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昭和初期の旅行事情について
昭和10年くらいから戦中、終戦直後にかけて船で国内旅行できたのでしょうか? 例えば東京から沖縄とかへ・・。旅行が無理なら東京から沖縄付近に行く方法は何かあったのでしょうか?戦前はタイタニック号の様な船が日本にも存在したかとか・・どのような事でも結構ですので旅行事情について教えて頂きたいのですが。
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日本という国は、東アジア中から船でやってきた人たちがつくった国ですから、交通は船が中心でした。 タイタニックのような豪華?客船もありましたが、国内交通に使われる船は、もっと輸送船に近い感じです。 沖縄から東京便があったかどうかわかりませんが、沖縄-大阪便は利用されていたと思います。 大阪には沖縄出身の方が多いですからね。
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- kuni1993126
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鉄道&連絡線で海外まで行けましたよ。 東京―朝鮮 東京―満州 とか普通にいけました。
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ありがとうがざいました。
- nobugs
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戦前ですと、台湾も国内なので、台湾航路の中継点として沖縄に寄航していたようです。
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ありがとうございました。 知りたい内容のご回答で助かりました。
- ipa222
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日本の船会社というと、坂本龍馬の亀山社中を乗っ取った三菱が主力でした。 三菱と合併してできた日本郵船のHPに海外航路の開拓の情報が少しでています。これを元に検索すれば出てくると思います。 http://www.nykline.co.jp/profile/about/outline.htm 大阪は、大阪港ですので、埋め立てされる前の大阪の地図があれば、港の位置がわかると思います。 戦国時代は、大阪湾から大阪城が見えたようですね。 明治までは、大阪は日本の海上輸送の核でした。 北海道の物産を新潟に運ぶのでも、一度大阪に集め、それから新潟へ運んでいたようですね。 国内だけでなく海外の航路も多かったようで、大阪に在日韓国人が多いのも、済州島との直行便があったので、戦争直後に大勢大阪に移り住んだようです。 関西でも大阪の文化が異色なのは、そうした多くの地域から人が集まっているからでしょうね。
お礼
本当にありがとうございました。 大変、参考になりました。大阪港から大阪城が見えたなんてすごいです〔笑〕 余談ですが私は神戸出身で地震のとき、長田の街の平地から六甲山が見えた時はショックでした。不必要な話をすみません・・。
私の祖父は大正時代と昭和初期の二回、ヨーロッパを旅行したとの事。第二次大戦直前までアメリカにも行き来してた様子です。開戦になったので、途中で引き返した船もあったとか。 終戦直後はそれどころではなかったと思いますが、昭和30年に上の姉が氷川丸でアメリカへ行きました。 戦争で客船、貨客船の殆どを失うまでは、結構盛んだったようです。
お礼
ヨーロッパなどにはシベリア鉄道で行っていたとかも聞きました。 どちらにせよ当事の海外旅行は大変な時間とお金がかかったのですね。 ありがとうございなした。
お礼
もう少し教えて下さい!豪華な客船で沖縄付近を航路とする船は存在しましたでしょうか? 私は大阪在住なのですが大阪のどの辺りから沖縄便があったのですか? シツこくてすみません・・以上、お分かりでしたら是非よろしくお願いします。