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脳は物質だから意識は必然に過ぎない
- 人間の脳は物質で構成されており、意識はその必然的な結果であるとする説があります。
- 脳内には物質以外の存在があるという考えは観念論的な誤謬であるとされています。
- 何を思うかや意志するかも物理・化学法則によって決定されておると主張されています。
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こんにちはー。お返事いただきましたので・・ 全体性ーー単純に部分と全体、という意味の全体なのですが。 極論ーーつまり、質問者さんの解釈はそれはそれとして、別の論理的に正しい解釈も多分成り立つだろうなー、と予想します。 質問者さんは、現実主義的な視点に立っておられると思います。 質問者さんに感じる無条件に肯定された前提条件とは、こう論じる自分という意識の存在を考慮に入れてないこと。自分や、自分の視点意識を客観視する視点がないですが、それは本当に検討されず放置してるように見えます。 哲学では、おそらく、自分をどう扱うかは、最重要課題の一つだし、質問者さんがそれを軽視?してるのは、物質があることをあまりに重要視しすぎてるから、のように想像します。 物質存在をすべての基本だと、無条件に肯定してること、です。 物質は、エネルギーや、エントロピーの移動なしでは、一切意味を持たないし。 すべて必然なら、それは偶然と変わらない。 つまり、必然と見なすあなたの視点は、ただの偶然です。 必然という言葉は、偶然という概念があるから成り立ちます。 >事象に原因 因果は巡る、という言葉はご存じでしょうか? 事象に本質的原因はありません。 もっとも、質問者さんが想定するような因果関係はもちろんありますが。 原因はいくらでもさかのぼれます。そのさかのぼりにストップはかけられません。無限に続きます。 とは言っても物理学では現在、ビックバンより前にはさかのぼれませんが・・人知の限界です。 因果は、時間空間変化を伴いますが、特異点では、それが成立してませんから、因果はある意味立ち消えするのではとも思います。 その意味で本質的には、原因は存在しない、と僕は思いますが。 どうしてそんなことになるかの本質は、あらゆる脳の機能は、時間空間の性質によって働いているから、(もちろん物質もですが)、といえます。時空のない、あるいは時間空間が未分化の状態は、論理的推測しか成り立ちません。直接測定とかいっても、まさに質問者さんが言われてるところの観測問題他、数々の解決できない問題が立ちはだかります。というかもっと簡単に、それはもう答えは得られないので、問題として成立しないです。 エベレット解釈やシュレディンガーの猫など、あのたぐいの問題は、すでに解けない問題として決定してますし、時空の性質を仲介にした観察観測ができないのですから、仕方ないのです。 この問題を「ただの観測問題」と言い切る質問者さんの気持ちも分かりません。逃げてるようにも見えます。わかりませんが。 >すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます こう言われてるのに、質問者さんの投稿文は、それを考慮に、前提にはしてませんよね? 意味とは、偶然と必然のペアがあることで成り立つのに、すべて必然、逆にすべて偶然というと意味が成立しません。 意味が成立しなければ、僕もあなたも、この質問も僕の答えも、何らかの意味があるのか無いのか分からなくなります。 つまり自家撞着だし、矛盾を来します。 ということで、質問者さんの文章は、自分の襟首をつかんで自分を持ち上げることはできない、という例えをなぞった物になってるのではないでしょうか? つまり、矛盾、と言いたいのですが・・ 極論だ、と言ったのは、前提条件をいろいろ決めてしまえば、質問文は正しいと思いますし、よく考えておられるので、多分間違いなど無いのだろう、と思ったんです。 で、僕が言いたいのはそういうはなしではなく、明らかに、自分の主張が正しくなるような前提があらかじめ選び抜かれてる、と言うことを言いたいんです。 たとえていうと、そうですねー、クラスにAさんがいるとします。 その時、Aさんはクラスの生徒です、という主張は正しいです。 でも、クラスの生徒はAさんです、という主張は間違っています。 極論だと言ったのは、Aさん一人をもって、クラスの全生徒です、という風な言い方をされているところです。 時間空間を基礎にしても同じ理屈が成り立つし、 幾何学はご存じでしょうか? ひとつの前提条件が変わるだけで、全く違う複数の幾何学が成り立ちます。ユークリッド幾何学や、リーマン幾何学等です。 それらの複数の幾何学は、一つを取り上げれば、全く矛盾のない幾何学が成立しています。 論理的、とは、そういう性質を持ちます。論理体系とは、そういうものです。 質問者さんの言われる論理的体系も同じです。 つまり正しいことは、必ず複数有ります。 一つということは、あり得ません。 その根拠は、先にも書いたですが、全体を分割した物が部分だからです。 長くてごめんなさいー続く
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- sheep67
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追加です。 ちょっとばたばたしてまとめにくいのですが、 読んでて浮かんだ疑問が、クオリア問題も、統一理論もまだ結論が出てないのに、どうして事実をゆがめておられるのですか? 19世紀末の物理学者の態度を思い出します。どう見ても飛躍です。 質問者さんの、統一されるであろう予想のビジョンと、現実の統一が同じ保証はありません。 あと、あらかじめ決まっているというのなら、別に思いや意志も、ただの結果論であってそんな物はないとしても良いはずです。 つまりすべては、クオリアの偶発あるいは必然的な挙動に過ぎない、(ひもでもいいですが) とまで持っていかないとおかしいと思うのですが。 こうやってここで書いてる文章も、僕やあなたも、あるようでないのだ、という風に。 この主張そのものすら、素粒子の振る舞いに過ぎないのではないでしょうか? 質問文の論理を推し進めるなら。 決定も主張もへったくりもないはずなのに、その追及の手を途中で止められてるのは、主張する自分という意味は、無批判に認めているからではないでしょうか? それは根拠のない主張だと思います。 そのあたりが途中で追求が止まってると思ったので。 悪いのですが、典型的な極論だと思いました(論理的に間違いという意味ではありません)
お礼
面白いですね(決して哂うという意味ではありません)。 >こうやってここで書いてる文章も、僕やあなたも、あるようでないのだ、という風に。 実は上の「人間の脳が~」は私が書いたものではありません。 私自身の認識としては、確かにsheepさんの言うように、すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます。 極論、おっしゃいましたが、論理的に間違っているわけではないと。 それは何を意味するんでしょうか。
- sheep67
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こんばんは。 反例じゃないかと思いつくのは、複雑系です。 風が吹いたら桶屋が儲かる、と言う物です。 あるいは、全体は部分の総和以上の物だ、という哲学者の言葉もあります。 もうちょっと厳密にいうと、2つの違う論理があります。 一例だと、数学的帰納法や、背理法、などの方法論、 あるいは、機能、演繹、還元、という3つの違う論理からは、同じ対象を扱っても違う結論が出ます。 つまり・・・脳は物質だ、というのも含め、意味、と言う物は、基礎にする論理によって変わります。 よく言う自家撞着や、矛盾、意味が複数に重なるだまし絵などは、論理で説明不能です。 この意味、というのは、質問文中では、クオリアに関係がありますが、クオリア自体いまだどういうものか分かってないのにこのまとめかたはないと思います。 僕はクオリアは、全体性に起因して起ると考えており、その意味でも、僕とは意見が違うなーと思います。 >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により >決定されております この一文は不正確です。 そういう言い方ができる、というのがより正確だと思います。複数ある正しさの一面だと思います。 養老先生の唯脳論みたいな感じだなーと思いました。 つまり、質問者さんの言われてることは、「自分の知ってる範疇のことは、全部説明できる」と言ってるように見えます。それは、もっともですが。 つまり、それは正しいですが、全部ではない、といえます。 論理的に言えば、問題なく正しい主張だと、それだけを限定して取り上げれば言えると思います。 だから間違ってないです。
お礼
>僕はクオリアは、全体性に起因して起る 全体性とは何ですか?
>量子論の「不確定性」は意識には-- このあタリから後は何を言っておられるのか分かりませんが、内容はおおむね同意できます。 基本的に人間も反射を基本として生命を維持する生物の一種であり、意識も進化の過程で生じた反射につづくシーケンス動作の一種であることは明白です。 >何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております このあたりは少なからず杜撰な言い方だと思います。脳の膨大な記憶細胞とその間のぐちゃぐちゃに絡まった神経回路が最初の刺激を演算処理し様々な記憶回路をスキャンするする間にも随時新たな刺激が回り込みやエラーを誘引する可能性はあるだろうし、それらを当初予期しなかった出力へと導くことはあるでしょう。すべてが単純に必然な結果しか生まないとは思えず、結構複雑だろうとは思いますが、これらが量子論とは無関係だということは明らかです。
お礼
>随時新たな刺激が回り込みやエラーを誘引する可能性 それらがすべて必然なのです なぜなら物質はそれ自身の性質があるからです。 エラーは起こるべくしておきます。 もちろん人間にはその原因はわからないことがほとんどでしょう。 単純な結果というのは、人間が予測できる結果ということです。
- ENERGAIA
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よく思い、考え、意思し、判断したことでも結局は受け取る刺激などにより自動的に決めている と考えて間違いはないでしょう。 しかし それを知っていて「自分が受け取るあらゆる刺激を変えようと考え、受け取る刺激の質・量を自分で変えるなら、自分の自由意志で決めている と言うこともできます。 脳は受け取った情報を処理するところであるが、意識・意図するということは脳が行っているのではないでしょう。意識はある特定の部分に存在しないのか・あるいは胸のあたりにあるのか、それはわかりませんが。 要点は「それを知っていて思い悩み、迷い、選択する」ことにあると思います。 結論としてはすべての事象は必然ではない。となります。 また、「すべてのことは○○である」というなら、きわみまで言っているので、「逆もまた然り」は当てはまります。
お礼
>受け取るあらゆる刺激を変えようと考え これ自体が意思ではなく、物質が自分自身の性質をもって行っているので、自由意志ではありません 自由意志など存在できません
- mayosilo
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それはまちがっています。 たとえばボクサーが気絶したままダウンから立ち上がって 意識を失ったまま戦い続けたという記録があります。 複雑な臨機応変の対応に自意識は無用です。 いかに複雑であってもそれは「外界の刺激に対する機械的な反応」で 説明がつくからです。 つまり意識というものは物質科学で説明できない領域の問題です。 これは非科学の領域なのではなく、 研究する材料が得られないから未知なる問題なのです。 あなたが示した説は物質脳だけで全部説明しようという発想なので、 まちがっています。
お礼
問いの趣旨をよく理解しきれていらっしゃらないようです。 物質にはそれ自身の性質がある以上、自分の性質から逃れた運動をすることはできない。 故に未来は常に決まっているということです。 解明できるとかいうのは関係ありません。
- temtem1
- ベストアンサー率40% (106/260)
私個人の感想としては、全くもって正しいと思います。 偶然とか不確定性原理というのは単純に人間の頭脳や認識能力の限界によるものだろうと思います。 ただ、逆説的に言えば、人間の能力に限界があるからこそ、すべての事象が必然、という考えもまた正しいかどうかは不明とも言えますし、オカルト的なものの存在を否定もできません。 肯定もできませんが。 ただ、現実的には脳はただの物質であると考えたほうが、医療の発展などの様々な現実的な面において合理的で便利ですね。 人間の思考は魂だのなんだので動いている、と考えていては大脳生理学が発展しませんし。 ただ、科学者の中には人体のあまりに精密な構造に感銘し、神がこの脳を原子レベルで設計したのだ、というように感じる人もいるようですが。 しょせんは人間の意識は主観的かつ感情的な印象にどうしても左右されてしまうので、宗教論観念論は社会的心理学的な意義があるとは思いますよ。 精神安定剤、あるいは社会の治安維持とかそういう実利的な意味で。 新興宗教なんかは脳の生物的化学的な特性をよく理解し、洗脳や人格操作など非常に巧みですね。 宗教の本質は非常に合理的であることを示す証左ですね。
お礼
回答ありがとうございました。 >現実的には脳はただの物質であると考えたほうが、医療の発展などの様々な現実的な面において合理的で便利ですね。 魂という考え方があったときのほうが人は幸せに生きられたのかなと思うと、合理化を進めた先には何があるのか、少し不安になりますね
- Mokuzo100nenn
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コンピューターはシリコンだから、計算なんてできない、とお考えですか? 情報処理はその物理的媒体がシリコンであれたんぱく質であれ情報処理としての世界を作ります。 フリップフロップのメカニズムを調べて意思のもつ性質を論じようとするのは、まさに木の性質を調べて森の性質を論じようとすることと同じです。 昔から「木を見て森を見ず」といって、この種の発想の誤りを諭してきました。 脳科学の全貌を理解しているわけではありませんが、情報処理のフリップフロップが大規模に集積し、そこにアルゴリズムを入れると飛行機を自動操縦する程度の事が出来るようになります。 このアルゴリズムに相当する部分は物質とは関係なく学習されるものです。 人間の脳みそは、生まれてから後、外界からの刺激から学習する能力をそなえているので、最終的に意思という、物質とはかけ離れた能力を持つことになります。 思考実験として、生まれたばかりの人間を、全く刺激の無い暗室、無音室に入れて生育したら、脳細胞の数は同じでも意思を持つ”人間”にはならないと思うのですが、いかがですか?
お礼
>最終的に意思という、物質とはかけ離れた能力を持つことになります。 それは「あなたの物質の認識」からかけ離れているというだけだと思います。 所詮脳は物質でできていますから、物質のもつ性質以上のものは生まれません 意識が必然、という意味は、何を考えるかはあらかじめ決定されるということです
- kotoby2003
- ベストアンサー率15% (280/1755)
哲学の話なのかよくわかりませんし、書いてあることも理解できるのか不明ですが、 所詮、「心」など存在せず、脳内の物理現象にすぎない、という話なら正しいと思います。 脳の中にプログラミングされたプログラムに従っているにすぎません。
お礼
脳のプログラムというよりは 脳というのは物質でできていますから、その物質自身の性質に従ってしか動けないですね
正しいと思いますけれど、 でも、その「必然」のケースの膨大さが、人智に余るのではないかしら?と考えています。 つまり、 全ての必然のケースを並べて検証出来る程、人智の情報精査能力は高くない、と。 だから、査定漏れのケースが出て来る。 そのケースについての「無知」が、結局の所「人智を越える」のだと思います。 >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により決定されております。 でも、その全てを把握する頃には、また次の進化が別の法則を導き出しているのかも知れません。 だから、人智は永遠に自然に追い付けない。 人智が追い付けていない部分を「神の領域」とするか? 「科学的探究の余地」と見るか?の違いであって、 その実体は同じなのではないかしら、と考えています。
お礼
正しいと思われますか。 回答ありがとうございました
お礼
長い回答をありがとうございます。 私は物理の知識は高校で学んだものと、テレビやちょっと趣味でかじった程度の知識くらいしかないので、新出単語については自分でwikipediaなどで調べてから回答することになるためお礼が遅くなってしまい、申し訳ないです。 蛇足ですが、その単語の内容すべてが理解できなくても、今ここで議論されていることに関わる本質的な概念だけ理解できれば、議論が続けられそうな気がしましたので、臆面もなく反論させていただきます。 >自分をどう扱うか 意識というのは、物質の性質にすぎないと思っています。 物質、というと、多くの人は単に「存在するモノ(物体)」として捉えると思うのですが 単に「存在するモノ」としての物体というのは現実世界では存在しないと思います。 物体と思われるものは、物質の集合体で、物質というものは本来性質そのもののことだと捉えています。 どういうことかというと、例えば電子という存在は、物体+電子の性質として捉えるべきものではなく 電子の性質そのものが電子という存在そのものであると捉えるべきだと思っています。(あまりうまく説明できません) 私達の意識の正体が電子なのかクォークなのかはわかりませんが、性質(物質)こそが意識そのものだと思っています。 物体という概念からは意識は生まれません。 そんなわけで、ことさら自分(意識)を物質と隔てて特別視して考える必要はないと思ってます。 >物質があることをあまりに重要視しすぎてるから この世に物質意外のものは存在しないと思っています。 >>すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます >こう言われてるのに、質問者さんの投稿文は、それを考慮に、前提にはしてませんよね? それを前提にするとどのような文が成立するのでしょうか >エベレット解釈やシュレディンガーの猫など、あのたぐいの問題は、すでに解けない問題として決定し >てますし、時空の性質を仲介にした観察観測ができないのですから、仕方ないのです。 人間にとって観察観測ができなかろうが、変化は起きるし世界に影響を及ぼすわけですから、何か問題が起きるのでしょうか。別にその観察対象だけが異次元にいってしまったわけではありません。 >意味とは、偶然と必然のペアがあることで成り立つのに、すべて必然、逆にすべて偶然というと意味が成立しません。 感覚的には偶然と必然があるような気がしますね。 しかし、自分の人生は天によって完全に決められているから完全に自由であり、価値が生まれるという考え方もあります。 >ビックバンより前にはさかのぼれませんが・・人知の限界です。 確かにビッグバン以前はネックですね。 仮にビッグバンがすべての始まりなので、ビッグバンから先はすべて決定されているとしても思想的にはさほど影響がありません。 >因果は、時間空間変化を伴いますが、特異点では、それが成立してません 特異点では因果が止まっているということですね。 しかし、そこで因果が止まっていても、世界は動いているので、関係がないと思います。 そこで何かのつながりが止まってしまう、というのもひとつの結果です。