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小学校英語必修化に反対?
- 小学校英語必修化について、反対意見の多くは「小学生には英語よりも先ず、日本語をしっかり教えるべきだ。」というものです。
- 小学校英語必修に反対する人々は、英語の学習よりも日本語の基礎力の向上を重視しています。
- 英語の学習が国語力や他の学習に悪影響を与えるという根拠は、現時点では見つかっていません。
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中国、台湾、韓国ではすでに小学校での英語教育が行われていると聞きます。グローバル化する世界経済の環境下で英語力の重要性は増しています。ますます英語力を付けるには小学校からという発想は当然と思います。 私は小学校時代に我が家にあったドイツ語の参考書を読んで(独学で)デルデスデムデンを覚えました。高校で第2外国語、大学では中級クラスでドイツ語を勉強した基礎となっています。小学校の外国語教育は決してムダではありません。 英語より国語という意見の人は国語も出来ない生徒が多いのに英語をやってどうするのかという慨嘆でしょう。国語も出来ないぐらいですから生涯英語を必要としない人は大勢います。逆に国語も英語も出来る生徒もいるでしょう。 いろいろの学力の生徒を一緒に論じることになるのがこういう議論の難しいところでもありましょう。平たくいえば勝ち組でなければ英語なんてそんなには要らないのかもしれません。 今の教育は授業時間の割に科目が多いという意見があります。公立学校を出ただけでは(塾や私立に頼らないと)良い大学には入れないなどと公立の先生の(公務員的発想による)教え方を批判する意見もあります。公務員的発想で言えば、科目を増やして中身を薄くするのではなく、選択科目を増やして中身の濃い勉強が出来るように、整理するという観点が必要なのかもしれません。しかし教員の必死さで克服出来る問題なのかも知れません。この辺は肝心の教員あるいは塾の先生などの意見を聞きたいところです。 以上、雑感ですが、とりあえず。
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- KappNets
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<アジアでは英語も中国語やインドネシア語などの要素も取り入れたピジンイングリッシュがもっと普及してくるのではないでしょうか?> http://www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/tsushin/report/020.html に議論されていますが、インドでは「外国から次々と導入された新しい技術や思想を表現する語彙」がインド語にはなかったため英語を導入したという経緯があるそうです。そういえば日本では明治の初め(江戸の終り)に西欧の学問の概念(社会科学、自然科学の用語)を必死に漢字に置き換える作業をした学者がいてくれたせいで日本語だけでかなりやれているのですね。 ところでインドではまだ一部の学校のようですが、英語に引き続いて日本語を小6から教えることを始めたそうです。(中学からはさらにフランス語、ドイツ語、ポルトガル語など9つの外国語)漢字が難しいので早く始める必要があるとの考えがあるそうです。 ベトナムでもインドと同じような時期に日本語教育を導入しており、マレーシアはこれまで一部の学校に限られていた日本語教育を、全ての中等教育機関へ導入する方針を打ち出 しています。 どこの国も必要とあれば国際交流に必要な外国語の早期習得に力を入れます。これまで日本語だけで済ませてきた日本もグローバル経済の影響で企業の海外展開が進んでいますし、少子化も相まって国際化は進むと考えられますから、日本語だけではあんかんとしていられません。老後をインドネシア人の看護士に看取ってもらう日も近そうです。こちらとしても英語の医学用語も勉強しておく方がよいかも知れません。 < 私の場合は、中学生でロシア語の参考書を読みましたが、難しすぎて 最初の段階で挫折しました。> 私がロシア語に接したのは大学に入ってからです。昔はソ連が輝いていましたから引かれる部分がありました。しかし文字の読み方(発音)を覚えた位で挫折しました。おそらくいわゆるローマ字と字体が違うためにロシア語とギリシャ語は余分に取っ付きにくいのですね。もう少し早くから取り組んでいれば違ったかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 >しかし文字の読み方(発音)を覚えた位で挫折しました。 いや、キリル文字とかギリシャ文字はラテン文字とも類似性があるし、まだいいほうですよ。 タイ文字とかアラビア文字なんかはもう大変です。でも、これは外国語を文字から入ろうとするからです。英語だって、本当は音から入るべきなんですがね。
- KappNets
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>グローバル化する世界経済の環境下で英語力の重要性は増しています。 <英語の重要性は現在がピーク期で、あとは日本の人口のように少しづつ低下す るかもしれませんね。> 大上段にかぶればいろいろ議論出来ますね。エスペラントなんていうのもありました。 中国では広い国土のため中国語では通じないで英語でやり取りすると聞きました。アジアでは現実に英語が共通語になっていると思います。 なお、欧州人は似た言語なので英語の勉強は苦でないようですし、将来スペイン語に転んでも大丈夫です。アジア人が大変なのですね。英語でずっと行きたいものです。 >私は小学校時代に我が家にあったドイツ語の参考書を読んで(独学で)デルデスデムデンを覚えました。 <へえ、すごいですね。> すごくはありません。誰に強制されたわけでもありません。幼子の興味です。小学校の英語教育に期待されているものはそのような「外国語に対する興味」を幼いうちに植え付けることだろうということを申し上げたかったのです。ピアノは早いうちに習うとよいようですが、同じではないかと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 >中国では広い国土のため中国語では通じないで英語でやり取りすると聞きました。 これは一般的ではありません。中国語は色んな方言に分かれていると言われますが、90%以上の人は普通話を理解できます。むしろ、アメリカ人で英語を話せない人の方が多いかもしれません。その意味では 日本人とアメリカ人がスペイン語で会話する方が多いかもしれません。 >アジアでは現実に英語が共通語になっていると思います。 アジアの国同士は意外と国境の垣根が高いんですよ。タイなんかは日本よりも英語が通じないくらいです。また、一応は英語を公用語にしているインドやパキスタンでさえ、英語を上手に操れるのは一部の高等教育を受けている人たちだけです。尤も、小学校さえロクに通わなかった子供たちは母語さえ読み書きが十分にできません。それと、アメリカの凋落と共にアメリカの英語もローカル化し、アジアでは英語も中国語やインドネシア語などの要素も取り入れたピジンイングリッシュがもっと普及してくるのではないでしょうか? >なお、欧州人は似た言語なので英語の勉強は苦でないようですし、将来スペイン語に転んでも大丈夫です。 フランスとかブラジルなんかは、かなりスペイン語を重視しているし、英語よりも母語に近いので むしろいいくらいでしょう。 >すごくはありません。誰に強制されたわけでもありません。幼子の興味です。 私の場合は、中学生でロシア語の参考書を読みましたが、難しすぎて 最初の段階で挫折しました。
- Kules
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Kulesです。 何やら私の回答がすごい噛みつかれ方をしてて、 「何くそ!」と思って自分の回答を見返すと 私の文章に問題が多々あることに気付き… これも私の「国語力」のなさが原因でしょう(「表現力」というべきか?) とりあえず、 ・私の前回の回答はかなり大風呂敷を広げた内容である ことを謝っておきます。 特に >まずは現実社会での生活に耐えうるだけの国語力を付けることが の辺り(笑)まあこれも私の中では嘘ではないんですが、この表現の仕方 であれば誤解されるのも当然です。 ひとまずは、 「現実社会での生活」→「中学までの勉強をスムーズに進める」 と読み替えていただければよいかと。 昔小学生~高校生ぐらいのお勉強を教えていた時期もありますが、 算数ができない人、数学ができない人は大抵国語もできないです。 国語も数学もできない人がなぜ数学が出来ないかと言えば、 ・教科書に書いている意味が理解できない。 ・問題集の解説に書かれていることが理解できない(数式がわからない、とかではなく) こういう人は、計算の反復練習をしようが、問題集を何度も解こうが無駄です。 少し毛色の違う問題が出たら太刀打ちできません。 英語嫌いな私も含め、日本人の大半は思考回路が日本語で出来ています。 ということは数学を解く時の思考回路もおそらく日本語で出来ているでしょう。 この日本語をうまく操れないようでは数学ができようはずもありません。 もちろん国語が出来るんだけど数学ができない人もいますが、この人が 数学が出来ない(点が取れない)理由は別にあります(計算が致命的に遅い、とか)。 と書いた時点で「国語の勉強をしたら日本語をうまく操れるようになるのかよ」 みたいな指摘も受けそうですが、まあそこは「できるようになる」ってことにしときたいと思います。 こんな感じで、中学まで(高校まで?)の勉強をスムーズに進めるにはやっぱり 国語力は大事だよね、と私は思います。 で、 >完璧を求めていたら誰も一生外国語学習はできないということになりますが? >日本語を100%理解し、漢字も全部覚えていて、パーフェクト! >手紙のマナーも尊敬語も謙譲語も完璧! >そんな日本人、いるんでしょうか? >もしくは、そうならないと、社会に出て働いてはいけない、ということですか??? まあ何でも極端な例で話すということは嫌いではないですが、 そういうことではなく、「100%はできなくてもいいけど、10%ぐらいで先に進まれてもなあ…まあ 50%ぐらいは出来るようになってから次のことを考えようよ」ってことです。 (極端な意見のように受け取らせてしまったのは私の日本語力のなさのせいなので、 自分自身を責めるしかないんですが^^;) ここで再び、 >まずは現実社会での生活に耐えうるだけの国語力を付けることが の話に戻りますが、 「現実社会での生活に耐えうるだけの国語力」というものを もし私自身が定義するならば、 「自分の考えていることを正しく相手に理解してもらえるように表現することができ、 かつ相手の伝えようとしていることを正しく理解できる力」 となります。 で、これがないと命を失うようなことはめったに起きないでしょうが、無用な 誤解を招いたり、誤解することは起こるでしょう。 >では、たどたどしい日本語を話しつつも、 >日本で働いてる外国人労働者の方々はどうなるのでしょうか? 英語圏の人が日本人に対して、(よっぽどその日本人が英語が達者か、あるいは 英語ができない日本人を馬鹿にするような意図がない限りは) わかりやすい、平易な英語を話してくれるのと同様に、 たどたどしい日本語を話している外国人労働者の方に小難しい日本語などを 使うことはあまりしないでしょう。 誤解を招く表現をしておいて、相手が誤解したら 「あいつは日本人の心がわかっとらん」というのは筋違いです。 そういった関係の中では相手にちゃんと伝わるよう努力しますし、相手の 表現が間違っていても何を言いたいのか理解するよう努力すると思います。 ただ、日本人同士ではそれをあまりしようとしない人が多いようで… 私の考える「国語力」を持つには小学校~中学校までに学ぶ 「ある程度の」国語の知識がなければ話になりません。 だからこそ、これができてないのに国語などの勉強時間を減らして 英語をしようというのは話が違うかな、と思います。 …とここまでつらつらと書き並べましたが、これも私の 表現能力が不足している以上これを読む皆様に私の考えを 正しく理解してもらえる保証はないわけで… 日本語って難しいですね。 長文失礼しました。参考になれば幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 >昔小学生~高校生ぐらいのお勉強を教えていた時期もありますが、 算数ができない人、数学ができない人は大抵国語もできないです。 そういう人は、机の上での勉強全般が苦手なんでしょう。でも、ある程度学力の高い人だと 数学は得意だが、国語は苦手だとか、またその逆も少なくありません。 >だからこそ、これができてないのに国語などの勉強時間を減らして 英語をしようというのは話が違うかな、と思います。 減らすとしたら、国語でなく、音楽とか図工でしょうね。むしろ、音楽や図工は課外授業に回し、専門の先生がついて、学年を超えて楽しく情操教育をした方が、本来の目的を果たせると思いますが。
- Mokuzo100nenn
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こんにちは。 私の回答を書いてよろしいですか? まず、論点を整理しましょう。 過去に必須でなかった教科を新たに必須にするとき、質問者さんの論点整理は必須になる英語の効果のみに注目し、その影響で失われる部分を無視・軽視しするようになっています。 小学校英語教育必須化に反対、あるいは疑問を呈する人々は、必須化によって失われる他の教育効果を無視できないからなのです。 なにが失われるか考えてみましょう。 犠牲1:まず、小学校教育の予算全体は増額されないので、英語教育予算を捻出するために他の活動、これは算数の時間かもしれませんし、理科、社会、体育の予算かもしれませんが、これが削減されます。これを一つ目の犠牲としましょう。 犠牲2:つぎに、小学校の教員は英語教育の研修を受けていないので、英語研修を追加せねばならす、タダでも多忙な小学校教員が子供の事を考える時間や子供と一緒に過ごす時間を犠牲して英語教育実習を受ける。これが二つ目の犠牲です。 犠牲3:教育サービスを提供する側だけではありません。教育される側も一週間、一年間の教育時間がきまっているなかで、新しい必須科目を学ぶため従来からあった算数とか理科とかその他の時間を潰します。これが三つ目の犠牲です。 さて、小学校の英語教育必須化に賛成の方々は、上記の犠牲1、犠牲2、犠牲3のことを十分認識しているのでしょうか。 英語の教育をしてプラスの部分があることは論を待ちません。 ブラス部分の議論だけでよいのであれば、中国語教育を必須にしてもプラスだし、ロシア語教育を必須にしてもプラスです。 中国語教育やロシア語教育の必須にしようなどという暴論を聞かないのは、私たちはみな、プラスの面よりもマイナスの面(上記の犠牲1、犠牲2、犠牲3)が大きいから差し引き反対と言う事だと思います。 議論を一歩進めてよろしいですか? 小学校二年間の英語教育のプラス面を本当に享受して、私たちの世代では困難であった流暢な英語での自己表現ができたり、インターネット情報を存分に活用できるようになる子供たちは全体の何パーセントだとおもいますか? 今の日本人の大人のうち、英語で自由に自己表現できる大人が5%いたとしましょう。 小学校での英語教育必須化の効果として、英語で自己表現できる大人が10%に増えるとしましょう。 つまり、教育制度の変更によって5%の子供が実質的メリットを享受するのに対して、上記の犠牲1、犠牲2、犠牲3は100%の子供に影響するのです。 もちろん、ここで上げたパーセントは私の勝手な思い込みであり、文部科学省の専門家たちはもっと大きなパーセントの子供たちが実質的(差し引きの)メリットを享受できるとはじいていると思います。 東京湾横断道路の建設の時も、本四架橋の建設の時にも、大変大きな交通量が見込まれ、費用対効果はおおきなプラスだったですよね。 いつだって、役所は新しいことを始めるときには大変大きな効果を”予測”します。 そうでなければ実行計画は承認されないですからね。 私は、日本の大人たちの5%しか、英語で自己表現できない状態は問題だと思っています。 でも、この問題を解決する方策として、小学校での英語教育必須化が有効だとは考えていません。 小学校教育に期待するのは、すこし前の日本みたいに、子供の算数力などで世界をリードする教育です。 ゆとり教育を改め、(母国語の)読み書きと算盤(算数)をきちっと教えてもらいたいです。 あとは、たくさん遊ぶ時間を確保して、体を鍛え、喧嘩のやり方なども身につけてもらいたいと思います。 そうすることで、国際社会で立派に活躍する日本人の基礎ができあがるからです。 以上です。私の回答をお読み頂きありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 すばらしい回答ですが、詳細なコメントは遠慮させて頂きます。
- maso_nyan
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二回投稿してすいません。 あまりに意味不明な意見なので、これ↓ >>まずは現実社会での生活に耐えうるだけの国語力を付けることが この意見について、もう一つ思ったことがあるのですが^^; では、たどたどしい日本語を話しつつも、 日本で働いてる外国人労働者の方々はどうなるのでしょうか? 私の友達に帰国子女や移民の方などいますけど 彼らは、現在、立派に働いてますが。 日本語を100%理解し、漢字も全部覚えていて、パーフェクト! 手紙のマナーも尊敬語も謙譲語も完璧! そんな日本人、いるんでしょうか? もしくは、そうならないと、社会に出て働いてはいけない、ということですか??? 考えれば考えるほど、混乱してしまいます((((;゜;Д;゜;))))
- maso_nyan
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1990年代から他のアジア国では、会話中心の英語教育が開始されており、取り残されている日本は現在、『母語しかできない恥ずかしい後進国・言語においては非国際的国家』です。 英語教育を小学校から導入している国の人たちの母語には影響は出ていません。 子供時代は母語だけでいい、と主張する人は以下のタイプです。 ・右翼思想の人 ・頭悪くて勉強が全体的に出来ない人 ・学生時代、英語が嫌いで泣いた英語コンプレックス人間 ・「日本がまだかなり経済大国であり、それが続く」と勘違いしている人 子供の頃から英語に触れてない子と触れていた子では、高校卒業後、英語学習をあわててやったとき、歴然と差がでます。特にリスニング能力は格段の差が出ます。 記憶力が良い、学習能力が飛躍的に良い子供時代に外国語をやらないとは、愚かな考えです。 他の方のご意見ですが… >国語をしっかり学んできたはずなのに、 >十分な国語力がついているとは言い難い。 英語を母語としているネイティブの方々も、完璧な英語を話してないのです。当然、彼らもスペルミス、言い間違えや、文法ミスをするのですよ。 完璧を求めていたら誰も一生外国語学習はできないということになりますが? >まずは現実社会での生活に耐えうるだけの国語力を付けることが これを読んで驚きました。 知的障がい者ではない限り、生活に耐えうることができない低い国語力を持つ日本人に出会ったことがありません。 よく、子供の英語学習反対者が言う屁理屈の一つに、 「敬語や謙遜語がわかってない人が増えた」 などがありますが、敬語や謙譲語をミスするくらいなど、周囲が指摘し、本人が学習すればすぐに直ります。ただそれだけのために、学習力が優れた子供時代に外国語学習をしてはならないなど、愚かな考えです。
お礼
回答ありがとうございます。 このサイトは真面目な人が多いですが、同時に、物事を極端に考えがちな傾向にあるようです。 例えば、肥満ぎみの人に「もう少し食事を減らして、間食を止めた方がいいよ。」 とアドバイスすると、 「じゃあ、絶食しろというのかよ。」 と反論するのに似ています。 私の案では、現行の小学6年・中学3年のシステムの他に、小学5年・中学4年のシステムを導入するのも悪くないと思います。そして、後者のシステムなら英語の学習開始が現行より1年早まります。
- Kules
- ベストアンサー率47% (292/619)
私は小学校英語必修について反対です。 そして、反対意見としては「小学生には英語よりも先ず、日本語をしっかり教えるべきだ。」 というものです。 しかし、この反対意見を掲げる理由は >先ず、小学生に英語を教えたからと言って、国語力の足を引っ張ることは考えにくいからです。つまり、英語を覚えた分だけ、日本語を忘れるということは、私たちが普通に日本で生活している限りにはありえないからです。 というものではありません。 ではなぜ「小学生には英語よりも先ず、日本語をしっかり教えるべきだ。」 と考えるかと言えば、 「小学生の時英語が必修ではなかった今の子供たち(私は20代半ばですが私も含まれると思います) は国語をしっかり学んできたはずなのに、十分な国語力がついているとは言い難い。」 からです。 現状の教育で「国語力は通常求められるレベルを遥かに超える力を付けるような教育が出来ているので、 その余剰の時間を使って英語もやろう」ならわかります。 しかし現実そうではない以上、まずは現実社会での生活に耐えうるだけの国語力を付けることが 先であり、英語教育をするかどうかの議論はその後にすべきです。 国語力がない、ということばをどの程度のものを想定して言っているかによって 話は変わってきますが、日本語で義務教育をしている以上 国語力がなければ他の全ての教科にも影響を及ぼします。 文章を読み解く力がなければ算数や数学も解けないでしょうし、 社会の教科書を読んでも中身を理解することができないでしょう (ひょっとしたら読むことすらできないかも?) ということで、 「まずは国語が十分なレベルまで達してから、英語をどうするか考えよう」 ぐらいのスタンスを取る必要があると考えます。 ただし、他の文化に触れるということはいいことですし、それを低学年でやることのメリットも 否定できません。 あくまでも「英語を学ぶ」のではなく、「英語に触れる」ぐらいのものならいいかと。 がっつり週3とかでやる時間があるなら、その分国語をした方がいいと考えるものです。 長文失礼しました。参考になれば幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 >「小学生の時英語が必修ではなかった今の子供たち(私は20代半ばですが私も含まれると思います) は国語をしっかり学んできたはずなのに、十分な国語力がついているとは言い難い。」 よく、英語教育のあり方だけが批判の槍玉に挙げられますが、見直すべきは国語からだと思います。そして、これは多くの人が気付かずにいますが、国語教育は文学偏重で、日常の言語生活に即していない点が挙げられます。例えば、外国人が日常生活で必要な日本語を覚えるのに、小学校の国語の教科書を題材として使うには 無駄が多すぎるんですよ。 それに、学校で習う国語は 純粋な「日本語力」だけでなく、文学作品に作者に共感したり、模範的な感想を持つことが要求されます。一方、学校の英語では英文和訳が大きなウェイトを占めますが、英文を訳すにしても 適切な訳語を選び、日本語の論理に合うように訳文を作る作業は意外と高度な国語力が要求されますが、これは学校で習う国語とも方向性が違うものであり、その点では 国語よりもむしろ英語の方が ある意味 純粋に「国語力」を測るバロメーターになるんです。
- kybos
- ベストアンサー率31% (187/591)
No.2補足 ちなみに、自分の経験から言うと、日本語が読み書きの能力があまり高くない人に翻訳をさせると、かなり読みにくい翻訳が出来上がってくる。 これを、純粋に国語の問題であって英語でコミュニケーションをする分には問題はない、と捉えることもできるかもしれないけど、そういう人は英語でのコミュニケーションもあまり得意ではない。 まあ、賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶというから話半分に聞いてもらっていいんだけど。 そう考えると、日本人である以上、日本語を読んで知識や論理的な思考力をつけることが多いんだから、国語力を高めるのが第一というのにも一理あると思う。 これは「第二以下はすべて排除」ということじゃないからね、当たり前だけど。 まあ、なんだかんだ言っても結局はリソースの配分の問題であることは明らかで、「なんのために英語(他の外国語でもいいけど)を勉強するのか」という目的論がないと、あまり実のある議論にならないような気がするなあ。
- kybos
- ベストアンサー率31% (187/591)
>英語の得意な人は国語力も平均より高い傾向にあるように感じます。 これがかりに事実だとしても、それは言語一般の扱い方が丁寧だとか、言葉に対する感覚なり意識が優れているということからくるのかもしれないね。 そうだとすれば、これは英語を勉強しても国語力がおろそかにならないという主張の裏付けにはならない。 そういう人が英語を勉強せずにその時間を国語の勉強に充てればさらに国語ができるようになっていたかもしれないという可能性を排除できないからね。 >小学生に英語を教えたからと言って、国語力の足を引っ張ることは考えにくいからです 小学校の授業時間は限られているわけで、英語を勉強する時間を国語に充てた方が国語力が高まると考える方が自然じゃないの? >国語が苦手な人に限って英語がめっぽう強いとか、また逆に 国語の強い人は英語があまり出来ないというような裏付けが全くないからです。 そりゃそうだと思うけど、それは勉強する人どちらも勉強するし、しない人はどちらもしないからというだけの話だと思う。 小学校英語必修化については、賛成なんだけど、程度問題という感じ。 毎日やればできるようになるかもしれないけど、それだとリソースの配分の仕方が間違っているような気がする。 週に1回ぐらい英語を教えたところで、英語ができるようになるわけがない。 ただ、日本語と全く違ったシステムの言語があるということを感じるだけでも意味はあると思うから、やるとしても週1回ぐらいでいいと思うね。 >英語を覚えた分だけ、日本語を忘れるということは、私たちが普通に日本で生活している限りにはありえないからです。 「忘れる」というのはいったん覚えてからの話。 問題は「覚える」こと。 英単語を覚える時間を割く分だけ、漢字を覚えたり小説を読んだりする時間が少なくなるのは確かだよ。
お礼
回答ありがとうございます。
- ea758317
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必修とは思いません。確かに英語の勉強は大事だと思います。ただ英語を教えたからといって、英語ができるとは限りません。頭の柔らかいうちに英語を覚えるのは、大人になって覚えるより早いし吸収しやすいと思います。しかし、勉強の嫌いな子は子供の頃から勉強が嫌いです。英語が勉強したいので、あれば学習塾もありますので、子供にも自分の意思で選択させるという自主性を尊重したいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 >英語が勉強したいので、あれば学習塾もありますので、子供にも自分の意思で選択させるという自主性を尊重したいですね 英語に限ったことではありませんが、教育には二つの側面があります。一つはea758317さんも仰っているように、子供が自主的に学びたいことを学ぶことと、もう一つは国が政策的に国民に一つの基準で統一されたことを教え込むことです。共産主義や原理主義の国家は後者に偏り過ぎていますが、後者の比重があまり低すぎても問題があります。文部科学省が教育要綱を細かく定めず、民間主導の教育施設に教育を委ねたら どうなるでしょうか? 貧乏人の子供は教育を受けられなくなるし、また、教育内容も教育施設によって非常にバラつきができて、しいては日本人のアイデンティティーさえ危ぶまれかねません。
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お礼
回答ありがとうございます。 >中国、台湾、韓国ではすでに小学校での英語教育が行われていると聞きます。 それらの国は英語だけでなく教育全体に力を入れています。平均的に1日の授業時間も多いし、土曜日も授業があります。 >グローバル化する世界経済の環境下で英語力の重要性は増しています。 英語の重要性は現在がピーク期で、あとは日本の人口のように少しづつ低下するかもしれませんね。 それと、英語カブレの人はよく「グローバル化」という用語を唱えますが、グローバル化の目指すものって具体的には何でしょうか? ヨーロッパなら、グローバル以前に 歴史的にも経済的にも文化的にも深い繋がりのある近隣の国同士が結束を強め、国境を自由に行き来できるようになり、通貨を統合しました。そして、フランスとドイツが一応は主導的役割を担っていますが、各国は平等な立場にあります。また、各国の言語を公用語に定め、英語に統一という方向には進んでいません。しかし、日本の場合は韓国や中国などの近隣諸国を差し置いて、アメリカとの関係を重視し、だからと言って、日本も円を止めてドルに切り替えるとかという考え方は一切なく、 ただコミュニケーションとしての英語力のレベルアップを図るだけのような気がします。 >私は小学校時代に我が家にあったドイツ語の参考書を読んで(独学で)デルデスデムデンを覚えました。 へえ、すごいですね。