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日露戦争当時の樽に入ったセメントの重さは何キロか。

1900年頃日露戦争で旅順二百三高地を攻めた日本軍が全滅したと言うロシヤ軍陣地は大量の セメント使われたと言います。樽に入ったセメントの重さをどなたか教えて下さい。

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noname#199520
noname#199520
回答No.2

樽と合わせて350kgです、今のドラム缶とほぼ同じです

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質問者

お礼

素晴らしい回答頂きましてありがとう御座います。この重たい樽入りセメント運ぶのに、現代のようにリフトが無い時代どうして運んだのか、樽もセメントの重さで転がすと潰れると思うのですが、どんな手段がが有ったのか教えてください。ありがとうございました。

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  • okormazd
  • ベストアンサー率50% (1224/2412)
回答No.1

製造時期や製造所によって大きく違うようです。 ロシヤの情報はわかりませんが、下記のようなものがあります。 野島崎灯台建設(1870年 明治3年)に使われた海外製のセメント1樽は、400ポンド=約180kg(正味か?)らしい。 www.shimz.co.jp/tw/sit/report/vol87/pdf/87_017.pdf 深川工作分局でたぶん日本で初めて(1875年 明治8年)製造されたセメントは、1樽135kg(正味)とされているようです。 www.jtccm.or.jp/library/jtccm/public/mokuji12/1208_rensai.pdf 笠岡港(岡山県)の明治年間から大正末まで力比べで担いだセメント樽は、50何貫とされるから、190kg以上(正味ではない)ほどと思う。 www.tok2.com/home/ryutaroh/Kasaoka/ChikaraIshi/ChikaraIshi.html 立山砂防工事の荷揚げで、明治39年、ボッカは60kgのセメント樽の上に他の荷物も載せたということなので、1樽60kgです。 http://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/truck/ いろいろなてデータがあるが、日本では135kgほど、海外(ロシヤ)なら180kgではなかったかと思います。立山の60kgは、山道を運べるように小型化したのではないでしょうか。

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