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神仏が、愛、真、善、美である、ということを証明できますか。
神仏が、愛、真、善、美である、ということを証明できますか。 また、神仏が全知全能である、ということを証明できますか。
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神は全能 というのは西洋の神の概念ですよね。 日本の場合、自然を神としている。 神は全能と聖書に書かれているが、何時頃からそれに全知 というオプションが付加されたんでしょうね。 聖書の創世記でもアダムとイブが隠れていることを神は知らなかったし、蛇に誘われて知恵の実を食べたことを最初わからず、前隠していて恥ずかしいという態度をアダムとイブがして「もしかして、、、」と推測し、推測に沿って質問して、事実を知りえたとなっています。 これ、人間もやっていること。 全知ってオプションが付加されることになったのは、エジプトの宗教が影響しているんじゃないかと。 鳥を信仰しており、鷹とかを神の使者としており、翼を広げると〇がいくつもあるので、目に見えて、それで全身目だかけの翼にある神の遣いケルビムという概念ができあがったんじゃないかと。 そこから神は人間を監視するように天使に命令し、天使が常に人間を空から見張っているとなり、天使が人間のやったことを神に報告するので、神は人間がやったことを知ることができるとなり、全知ってことになったんじゃないかと。 魂を鳥が空高く運んでいくとかありますし、これはエジプトの鳥を神の使いだとしたことに由来するのかも。 で、万物の法則がどれだけあるのかは知りませんが、条件が万物の法則に沿えば起こるし、条件が違って万物の法則に無いなら起こらない。 場合によって同じ条件でも起こるときと起こらないときがあるなんてカオスは万物の法則には無い。 古代エジプトでは、全く善の世界を、、、、なんだっけ? イデアと呼んだらしいです。 アイデアの語源がイデアかな? で、そこは全くの善の世界なので有限の代表である死は無い。 その全くの善の世界に人間はもともといたが、肉体という有限(死ぬから有限)の器に入ったことから、全くの善でありながら、悪いこともするようになった と古代の人は解釈した。 でも有限の肉体が滅びれば、有限から脱出して全くの善なので、永遠に行き続けることができる とした。 まったくの善を神として、仏は有限の肉体を捨てた者だとすれば、、、、 それも万物の法則通りで、万物の法則から逃れていないわけで、万物の法則に合致しないものは存在不可能なので、結局万物の法則がすべての源なんじゃないかと。 万物の法則に合致することは、そのようにしかならない。 すれがすべてで例外は無い。 例外は存在が許されないから、例外は起こりえない。 万物の法則は全能。 地球だって、生命の誕生する万物の法則の条件に環境が合致したとき、生命が誕生したわけでしょ? 万物の法則は人間のようにえこひいきしない。 交渉も脅しも通じない。
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- sotom
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また、オマエか。 そんな事は少し考えたら分かるだろうに・・・。 全知全能なんて存在するわけない。 「絶対に言う事を聞かない者」を神が創造したとしよう。 言うことを聞かせられた場合、それは初期不良である。 言う事を聞かせられなかった場合、それは万能性を否定する事になる。 くだらない質問をする前に、自分の考えを書け。第一、神仏と一括りにしている時点で 学がない。女神転生でもプレイして、色々な神話に目を通してみたら?