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「わたしは賢人である」

「わたしは賢人である」 と 「わたしは賢人などではない」 といった主張は両立するでしょうか?

みんなの回答

noname#114400
noname#114400
回答No.7

卑怯者には両立すると思いますね。 自己撞着とも表現いたしますが、結局は賢人であることを誇示なさりたいのでしょう。

回答No.6

 回答するなら、質問者の“意図”を推理したい。  という思いから、再度回答を試みれば、  一人の人間が、「わたしは賢人である」と内心“うぬぼれている”にもかかわらず、表向きには「わたしは賢人などではない」と主張する人をしばしば見受けるので、皮肉を込めて「本当に両立なんてするのだろうか」と疑問を投げかけたのです。  と、思います。  誰もが持っているこうした心理を上品に表現した単語があります。  それは“謙遜”。  日本人はこの心理を美徳と受けとめています。  でもこうした質問を投げかけられると、  “謙遜”って、美徳?なんて思ってしまいますね。

回答No.5

比較対象が明記されていない以上、両立可能でしょう。 わたしは(◎◎と比べて)賢人である わたしは(◆◆と比べて)賢人などではない

回答No.4

一番必要な食べ物は塩である、と一番不必要な食べ物は塩である、は両立するのでしょうか。

noname#112522
noname#112522
回答No.3

両立しない気がします。  それは、本当の賢人は「自分を賢人だとは“思っていない”」からです。

回答No.2

 右利きの人は  ☆右足で賢人を主張し左足で愚人を主張する。  左利きの人は  ☆左足で賢人を主張し右足で愚人を主張する。    大多数の人はこの二本足で行動しています。  なので、答えは、両立“させてます”。  私は勿論のこと、たぶんsannbakaさんも。  本当は両立したら‘矛盾’です。だから“させている”のです。  ・・・・・・気づいてますか?  

回答No.1

 おはようございます。  両立するでしょう。  程度問題だと考えますから。  ただ 或る一定の時点(時期)だけを取ってみれば その程度問題の程度に確かな差があるのも 実際だとせねばならないとすれば どうなんでしょう?  どうですかね。  ★ 「わたしは賢人である」と「わたしは賢人などではない」  ☆ との・その時点での 差は けっきょくその時点その場でと言っていいほどただちに 埋められ得るものだとも捉えます。その意味では かめはうさぎに そのつどただちに追いついている。こう言っていいのではないでしょうか?   だとすれば 両立する という答えになります。  どうでしょう?

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