 そして末尾を 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大國が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」 と締めくくっています。 三島由紀夫ファンの中では有名な文章ですが、1970年の時点で、20年後、30年後、ひいては40年後までをも予言した言葉として、ファンに限らず引用されることがあります。 特に、「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大國が極東の一角に残るのであろう。」という部分です。 この文章について質問します。 あなたは、この質問を見る以前から、この文章をご存知でしたか? あなたは、この文章について、どのような感想を持たれていますか? どのような感想を持たれましたか? 僕はこの文章を知ってから、三島由紀夫の小説ばかりでなく、彼が書き残したエッセイ類や文明論などを丁寧に読むようになりました。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- mashumaro2
- ベストアンサー率58% (99/170)
こんにちは。 三島の愛読者以上でも以下でもない者です。 また、質問者様の期待なさっておられる回答者ではなく、ただの通りすがりの者であることを、あらかじめお断りしておきますね。 高校生の頃の恩師(女性)が「私は三島…川端…谷崎…を読んだ。三島は私のとても好きな日本人の作家だ」と熱く語ってくれたことを、今でもはっきりと憶えております。 そしてまた、なぜその順番で各々の名前が挙がったのだろうと、未だに思うこともあります。 ただ単に、彼女が三島の小説を一番好んだだけなのかもしれませんが。 >三島由紀夫は自決によって 劇場の外からの視線も必要な作家になったのです。 そうなのですか。 であるとしたら、それはいったいどのような視線だと思われますか。 >三島由紀夫ファンの中では有名な文章ですが、1970年の時点で、20年後、30年後、ひいては40年後までをも予言した言葉 >日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大國が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。 ただの三島の愛読者ながら、私には「それほど物凄い予言」とは思いません。 例えば、高度成長期のまっただ中だった日本に赴任を命じられた海外駐在員たち。 彼等は経済大国となり得るであろう日本の将来性と可能性に興味と期待を抱き、さらには自身の相応な出世に対する野心を秘めて来日したはず。 「予言的中」して嬉々として帰国した外国人は決して少なくなかったと容易に察せられます。 つまり質問者様の仰る「劇場の外」の《さらに外の人々》は、三島自身あるいは三島の自決に揺れた当時の日本(国民)の「お家の事情」をどのように捉えていたのだろうかとも想うのです。 あるいは、三島のいったいどこに「日本」を見出していたのだろうか、とも。 私は彼の書き残したエッセイや文明論の類も興味深く、時折なるほどなあと思いますが、このご質問に挙げられたエッセイに関しましては、何と申しますか、案外もっと若かりし頃より抱いてきた厭世感の延長線上の口上に過ぎないように感じるのです。 それにひきかえ、能楽をはじめとした「古典」への造詣の深さや注いだ情熱などそちら方面に対しては、ただもう、ひたすら頭を垂れるしかないのですけれども。 無学で文学音痴の戯言に過ぎません。 なにとぞご容赦下さいますようお願い致します。
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
No.3です。 >僕は団塊の世代ですが、あなたとは年齢が近いのでしょうか? 私は段階の次の世代ですから、三島を読み始めたのは彼の死後のことです。 >もし、あなたの言うところの、《あんなにも他人との人間関係を結ぶのが拙劣な主人公ばかりを描き続けた小説家》が事実だとしても、小説家が、自分の描きたいテーマを表現するにあたって、特殊な人物像や人格を作り上げても、それ自体を非とする理由は、皆無だと思います。 確かに、多くの近代小説は、まるで申し合わせたかのように、時代・社会の中で孤立したり、疎外感を抱いたりする、あるいは他者と互角に渡り合えない主人公を好んで登場させてきました。 その動機はと言うと、自分の内部に棲息する危険因子を客体化せんがためにですよね。 その点、「それ自体を非とする理由は、皆無」だと思います。 しかし、自分の短所や弱点ばかりを切り売りしながら小説を書いていれば、こうした営みそのものが芝居じみてくることに作者自身が気づかずにはいられなくなりますよね。 三島は、ある女流作家を登場させたお芝居で、自分の小説制作という営みについて、「……同じことのくりかへしだわ。」とか、「……私は見飽きた。」(『源氏供養』)とかと女主人公に言わせており、晩年に近づくにつれ、他でもなく三島自身が小説家としての自己を否定的にしか評価できなかったことが窺えます。 三島の場合、幼少期の家庭環境(特に父親との父子関係が不在)に遡及せざるを得ないと思いますが、物心ついた頃には祖母と母親という二人の愛人に左顧右眄しながら大人の世界におずおずと参入していった少年にとって、家族以外のアカの他人が支配する外界(社会)がどのような世界に映ったのだろうか?と思いを馳せずにはいられないところです。 こういう少年が、自分の恣意通りに操られる言葉、と同時に自分では如何ともしがたい社会制度や規範そのものでもある言葉を媒介にし、巧妙に自己の内界と他者の支配する外界とのパイプを獲得することによって、彼にとっては苦界以外の何物でもない娑婆を、曲がりなりにも45年間は生きることができたのではないでしょうか。 その意味でも、言葉という媒介(パイプ)によって外界と関係することを自ら否定したとき、これは三島の死を意味したのは、けだい当然だったのではないでしょうか。 ご存じのように、三島は、何度も俗世を憎悪し、罵ると同時に、これに伍して《生きよう》という意思をも表明しておりますが、この事実は彼にとっていかに生きることが辛かったか、いかに根強い世俗に対する忌避感、嫌悪感が棲息していたかを証明しておりますよね。 前述の女流小説家は、実は亡霊なのですが、自ら「生きてゐる人間ぢやありません。尤も生きてゐるうちからさうでしたけど。」と意味深のことを語ってるんですよね。 ということで、「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大國が極東の一角に残るのであろう。」という三島の一文からも、私としては、晩年においてなお克服し得なかった、あまりにも厭世的、抒情的な呪詛、感慨、嘆息しか読み取れないのです。
お礼
日が迫っていましたので 41年目の7月7日まで 御礼をためておきました。 あなたへは 非礼だったかもしれませんが 許される範囲内でしょう。 質問をしてから約2週間の間に「このQ&Aが役に立った」という項目に投票して下さっている方が 31人もいるということに 驚き 嬉しくも思います。 しかし それにもかかわらず 回答そのものは rkd4050さんと kadowakiさん のお二人以外には増えませんでした。あらためて rkd4050さんと kadowakiさんに 御礼申し上げます。 残念ながら kadowakiさんの今回の回答は 前回のお礼の時に お願いした《根本動》への疑問? への回答ではないように 思えるのですが 如何でしょうか。。 ぜひ《根本動》について 教えて下さい。 もし その 《根本動》への回答が 《三島の場合、幼少期の家庭環境(特に父親との父子関係が不在)に遡及せざるを得ないと思います》とか《こういう少年が、自分の恣意通りに操られる言葉、と同時に自分では如何ともしがたい社会制度や規範そのもの》そして《三島は、何度も俗世を憎悪し、罵ると同時に、これに伍して《生きよう》という意思をも表明しております》などということや 女流小説家の言動など を指し示しているならば 僕には 違和感が大き過ぎます。 このような解釈は 大学の教室の中での若い人たちへ講義ならば 一定の価値や意味があろうと思いますが このサイトのような 一般社会に開かれた場所では 如何にも虚しい道筋にしか思われません。 rkd4050さんへの お礼の中に 舞台に登場する人々 舞台を眺めている観客 劇場の外の一般社会 という例え方をしましたが あなたの論評には 観客の視点しか 感じられないのです。 三島由紀夫は自決によって 劇場の外からの視線も必要な作家になったのです。 それは三島由紀夫の演出ですが 単なる演出というよりも 愛情愛着であり 愛情愛着がもたらす 危機感なのです。 そういった 一番肝心な視点が抜け落ちているのは 如何にも虚しく思います。 あなたから見れば僕は 三島由紀夫の術に嵌った観客なのでしょうが 舞台の上も 劇場の外 をも見る視点に立つと やはりあなたの解釈は 虚しいものと思われます。 せっかくの回答に このような感想は 失礼でしょうか? 期待していたものと 余りにも違い過ぎた所為でしょうか 言葉が過ぎたかもしれません。
- rkd4050
- ベストアンサー率60% (112/184)
まあ、あの質問にいくら答えても、余計にわけがわからなくなるだろうことはわかっていたのですけどね(笑) 三島の絶望を否定すべきだとした私の出発点そのものが、質問者さんには理解できないのだろうと思います。ある意味屈折している考え方ですからね。 私は、死ぬ直前に絶望して書いた文章を否定してみせることが、三島に対する最大の敬意だと思っているのです。三島は自分の絶望に共感なんか持たれたって嬉しくない。むしろその絶望が馬鹿げていると言ってやった方が喜ぶと思うのです。 なぜなら彼は、日本を愛していたでしょうからね。日本がダメになったと言うより、まだまだ捨てたもんじゃないと言った方がいいに決まっているでしょう。 あと、私は道化の立場から語っているのです。道化だから、三島の絶望を笑うことで三島を批判し、それによって彼の魂を救うことができると信じている。 質問者さんは道化ではないでしょうから、道化から見た景色は理解できないかもしれません。三島を批判することが三島を救うことになるという理屈は、道化の立場から見れば自然ですが、他の立場から見ればおかしく見えますからね。 しかし、理解できなくてもいいのです。そもそもこの質問は、いろんな立場の人から感想をもらうことが目的なのでしょうから。 要するに、今まで知らなかった形で三島と関わっている人がいる、ということだけわかれば、私の回答の役割は充分に果たしているのです。
お礼
まず、同一の質問に対して、3回もの回答をいただいたことに感謝申し上げます。 ただし、2回目の回答で、あなたのおっしゃる通り、僕には理解不能であろうことは気づいていますし、また、分かったという言い方が失礼になるかとも思いましたので、あのように回答したのです。 《そもそもこの質問は、いろんな立場の人から感想をもらうことが目的なのでしょう》との指摘、私に向けて言って下さるよりも、《「このQ&Aが役に立った」と投票して》くださっている、12人の方々の耳に(眼に)直接届く手段を講じたいくらいです。 質問によりも、あなたとkadowakiさんの回答への評価でしょうから。 もの言わぬ、12人の方々に登場していただくことはできないものでしょうか? ところで、あなたの再々答へのお礼を、あなたの回答に対する僕の見解という形で、記述させていただきます。(このWEBの趣旨からは少し外れるかもしれませんが。) 《三島の絶望を否定すべきだとした私の出発点》 《死ぬ直前に絶望して書いた文章を否定してみせることが、三島に対する最大の敬意》 《私は道化の立場から語っている》 こういうことは、あなたからの回答が3回目だということもあり、多少は理解できます。 しかし、前回のお礼に、《舞台の上の人はごく少数であって、大部分の人は一生舞台上へは上らない単なる観客に過ぎない訳だし、さらに劇場外には役者でも観客でもない人がもっともっとたくさんいる》と記述したように、三島由紀夫の訴えは、《舞台の上の役者たちでも、劇場の観客でもなくて、劇場の外にいる大多数の日本国民や世界中の三島由紀夫の同時代人たち》へのメッセージだったと、僕は思っています。 だから、7月7日のサンケイ新聞紙上のエッセイに、心揺さぶられるものがあるのです。 ですから、あなたの推薦してくれた《『記号論への招待』、『悲しき熱帯』、『オリエンタリズム』、『日本近代文学と「差別」』、『不敬文学論序説』と読んで日本文学史を俯瞰》などということは、三島由紀夫理解のために手にする以前に、僕個人の読書趣味とピッタリ一致しており、「あなたが何を読み取れ」と言っているのかは分からないにせよ、こういう言い方で、何かを教示してくれたのは、嬉しいことでした。 僕個人の趣味で付け加えるならば、量子力学以降の科学全般(毎日変わる脳科学の成果も含めて)、西洋音楽の興隆と衰退。などなどにも興味を持っており、レヴィのように豊かな知識や理解に至る書籍よりも、マックス・ウェーバーのような、感じるところの多い書籍の方が、10倍も100倍も面白く思っています。 最後にもう一度、 《「このQ&Aが役に立った」と投票して》くださっている、12人の方々へ。 ぜひ、あなた方も、このやり取りに、参加して下さい。 よろしくお願いします。
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
質問者さんのご質問と回答者さんのご回答とを読み比べ、、昔も今も、さらには将来も、三島由紀夫の受容のされ方、評価のされ方って大きく変わりようがないのかな、と思わざるを得ませんでした。 ただ、三島亡き後、ちょうど40年を経た現代の方が、当時にもまして、彼の諸作品に登場する三島の分身たちに照応、共感する若者をより多く輩出するようになったのかな、と思われてなりません。 私が70年代に三島を読んだときには、60年代に活躍した小説家のうち、三島が真っ先に時代遅れになり、忘れ去られるはずと予想しただけに、その予想が外れてしまった現状を目の当たりにするにつけ、自分の見る目のなさを痛感しております。 なぜって、三島の主人公たちは、揃いも揃って、引きこもり、登校拒否、同性愛、対人恐怖、オタク、境界性人格障害等々のどれかに当てはまりそうなキャラクターの持ち主ばかりですからね。 このことに較べれば、 >「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大國が極東の一角に残るのであろう。」 といった言説なんて、取るに足りない美辞麗句にすぎないとは思われませんか? だって、これが書かれたのは確かに最晩年ですが、昭和30年代以降、特に『金閣寺』以降、なんとか時代・社会にコミットせんと焦慮しはじめて以降の三島は、折に触れ、高度成長路線を突っ走る日本社会に対し、異口同音の批判を繰り返し語っていたような気がしてならないからです。 そして、彼のこういう発言によって、確かに多くの右翼や三島ファンたちは溜飲を下げたかもしれませんが、他ならぬ三島自身は、こういう自分の発言が何ら政治的、実際的な有効性を発揮し得ないことも、単に自分の抱懐する厭世観や現実社会への忌避感に由来することも誰よりも弁えていたのではないでしょうか。 その意味では、彼は、言わば元祖活字オタクとして、自分の恣意的な観念の表象であると同時に、彼が何よりも恐れた《他者》としての社会システムそのものでもある言葉を媒介にしながら、曲がりなりにも自己表現や他者とのコミュニケーションをはかることで、かろうじて45年間を生きながらえた人だったのではないかと思われてなりません。 と言うか、それ以外の生き甲斐なり、目的意識なりを全く見出せないままに終わった人、その意味では本当に稀有な人生?を歩んだ人だったような気がします。 その証拠に、あんなにも他人との人間関係を結ぶのが拙劣な主人公ばかりを描き続けた小説家となると、同じく自殺した芥川龍之介や太宰治以外には見当たりませんからね。 >僕はこの文章を知ってから、三島由紀夫の小説ばかりでなく、彼が書き残したエッセイ類や文明論などを丁寧に読むようになりました。 もちろん、三島のテクストを三島の注文通りに読むのも、政治的な文脈で読むのも各自の勝手ですが、私としては、彼がなぜ約30年間にもわたり、よりによってああいう小説・戯曲・エッセイを書き続けざるを得なかったのか、それを支えていた根本動はがどのようなものであったのか? の方に興味・関心を向けないではいられません。
お礼
回答ありがとうございます。 僕は団塊の世代ですが、あなたとは年齢が近いのでしょうか? とりあえずは、rkd4050さんよりは、分かりやすくてほっとしています。 ところが、《あんなにも他人との人間関係を結ぶのが拙劣な主人公ばかりを描き続けた小説家となると、同じく自殺した芥川龍之介や太宰治以外には見当たりませんからね。》と、こういう件になると、rkd4050さんよりも、あなたの言葉の方がもっとわからないのです。 「或阿呆の一生」や「地獄変」、「人間失格」や「とかとんとん」を含めても、《あんなにも他人との人間関係を結ぶのが拙劣な主人公ばかりを描き続けた小説家》では無いように思います。 もし、あなたの言うところの、《あんなにも他人との人間関係を結ぶのが拙劣な主人公ばかりを描き続けた小説家》が事実だとしても、小説家が、自分の描きたいテーマを表現するにあたって、特殊な人物像や人格を作り上げても、それ自体を非とする理由は、皆無だと思います。 昭和初年代に、井上良雄とかいう文学ファンが、芥川龍之介の自決を「文学的自然死」と呼んだらしいのですが、三島由紀夫の自決もそのような死のたぐいになることと思われます。 三島由紀夫が亡くなってもう40年以上も経過しています。 《根本動はがどのようなものであったのか? の方に興味・関心を向けないではいられません。》には、異議ありません。 あなたのこういった興味関心から捉えられる《根本動》に、興味津々です。 再質問になって申し訳ありませんが、お聞かせ願えれば幸いです。
- rkd4050
- ベストアンサー率60% (112/184)
ああ、特に三島の理論を読み込んでいる方ではなかったのですね。それなら理解できなくても構いません。 わざわざ「現代文学ファン」などに限って、日本文学史上における大問題な文章の感想を訊いているものだから、これは真剣に答えねばなるまいと気合いを入れたのですが、単なる勘違いの空回りだった、ということですね(笑) もっと軽く答えるべきでした。 三島は文学に対する責任を取って自決したわけですから、この文章について文学者が語るとき、己の覚悟と無縁ではいられません。ものすごく重い意味があるのです。 まあ、なんでしょう。意味不明な感想が返ってくるくらい、三島の自決には深いものがあったことに驚いていただければ、それでいいんじゃないでしょうか。 いちおう質問に答えます。 「以前から」というのは「質問を見る以前から」という意味です。「この質問を見る以前から、この文章をご存知でしたか?」への答えですから。追加の質問に答えるなら「自決以後」です。 「全否定」というのは「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大國が極東の一角に残るのであろう」という予言が当たったと言うなら、そういう日本にした責任が自分にもあることを認めることになる、ということです。もしくは、そんな日本に生きている自分自身も無機的でからっぽであることを認めることになる。 なぜ認めることになるのか? とか、認めることがそんなに大変なことなのか? と疑問に思うなら、それは三島の言う「戦後民主主義」にやられています。そういう人を増やしてしまったことが文学の責任であり、三島が自決する要因のひとつなのですが、この辺はややこしい話なので割愛します。 「肯定してもいいのか?」は、文学者であるかに関わらず自由です。ただ、上で書いたようなことを認めることになるけど、本当にいいのか? というだけの話。 太鼓持ちとは王をおだてて取り入る者で、反逆者は王を倒そうとする者です。道化は王を笑わせるだけの存在ですが、時に王を風刺することで諫めます。古典的な物語のパターンですね。 その他の質問は、ここでは充分な回答ができないので割愛します。知りたいなら、『記号論への招待』、『悲しき熱帯』、『オリエンタリズム』、『日本近代文学と「差別」』、『不敬文学論序説』と読んで日本文学史を俯瞰すれば、たぶんわかると思います。
お礼
再びの回答ありがとうございます。 とはいえ、あなたの再答によってますます深い迷宮に入り込みそうです。(^^) あなたの気合いを入れた回答に、当方の答弁(?)が空回りしている印象を持たれたよし、僕なりの表現を反省する機会を得ました。ありがとうございます。 《三島の言う「戦後民主主義」にやられています》という件は、非常に懐かしい感覚を呼び覚まします。 「憂国」から「vs全共闘」に至る三島由紀夫の言動の軌跡や、それ以前の三島由紀夫作品からも、そういう三島由紀夫像が結ばれやすいとは思います。 しかし、三島由紀夫の言うところの「戦後民主主義」とは、われわれ同時代人が生きてきた時代を指し示している以上の何かを指している様な気がして成りません。 それは例えば、あなたが《太鼓持ちとは王をおだてて取り入る者で、反逆者は王を倒そうとする者です。道化は王を笑わせるだけの存在ですが、時に王を風刺することで諫めます。古典的な物語のパターンですね。》と、明快に説明にしてくれたにも拘わらず、その舞台の上の人はごく少数であって、大部分の人は一生舞台上へは上らない単なる観客に過ぎない訳だし、さらに劇場外には役者でも観客でもない人がもっともっとたくさんいる訳です。 と、全く別の視点というか観点と言うべきところから、三島由紀夫を見守っている人がいて、深い同情を寄せているように思います。もちろんそれらは、三島由紀夫の想定内のことでしょう。 それはそれとして、《『記号論への招待』、『悲しき熱帯』、『オリエンタリズム』、『日本近代文学と「差別」』、『不敬文学論序説』と読んで日本文学史を俯瞰》というような読書傾向と方法については、全く異論のないところです。 上手く言えませんが、あなたからの回答を得て、この質問を公開してよかった、という気持ちが沸々とわいてきています。 本当にありがとうございました。
- rkd4050
- ベストアンサー率60% (112/184)
以前から知っていました。文学的には有名な文章ですね。 この文章に賛同することは、自分の人生や日本を全否定することに他なりません。いま文学をやるなら、どうあれ否定しなければならない文章です。 日本は文学を政治に利用してきましたし、文学もその権力の恩恵に長らく与ってきました。だから日本の文学は長いこと停滞し、三島はその責任を取ったわけですが、幸い文学は娯楽の多様化と自滅によって政治的権力をほとんど失いました。いまや政治権力に癒着している文学者の話を有り難がって聞く者はほとんどいません。 私達は、太宰や三島の生きた時代にまともな精神と知識を持って文学を志さずに済んだことを感謝しつつ、分相応な活動をすることができます。政治権力の太鼓持ちや反逆者ではなく、道化として、本来あるべき姿で活動できるのです。 そうなった原因が努力や反省ではなく自滅であったことは情けない話ですが、まあ、それは反省として心に留め、結果を有り難く享受すればいいでしょう。 政治、経済は酷い有様ですが、少なくとも文化面においては、三島の敗北宣言を受け入れる必要はありません。
お礼
回答ありがとうございます。 ですが、あなたのおっしゃる言葉がほとんど理解不能です。 あなたの回答に即した質問を作ってみましたので、差し支えなければ、再びご回答ください。 ☆ ☆ ☆ 《以前から知っていました。》 という回答ですが、《以前》とは、三島の自決以前ですか?以後ですか? 僕は最初の質問でお分かりになろうかと思いますが、自決後に知って、感慨が深かったのです。 《この文章に賛同することは、自分の人生や日本を全否定することに他なりません。》 《全否定》するとは、如何なることを意味しましょうか? 《いま文学をやるなら、どうあれ否定しなければならない文章です。》 文学をやらない人は、肯定してもいいのでしょうか? 《日本は文学を政治に利用してきましたし、文学もその権力の恩恵に長らく与ってきました。》 どの時代のどのような事実について、語られているのでしょうか? 《政治権力の太鼓持ちや反逆者ではなく、道化として、本来あるべき姿で活動できるのです。》 あくまでも一般論ですが、太鼓持ちや反逆者は、道化ですよね? 《そうなった原因が努力や反省ではなく自滅であった》 どのような事象について語られているのでしょうか? 《反省として心に留め、結果を有り難く享受すればいいでしょう。》 何か、有り難くなる様な結果があったのでしょうか? 《政治、経済は酷い有様ですが、少なくとも文化面においては、三島の敗北宣言を受け入れる必要はありません。》 文化面では、勝利宣言できるものがあるのでしょうか? ☆ ☆ ☆ 以上です。 いちいちの回答が、ご面倒なれば一部でも結構ですので、お教えくださるようお願いします。 本当に、よくわからないのです。
お礼
長らく回避していた、お礼を加えます。 三島由紀夫へばかりではありませんが、斜めに読んで斜めに答える人は多いものです。 そういう人は、如何にも才能があり、精進もしているくせに、わざわざ、蓮っ葉な、質問や回答をします。 本人は、そういった言動を、如何にも上等のことと思われているのかもしれません。 しかし、僕はあなたの回答を、他の二人の方の回答と同列に読むことができませんでした。 同列に読めないものに、同列のお礼をするわけには参りません。 もしかしたら、失礼な物言いかもなのしれませんが、これ以上の興味はありません。