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よく聞く『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか?
よく聞く『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか? どうも戦国時代頃を調べていると、そんな逃げた人を追っかけまわして処罰するなんてことは できるように思えません。 また、当時の「忍者」にあたる人たちは、多くが半傭兵のようなものらしいので、 逃げようと思えばいつでも逃げれそうに思えます。 実際に処罰されたような記録があるのであれば、 是非教えて下さい。 また、 忍者集団においてよく聞かれる「掟」なるものについても知ってる方が いらっしゃったら是非教えて下さい。
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戦国時代に信長が人生50年と詠った敦盛が有名ですが、一般人はそこまで生きませんでした。 松尾芭蕉が翁(お年寄り)と呼んだ人はなんと40歳です。 実は近代、それも明治初期頃まで40歳を超える事は難しかったのです。 現代の医者が書いていた記事を読んだのですが肉の摂取以外は完璧な食生活だったそうです。 そこに明治に肉を食べる習慣が入り(牛なべとか教科書で見てるはず)戦後更に肉を口にする機会が増えて一気に長寿国家になったのが実情です。 もちろん医学の発展もありますが。 話を元に戻すと戦国時代の一般人の平均寿命は35歳前後(諸説有ります) いまでいう成人式が13歳前後(元服と言います) 修行や隠居を考えると活動期間はMAX10年というところでしょうか。 飛脚という言葉をご存知ですか?現在の佐川急便がロゴで使っています。 おそらくは忍者並みだと思うんですが大阪から東京までを4日間で書状を運んでいました。 飛脚の言葉通り、「走って」届けたのです。 いまでいう速達扱いですが現在の貨幣に換算するとおよそ20万程度になります。 約550kmを4日間ですからフルマラソンで考えても一日6時間をマラソン選手並みに走らなければ着きません。 忍者の仕事でもっとも重要な「情報伝達」です。定期的な伝令ならいざ知らず緊急事態なら一人で駆け抜けなければならないでしょう。 そう考えるとかなり過酷な仕事で寿命も短かったんじゃ・・?という気がします。 抜ける云々と考えるより先に倒れるか殺害される人の方が圧倒的に多かったのではないでしょうか。 またプライドの問題が出てきます。 いまの政治家見てればわかると思いますがエライ人はなかなか非を認めません。 お家一族というものがいま以上に誇りだった時代に自家から抜け忍を出したなんて面目丸つぶれでしょう。 絶対に隠し通す=文献が無い という図式でしょうね。 ちなみに間者(スパイ)に入られた側も家にそんなものが入ったなんて恥どころでは無いので別の理由を付けて処分していたでしょうね。 そういう文献が残っているとすれば家司(家の中の事を取り仕切る人、家令とも言います)といったごく一部の人がこっそり残している分しか無いと思われますが。 と、私見をつらつらと書き綴りましたが、ちゃんと回答を。 ・『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか? →もし文献があれば国会図書館に必ずあります。(日本で発行された書籍や論文は全て収録されているので)おそらくは報告書形式で一文のみ「始末した」程度でしょうね。武将のように名がある訳でもないですから。 という訳で蔵書検索のページ http://opac.ndl.go.jp/index.html ・どうも戦国時代頃を調べていると、そんな逃げた人を追っかけまわして処罰するなんてことは できるように思えません。 →上記の根拠(寿命)により追いかける労力のが惜しいと思われます。 ・忍者集団においてよく聞かれる「掟」なるものについても知ってる方が いらっしゃったら是非教えて下さい。 →文献では無く調べるのであれば美術骨董品にあるかもしれませんね。額縁に掛けて飾っていたものが時代で市場に出ているかもしれませんし。口承の場合は無いでしょうが。 色々書きましたが歴史に絶対は無いです。 それゆえにロマンもありおもしろいんですけどね。
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- jkpawapuro
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そりゃあもちろん消す機会があれば消すでしょうが、他国まで逃げたものを追いかけてまで消す力はなかったのではないでしょうか? もちろん何かの機会で出くわして、消す機会と余力があれば消すでしょうが。
お礼
確かにそう考えるのが現実的かもですねー。
- oska
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>よく聞く『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか? 本当か嘘か?誰にも判りません。 資料がありませんからね。 彼らは「闇の世界」ですから、史実も闇です。 当然、記録も残っていません。 しかし、戦国・江戸時代でも「他藩に情報が漏れる事を嫌がる時代」ですから、多くの情報を持っている忍者・諜報員は闇に消える事も推測出来ます。 >忍者集団においてよく聞かれる「掟」なるものについても知ってる方がいらっしゃったら是非教えて下さい。 唯一、忍者集団の記録が残っているとすれば「お庭番」でしようね。 吉宗が紀州から連れてきた、専門部隊です。 彼らは血の結束を保っていましたから、お庭番17家(最大17家だったと思います)以外外部との付き合いは一切ありませんでした。 外部から遮断されていた訳です。ですから、婚姻関係も17家で(明治の幕府崩壊まで)済ませています。 つまり、お庭番17家は「全て親戚・親族」になる訳です。 将軍直属機関ですから、旗本・御家人は当然として幕閣でも17家家族に会った事も無いようです。 かれらの「掟」は、将軍個人に忠誠を尽くす事のみです。 全ては将軍が直接命令し、お庭番は命令を忠実に実行するだけですね。 抜忍に対しても、将軍が「消せ!」と命令するまで独自に消す事はありません。 (幕府の記録では、お庭番は増える事はあっても減る事はありませんでした。粛清は無かったようです) 他国(藩)に潜入して殺害されても、期間内に戻って来なければそのままです。 公には「存在しない集団」ですから。 余談ですが・・・。 全国に「大丸百貨店(旧大丸呉服店)」がありますが、この呉服点は「お庭番が変装するお店」だった様です。 幕末には、新撰組に「(あの青白の)羽織」を提供しています。 新撰組隊旗は、高島屋が提供しています。
お礼
藩主に受け継がれるような秘密文書などが残ってればとか 甘いこと考えてたんですが、 やはり資料がすくないんですね・・・・ 御庭番については記録が残ってるんですか! そっち方面も個人的に調べてみようと思います。 ご回答ありがとうございました。
- Fredrick Craig Coots(@PVTCOOTS)
- ベストアンサー率31% (803/2560)
抜け忍が追われ「殺るか殺られるか」の世界観は白戸三平の影響でしょうか?(笑 カムイ伝は大好きで読んでました。 実際にはどうでしょうか。 忍者組織は大名直属が殆どと言うか、大名のスパイが忍者組織でしたからね。 そんなスパイの情報は各大名にとって重要な情報だったと考えられます。 どの大名も敵の情報はどんな手段を講じても欲しかったでしょう。 逆に(忍者が)「組織を裏切り敵に寝返る」ことは大名にとっても命取りでしょう。 また「金や地位で敵(大名)の忍者を引きぬく」なんてのも想像されます。 ですから「血の掟」で裏切り者は容赦なく消されたのだと思いますよ。 身分を隠しての行動ですから名前もないだろう当時の忍者たちは、闇から闇へ葬られたのも多いことでしょう。 忍者は手裏剣・剣術・水噸の術など派手な技が表面では目立ちますが、親子3代で大名に仕えて信頼を得てから(本来の)仲間の忍者・兵士を導き、お家を無きものにするという裏切り行為も有ったそうです。 この様に長い年月を掛けて敵を欺く忍者を『草』と呼んだそうです。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 当時の潜入捜査は今とはかける時間の桁がちがいますねぇー(汗 親子3世代とは・・・ ご回答どうもありがとうございました。
お礼
「メンツ」に以上に固着するというのは考えていたようであまり考えていなかったので、 少しこの時代の空気に触れられたような気がして新鮮でした。 やはり有効な資料はほぼ無いようなので自分の妄想というつなぎを加えつつ 「忍者」なるものの形を自分の中で創っていきたいと思います。 ご回答ありがとうございました。