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泥棒はいかなる事情があっても悪い事なのか?

泥棒はいかなる事情があっても悪い事なのか? 終戦直後の日本は貧しかった。 そこに空襲ですべてをなくた、母と小さい息子がいたとする。 母は病弱のため寝たきりで、食べるものをどうする事もできない。 そのため息子は母のために農家に行き、食べるものを盗んだ。 泥棒は悪い事と人はいう。 それは正論であろうが、泥棒は場合により正当化されても いいのではないのか? ちなみに、僕はこの場合は盗んでもいいのではないかと思う。 ただし、畑に何もなくなるくらい盗むのはいけない。

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  • kigurumi
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回答No.14

動物は人の畑に入って人間が作ったものを食べて追われますよね。 時には捕獲されたり撃ち殺されたりする。 動物はそこの食べ物がなっているから食べようとするだけで、盗むって気持ちは無い。 畑にあろうと野生にはえていようと一緒なわけです。 例え話と同じような内容で火垂るの墓って映画がありました。 清太は親戚に家に疎開したが、親戚の命令に従わず、従うことを拒んだために、より生き辛くなり、何もわからない妹を連れて、集団から脱出して楽園を築こうとしましたよね。 清太は生産能力が無いが、人のものを盗むのが得意。 だけど、失敗して殴られ死にそうな目にめにあうが、妹のため と自分を偽り、盗みを続けた。 一番の清太の理想の希求の犠牲者はほたるだったのですが、結局 ほたるも清太も集団から外れたことで餓死の運命を辿った。 この映画はそういうことを訴えているのではないと思うが、、、、 イラクで都会で盗みを働く孤児のことが報道されたことがあった。 ある日本人は盗みはいけないだよ とイラクの孤児に指導しようとした。(拉致された3人組みの1人) 私ははてな?と思った。 イスラム世界で孤児になるなんてありえない。 非常に強力なファミリーシステムがあり、親が死んでも親戚が必ず遺児を養う。 浮浪児になったってことは、恐らく清太と同じなんだろうと思った。 つまり自らの意志でファミリーから外れて都会に来た少年たち。 しかし自由を求めた彼らを待っていたのは、日本人による「服従しろ」だった。 その拉致された人のイラクでの生活のビデオをみたことがあるが、「早く私のためにメシ作れ!」と浮浪児にどなっていた。 こんなはずじゃなかっただろうに。 独裁社会から逃れたら、別の独裁者にとっつかまってしまったわけです。 イラク社会はグループを束ねる独裁者がいて、その人の命令を聞いていれば生きていける。 時には嫌なこともやりますと言って従えば、扶養してもらえる。 それがイヤでファミリーから出てしまうってことは死を意味する。 なぜなら、ファミリー同士で連携しているので、紹介無しには仕事を与えないから。 こうやってイスラム社会ではいるはずのない浮浪児がイラクにいることになったのではないかと。 日本もそう。本家とか分家とかあって、本家の人が分家の困りごとを聞いてやる。 そういうのをわずらわしいと感じより良い生活を求めて、集団から離れて都会に住んでいた人が、戦争になったときは弱い。 なぜなら集団に守られてこないから。 それに一度契約を破り出ていたものは、もう親戚でもなんでもないので、赤の他人と同じ扱い。 都会に出ても、お届けものとかせっせと欠かさずやっていたら、住む場所を移動しただけで、ファミリーとしてのつながりは維持できたとは思います。 で、例であげておられる状況は、ファミリーから出てしまったために、保護してくれる親戚がいないのと同じですよね。 親が断ち切った以上、そのツケは子どもにきて、誰もその一家のめんどうを見ないわけです。 子どもは生産能力が無く、他人のものを盗むしか考えつかないわけです。 他のグループは自分たちのグループを養うために育てた作物を、協力関係に無い者が勝手に取っていくというのは、自分たちのグループの生存に関わるので、当然追い払うわけです。 が、他者が育てたものを盗む権利はどこにも無い。 国が一括で召し上げて国民に分散するのならまた別ですが。 国が勝手に畑のものをとっていったらドロボーです。 で、倫理ってものは、平和のときにしか機能しないし、存在を重視されないんです。 平和が破綻したら、人間は他の動物と同じ。人間も動物ですから智が働かないと動物と変わらない。 従って倫理の存在を主張したければ、平和を維持する義務がある。 本来、その義務を果たした人のみが、盗んだ人に「どろぼうはいけない」と言う権利がある。

rin00077
質問者

補足

はい。「ほたるの墓」で、一番考えさせられたところは、 清太も清太の妹も引き取った人が、自分の子供にはそれなりに 食事を与え、清太や清太の妹には、あまり食事を与えなかった。 と、いうところでしょうか。 こういう事は道徳には許されない。と思うのですが、 人によれば「仕方がない」という意見もあると思います。 自分がもし、清太らを引き取った立場で考えれば、その状況では 差別もなく、公平に食事を与える事はできない。と判断したから 「仕方がない」という考え方になるのでしょう。 要するに僕が言いたいことは、何事にも「仕方がない」という、物事の 善悪を超越したような状況が、あるのではないかという事です。

その他の回答 (14)

回答No.4

 道徳として正当化はできない。  でも  道徳として、見逃せる事柄ではある。  という考えは、どうでしょうか。

  • kakibesuto
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回答No.3

殺人はいかなる事情があっても悪い事なのか? これと一緒です。 それでは正当化されれば、あなたは大切な物を盗まれても良いのですか? 殺されても良いのですか?あなたは困りませんか? 盗む前に出来る事があるはずです。

rin00077
質問者

補足

当たり前の話ですが、なんでもないのに盗まれたり殺されたりするのは よくないでしょう。その理由によりけりです。 例えば、相当ひどい圧政をし、国民を日々苦しめる国王がいたとする。 そして、その国王を殺し、すべての国民に平和をもたらした青年がいたとする。 その青年のした事は人殺しなのだが、はたして悪い事なのか? みたいに、善悪は一概には計れないこともあると思います。

回答No.2

泥棒は悪い事(だと思われているの)だが、やはり場合による。 そもそも人間は生きなければならない。 よって、このように他人の命が救われるのであれば、 泥棒は決して悪いことではない。 正当防衛と同じように考えられる。 ただ、質問者に同感で、 農家側の方に何も残らないぐらい盗むのは良くない。 農家側の人間にも、当然生きる権利があるからだ。

  • zongai
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回答No.1

実際盗られた側の立場になってみましょう。 ある朝起きたら、畑のキャベツが無くなっていた。 泥棒に怒り、また盗られない様に対策をとることになるでしょう。 不愉快なことだらけです。 だって、病弱な母とその子の事情なんて知りませんからね。 キャベツを食べて元気になった母とその子。 「事情が事情だから、正しい行いをしたんだよね」 と何事も無かったかの様に生活をする。 …これでいいと思いますか? 病弱の母親のために食べ物を用意するため盗みを働いた… 母親のために行動したことは美しいことだと思います。 ただ、やはり盗むことは正当化できないと思います。 盗られた側が、情で許すということもあるかも知れません。情状酌量ですね。 ただ「許す」という事は悪事であるが見逃すと言うことで正当化されるのではありまん。 罪は罪として償う、恩は恩として感謝を返す、そんな気持ちはあって欲しいですね。

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