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徒然草第109段「高名の木登り」について、学習当初からの疑問なんですが

徒然草第109段「高名の木登り」について、学習当初からの疑問なんですが、あの当時、木登りというのは学ぶに値することだったのですか。学んで何に使うのですか。それとも、純粋な遊び、ゲーム感覚で、学ぶことだったのですか。

みんなの回答

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.5

木登りそのものを教えているわけではなく、最後まで気を抜かないという心構えを説いています。

noname#115524
noname#115524
回答No.4

いやこの造園だかきこりだかの親方は弟子の若いものにアドバイスをしているのですよ。 今でもそうなのですが、職人になるには弟子入りしてそのチームで修業しないとなれないわけです。親方が木を切る職人の弟子・部下に指図しているわけですからクライアントか見物人である吉田兼好に対して威張っているわけでは全くありません。 吉田兼好に対してきちんとした丁重な話し方をしているのは文章からわかるでしょう。 当時は高所作業車のような機械は全くありませんから、はしごを使うにせよ何にせよ、とにかく登って作業しなければ林業でも造園業でもできなかったわけです。であるならば登るのがうまい方が優秀な職人という事にもなるでしょうね。 造園業は現在と同じで専門的な職能であった事もこの話からわかると思います。 また身分が低く見られていたというのもこの吉田の文章からわかります。 吉田兼好がプロの職人の会話や仕事の進め方の中から教訓めいた物を拾い出しているに過ぎません。 つまり偉そうに言っていると感じているとすれば、それは吉田兼好の物言いに対してでしょう。「聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。」と言っているのは吉田です。お間違い無きよう。 下賎の者の実用のための木登りに対して、引き合いに出されているのはやんごとない方たちのゲーム蹴鞠で、ここには軽い皮肉も含まれているのだと思います。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

>別の深い意味があるかと思ったのですけどね。 とおっしゃいますが、その深い意味がお判りになりましたか。 木登りだって数mを超えるような木から落ちれば怪我をしたり死ぬ可能性があるので、簡単だとは言え危険ですね。ですから、簡単かどうかはこの際どうでも良いことですね。この話の心髄は、それを読む読者に抽象化能力があるかどうかを問うていることにあります。木登りはほんの例であって、「人生はどんなことでも、易しいと思って油断するときに大きな失敗があるものですよ」と言っている訳です。特別に高い教育を受けた訳でもない無い一介の職人が、このような木登りという卑近な例から人生全般に関する教訓を引き出してみせた、その抽象化能力に、兼行は感心しているのです。さあ、貴方は木登りの話から人生全般を抽象化出来ましたか。

  • cowstep
  • ベストアンサー率36% (756/2081)
回答No.2

木登りをしたのは、植木屋の職人ですから、仕事で登ったのです。 http://protozoa.blogzine.jp/diary/2005/11/post_4dd1.html

kenta1021
質問者

お礼

ありがとうございました。やはりそうですよね。でも、木登りというのはそんなに難しいことでもないし、あの師匠いやにえらそうな物言いをすると感じたので、別の深い意味があるかと思ったのですけどね。

  • makosei
  • ベストアンサー率21% (193/898)
回答No.1

植木屋さんの 伐採作業 ということです。 勉強や遊びで木に登るということではありません。

kenta1021
質問者

お礼

ありがとうございました。

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