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日露戦争203高地の質問です。

日露戦争203高地の質問です。 ロシアは、203高地が陥落する直前に、旅順港から旅順艦隊が外洋に出してしまえば、203高地を陥落させた事自体が無意味となります。 ロシアは203高地を必死で守っていた(戦術的意味を知っていた?)にも関わらず、なぜ陥落前に旅順港から旅順艦隊を外洋に避難させなかったのでしょうか?

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  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.3

複数理由があります。 1 旅順は太平洋艦隊の基地であり、その機能が十分であったこと。 2 ウラジオストックが太平洋艦隊まで収容する基地機能不十分であったこと 3 よって、日本側と決戦、脱出を図ることよりも、本国からの第2太平洋艦隊(バルチック艦隊)の到着をまち、合流を図った。 脱出は試みています。名将の誉れ高いマカロフが赴任し、出撃、日本艦隊との対決を図ったのですが、不運なことに彼が座乗した戦艦が日本の機雷に触れ、爆沈、戦死してしまいます。 士気が落ち、決戦よりひきこもりが方針となりますが、極東総督アレクセイエフ大公が脱出を命じました。そのとき発生した、黄海海戦がその中でも最大のものです。この時はほとんどまぐれで、旗艦ツェザーレヴィチの艦橋に直撃弾を受け艦隊機能が喪失してしまい、失敗しています。 また、ロシア側も203高地の重要性に気づき、防衛を試みています。 ただ、旅順にいた艦隊の艦砲、水兵も要塞防御に転用していたので、その時点で艦隊としての能力は喪失していたともいえるでしょう。

swanpman
質問者

お礼

ありがとうございました。 三つのご説明、とても納得の行くものです。 ひきこもりか脱出かを考慮し、決断の結果ひきこもったのですね。

その他の回答 (4)

  • Takuya0615
  • ベストアンサー率21% (329/1502)
回答No.5

>ロシアは203高地を必死で守っていた(戦術的意味を知っていた?)にも関わらず、なぜ陥落前に旅順港から旅順艦隊を外洋に避難させなかったのでしょうか? 203高地陥落前にすでに旅順艦隊は全滅でした。 が、海軍は正確な情報が欲しいと陸軍に無茶振りしました。 じゃ、旅順港が一望できる203高地を攻め落としなさい、と陸軍に要請しました。 乃木希典大将はこの作戦に乗り気ではなく「将来ある兵士を死なせてしまった」と心を痛めていたそうです。 こういういざこざがあった為戦後の日本の軍隊幹部候補の某大学校は陸・海・空が同じ釜の飯を食っている中にしたいが為同じ学校で学んでいるわけです。 ロシアが必死で守っていたのは少しでも日本の兵力を削りたいが為のことだと思います。 要塞だったので少しの兵力で大打撃を与えられるからではないでしょうか。 余談の方が多くなりましたがこんな感じでよろしいでしょうか?

swanpman
質問者

お礼

ありがとうございます。 「203高地陥落前にすでに旅順艦隊は全滅でした。」 とのこと、それならば外洋に避難できるはずはありませんね(^_^;)。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.4

すでにでていますが脱出戦をしかけて失敗したのが黄海海戦です。 そして旅順戦の時期になるとウラジオストックは結氷期を迎えますので、逃げるといってもどこにという問題があります。 中国の港は中立港ですので、滞在できません。 最寄の同盟国の港はカムラン湾になりますので、遠すぎますし整備能力もありません。

swanpman
質問者

お礼

ベトナムのカムラン湾ですか…! それは確かに遠すぎますね。 あれから少し考えたのですが… 私ならば(私の性格ならば)…、203高地が落ちた段階で無駄かもしれませんが、再度の脱出戦を試みたとおもいます。(^_^;)。

  • toro321
  • ベストアンサー率29% (1222/4138)
回答No.2

そもそも、旅順は日本陸軍に攻撃する気はなかった。 ロシア太平洋艦隊が、黄海海戦後に閉じこもってしまった。 バルチック艦隊が来るのを待つ戦略にしたわけです。 太平洋艦隊とバルチック艦隊が合流すれば、日本の倍の艦隊になりますから、日本は太平洋艦隊を撃滅しておきたかった。でも、相手は出てこない。 そこで陸軍により背後から攻めてもらい、あぶりだす作戦に出た。 戦略的には、203高地を占拠して砲撃監視所を設ければ、28サンチ榴弾砲で山越に撃てますから、要塞の攻撃の必要などなかった。 ところが、第3軍は要塞を正面攻撃して、損害を膨大に膨らませます。 ちなみに、何度も旅順からロシア艦隊は出て、小競り合いは起きてます。 実質は、203高地が落ちて、砲撃された時には、艦隊としての能力はほとんどなかったようです。 また、旅順のロシア守備隊には、艦隊がいるから責めらるんで、艦隊に出て行くようにののしったということも起きてたようです。

swanpman
質問者

お礼

ありがとうございます。 ロシアは立てこもっていたのですね。 また、203高地が落ちて砲撃された時には、艦隊としての能力はほとんどなかったとは、驚きです。 旅順のロシア守備隊は、いい迷惑でしたね。

  • 3204
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回答No.1

それは日本連合艦隊が、旅順港外で必死で旅順艦隊の撃滅を望んでいたからです。 当時の情勢は、日本が勝利するためには、まず旅順艦隊の機能をなくすことが先決でした。 だから、旅順港の封鎖作戦などをしていました。 逆に日本は、旅順艦隊が港外に出てきて決戦をしたかったのです。

swanpman
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、旅順港から船を出すと不利だとロシアが知っていたと言う説ですね。

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