- ベストアンサー
脳は物質だから意識は必然に過ぎない
- 人間の脳は物質で構成されており、意識はその必然的な結果であるとする説があります。
- 脳内には物質以外の存在があるという考えは観念論的な誤謬であるとされています。
- 何を思うかや意志するかも物理・化学法則によって決定されておると主張されています。
- みんなの回答 (40)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちはー。お返事いただきましたので・・ 全体性ーー単純に部分と全体、という意味の全体なのですが。 極論ーーつまり、質問者さんの解釈はそれはそれとして、別の論理的に正しい解釈も多分成り立つだろうなー、と予想します。 質問者さんは、現実主義的な視点に立っておられると思います。 質問者さんに感じる無条件に肯定された前提条件とは、こう論じる自分という意識の存在を考慮に入れてないこと。自分や、自分の視点意識を客観視する視点がないですが、それは本当に検討されず放置してるように見えます。 哲学では、おそらく、自分をどう扱うかは、最重要課題の一つだし、質問者さんがそれを軽視?してるのは、物質があることをあまりに重要視しすぎてるから、のように想像します。 物質存在をすべての基本だと、無条件に肯定してること、です。 物質は、エネルギーや、エントロピーの移動なしでは、一切意味を持たないし。 すべて必然なら、それは偶然と変わらない。 つまり、必然と見なすあなたの視点は、ただの偶然です。 必然という言葉は、偶然という概念があるから成り立ちます。 >事象に原因 因果は巡る、という言葉はご存じでしょうか? 事象に本質的原因はありません。 もっとも、質問者さんが想定するような因果関係はもちろんありますが。 原因はいくらでもさかのぼれます。そのさかのぼりにストップはかけられません。無限に続きます。 とは言っても物理学では現在、ビックバンより前にはさかのぼれませんが・・人知の限界です。 因果は、時間空間変化を伴いますが、特異点では、それが成立してませんから、因果はある意味立ち消えするのではとも思います。 その意味で本質的には、原因は存在しない、と僕は思いますが。 どうしてそんなことになるかの本質は、あらゆる脳の機能は、時間空間の性質によって働いているから、(もちろん物質もですが)、といえます。時空のない、あるいは時間空間が未分化の状態は、論理的推測しか成り立ちません。直接測定とかいっても、まさに質問者さんが言われてるところの観測問題他、数々の解決できない問題が立ちはだかります。というかもっと簡単に、それはもう答えは得られないので、問題として成立しないです。 エベレット解釈やシュレディンガーの猫など、あのたぐいの問題は、すでに解けない問題として決定してますし、時空の性質を仲介にした観察観測ができないのですから、仕方ないのです。 この問題を「ただの観測問題」と言い切る質問者さんの気持ちも分かりません。逃げてるようにも見えます。わかりませんが。 >すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます こう言われてるのに、質問者さんの投稿文は、それを考慮に、前提にはしてませんよね? 意味とは、偶然と必然のペアがあることで成り立つのに、すべて必然、逆にすべて偶然というと意味が成立しません。 意味が成立しなければ、僕もあなたも、この質問も僕の答えも、何らかの意味があるのか無いのか分からなくなります。 つまり自家撞着だし、矛盾を来します。 ということで、質問者さんの文章は、自分の襟首をつかんで自分を持ち上げることはできない、という例えをなぞった物になってるのではないでしょうか? つまり、矛盾、と言いたいのですが・・ 極論だ、と言ったのは、前提条件をいろいろ決めてしまえば、質問文は正しいと思いますし、よく考えておられるので、多分間違いなど無いのだろう、と思ったんです。 で、僕が言いたいのはそういうはなしではなく、明らかに、自分の主張が正しくなるような前提があらかじめ選び抜かれてる、と言うことを言いたいんです。 たとえていうと、そうですねー、クラスにAさんがいるとします。 その時、Aさんはクラスの生徒です、という主張は正しいです。 でも、クラスの生徒はAさんです、という主張は間違っています。 極論だと言ったのは、Aさん一人をもって、クラスの全生徒です、という風な言い方をされているところです。 時間空間を基礎にしても同じ理屈が成り立つし、 幾何学はご存じでしょうか? ひとつの前提条件が変わるだけで、全く違う複数の幾何学が成り立ちます。ユークリッド幾何学や、リーマン幾何学等です。 それらの複数の幾何学は、一つを取り上げれば、全く矛盾のない幾何学が成立しています。 論理的、とは、そういう性質を持ちます。論理体系とは、そういうものです。 質問者さんの言われる論理的体系も同じです。 つまり正しいことは、必ず複数有ります。 一つということは、あり得ません。 その根拠は、先にも書いたですが、全体を分割した物が部分だからです。 長くてごめんなさいー続く
その他の回答 (39)
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
論理学では、 質問者の言われてることは、アブダクション(仮説推論)、じゃないかと僕は想像します。 wikiに >アブダクションは、関連する証拠を――真である場合に――最もよく説明する仮説を選択する推論法である 大事なのは、前提が真である場合、最も良い仮説を提供する、ということです。 僕自身は、帰納的推論が好きです。これは先にあるデータ前提が最優先ですし、仮説ではなく、前提条件をいかにうまく説明し得るか?というスタンスです。 それは、結論優先ではなく、経験優先です。 し、もちろん哲学で普通に使う演繹や 弁証法や、止揚などの、とても重要な概念もあります。 というか、単純に何が正しいか間違ってるか、というので測るなら、論理学が一番正しいでしょうね。論理学と比べれば、数学も物理もレベルが落ちますし。 でも論理学でも絶対ではないことは、wikiのページだけ見てても分かりますし。 lu-muさんのわれるのは、マルクスの唯物弁証法、に近いと思います。 この辺りも頭のいい人がこぞって考えているので、正しいか間違ってるか、というのなら、正しいですね。現在になって若干発展してるとは言っても。 あるいは、右翼左翼の主張を聞いててもそうですが、どちらも正しいし、お互い正しい意見をぶつけ合って、自分が正しい、というだけでは、仕方ないのに、と思います。もちろん主張にはそれなりの背景もありますが。 つまり、正しさは一個しかない、という思いこみがポイントかしら、と思わないでもないのですが。 だからこそ、正しさが導かれる前提条件を自分で認識する必要があります。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
>宇宙に本当に因果の破綻している例 特異点じゃダメなんですか? 宇宙がうまれる前も? 破綻してる、あるいは、そう考えられてる、あるいは、誰も知らない、ということですが。 わからないなー。 ここに言及すると、質問者さんは、生活には関係ない、と言われるのですが、関係ないという証拠は上げられないと思います。だってどうなってるのか誰も知らないのですから。関係ないかあるか、すら、誰にも分からないはずです。そのあたり厳密さを欠きます。細かいところをはしょるから極論だと言っています。 それは、物理学や数学の厳密さと、日常生活の曖昧さを、無意識に使い分けておられるように見えます。 ただいわれるとおり現在分かってる範囲の物理に限定するなら、必然的とも言えます。同時に偶然的ですが。ある種の、逆ニヒリズムだなーと思います。すべては偶然なんだー意味なんて無いんだーの逆ですね、すべては必然だ、という主張は。 ただ、物理だって、過去ニュートンの法則もひっくり返されています(正確には前提となる概念の拡張ですが) なので、どれか一つ、というのではなく、極論では、物理学全体が、確かな物とは言えない、といえます。将来、量子論や相対論がどうなるのか、言われるように大統一理論ができて、しゃんしゃんと手を打てるような結末を迎えるのか、分かったものじゃありません。希望的観測は入れない方が良いです。そこも厳密さを欠きます。 そういう厳密さを欠く部分を取っ払ってしまうと、話が成り立たないのではと思います。 そもそも、物理学がよくできた仮説だ、というのは常識ですよね? つまり、仮説と検証、において、その実験における検証には精度がつきものですし、ニュートンの理論がひっくり返ったのもそこでした。あるオーダーの測定の精密さで成り立つのが、物理法則です。 物理学がみんなあやしい、と言えば、極論そういえますもの。(別にそうは思ってないけど、物理好きだし) 物理学は壮大な仮説なんです。 一般的にこんなことは言わないのですが、質問者さんの主張内容は、こういう極論をぶつけないといけないほどの、極論だと言えます。 あと、物質ですが、物質のほとんどは、力です。物質素粒子という本体がほとんど無いのはご存じでしょうか? ニュートリノが地球を通り抜けるのもそのせいです。 素粒子の直径とは、力の及ぶ範囲そのものですし、物質存在、というのは、かなり怪しい概念です。 全部振動するひもだ、と言われても、もはや理解不能ですし。 個人的には素人意見としては、そもそも宇宙の始まりはただの揺らぎだったことを考えると、揺らぎ=変化=力、こそが本質で、物質存在の元になる素粒子は、間違いなくそのあと生まれたのですから、物質存在は2次的なものだろうと想像してます。もちろん今このときにおいてもです。という想像です。 ようするに、分かってない、ということですが、現代でも。この先一体どう転ぶのか? おもしろいです。
お礼
>質問者さんは、生活には関係ない、と言われるのですが そのようには思っていません。 私達はこの世界から隔離された空間に存在しているわけではないので、どのような小さな変化も、私達に何らかの影響を与えていてもおかしくないと思います。 この問題は非常にシンプルです。 この世界にひとつでも因果から外れた自由な存在があるなら、この世界は偶然の産物である。 もしそうでないなら、すべて必然である。 いずれにせよ、人間に意思などなく、ただの物質の現象にすぎない。 もしすべてが必然であるなら、今誰かがこの文を読むのも、ここに何かを書き込む、書き込まないも、すべて決定されたことであると言えます。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
もうちょっとうまい説明、かどうか・・ 意識が論理を作る、というのはいいでしょうか、因果関係を作ります。 ただそこにはいろいろ前提条件が入ります。 前提条件の違いにより、宗教、哲学、科学などが生まれます。 つまり、この3つは、論理的には同じだけ確からしいです。 どれも全く無矛盾で、否定のしようがありません。 だからといって、自分だけが正しい、と言っててはらちがあきません。 みんな正しいのですから。 そして、これらの違う論理を生む全体条件の違いは、はっきりしません。 というより、そこに何かあるとしても、論理を越えた論理、論理を生み出す母体なので、まずわからないと思います。 例えだと、数学の演繹と帰納などがあります。2つの論理は絶対に正しく、また前提条件が違い、一切相交わらない、という点に於いて、上の3つとよく似ています。 前に例を引いた、だまし絵の原理などもそうです。多義図形ですが。論理より先に前提があることをわかってもらえたらいいんですが。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
また追加で、 論理的に考えると、因果関係は必然だ、というのは、省略すると、「論理は正しい、と論理が言う」という構図になってませんか? それなら、もう絶対に正しいのですが、何か意味があるのだろうか? という話になります。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
追加です・・ 僕の、ちょっとなんというか、独断です。 意識は、有限の存在ではなく、因果関係の外の事柄です。僕は、無限小、と思っています。 なので、要素として取り上げられないし、因果もないと思います。 ただその意識の性質に対応した脳の機能は、見つかるのかも知れませんが、それも虚偽の原因の誤謬に書いてあるような問題を生じます。 クオリアと同じで、説明不可能じゃないでしょうか? 本当に、主観と客観の間の壁は、論理では越えられませんし、チャレンジするのはおもしろいのですが。 論理で越えられないからこそ、論理に閉じこもる、というのは、ちょっと象牙の塔的です。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
こんにちは。 NO15にいただいた返事の返事です。 大事そうなのを選んで書きます。 >意識というのは、物質の性質 そうかも知れません。でも、対応関係と因果関係があるのは別です。 ある物質の性質だから、意識の発生が物質に原因を求められるという物ではありません。 wikiに 虚偽の原因の誤謬 という言葉があります。多分当てはまるんじゃないかと思うんだど・・専門じゃないのでなんなんですが。 >観察観測ができなかろうが、変化は起きるし世界に影響を及ぼすわけですから、何か問題が起きるのでしょうか 世界に影響を及ぼすのは、観測するからだ、というのが観測者効果です。 因果関係というのはちょっと微妙な言い方なので、つまり、観測が現実の方に影響を与えるということは、決定論的ではない、という意味かなと思います。 あらゆることが人の目に触れて観測されまくるわけではなく、そういう見えない現実の部分は、不確定です。因果関係すらあるかないかわからない。 この世のほとんどのことは未観測だと居うのが、正しいと思います。 人が見たところだけはっきり決定するのですから、 少なくとも、観測したら決定するし、決定したら因果関係が成り立つのだから、あとは質問者さんのいわれるとおりです。 もっともと、物理学自体不完全な物で、今暫定的にそういえるだけですが。 ちょっと哲学的にいうと あと、すべて必然なら、すべて偶然だ、というのと変わらないのでは? つまり必然、とするには、そう認定する主体が本質だ、という考えが見えます。 誰かが必然と思わないと必然じゃないですよね? 意識も必然なら、もう必然とも言えないです。 必然だという人がいないからです。 観測できようができまいが、という部分では因果が成立してない、あるかないかわからない、というのは認められるのでしょうか? それはだって決まってないのですから。 そして、その上でそれでも外に影響を与えるのだから関係がない、問題があるか?と言われてますが、問題ないから因果が成り立ってるというわけではありません。 >物理がご専門とのことなので、私の主張が崩れるような因果の破綻した物理現象のたった一例でもいいから説明 これが返事として帰ってくるということは、僕の意図が伝わってないと言うことなので、言い方がまずいのか。 例を挙げられないのは、物理世界にはそれが破綻したような現象はないからです。というより、因果関係が破綻しないように成り立っているのが物理なのに、そこから事例を上げろとは無理いわれます。 というより、そもそも僕は物理学の外の話をしています。というか、ここは哲学のスレだし。 あと、物理が専門っていうのはとんでもない、ただの素人ですよ。概念的なことは大好きですが、数学が弱くてー。 >因果律の破綻した現象を説明 こういう言葉は、ある種の自己矛盾です。言葉そのものが因果なのはわかってもらえるでしょうか? 言葉で説明できる、概念が当てはまる、観測できる事象、ということは、因果関係がある、ということなので、そういう中にはないのです。 なので、そうですねー問題は世界観、ということになりますでしょうか? 因果関係の世界観で世界を測るならその通りとなりますが、でもそれでは必然と思う人も居なくなる、というのは上に書いたとおりです。 どうして具体的事例を上げないか、というと、そんなの認めない、で一蹴されそうだからです。 例えば、幽霊とか共時性や、まあ曖昧模糊とした一般的な宗教哲学心理学関係の話などですが、質問者さんは論外ですよね? たくさんあります。 いっても仕方ないと思ったので言いませんでした。 そんなことより、直接言われてることに直面した方がいいと思ったので。 この手の問題は、有限が本質か無限が本質か、という点に集約されます。 それは、意識とは何か? という部分が通るか通らないか? あるいは、心や人格の性質とは何か? というのが因果で説明可能なことばかりなのか、ということに因ります。 この世のあらゆる問題を意識の有りよう一つに集約することができますが、 上にも書いたように、その最後の一点ポイントで破綻します。 それ以外は、いわれるとおり、因果関係を持って成り立ちますが、それは人の感覚器官がそうできてるから、と言うのが僕の考えですね。 そうでした、解釈論と同じく、大勢に影響ないと言われそうですが、一応上げておきますと、不可弁別性、という量子力学の現象があります。 これも因果の破綻ですが、ミクロに於いて、つまり極小に於いて破綻してても、マクロに於いて人間世界に置いては関係ない、と言われそうですが、関係ないかどうか分かるとは僕は思えないです。というより、関係あると「分かる」というのがすでにややこしい表現です。
お礼
>意識の発生が物質に原因を求められる いえ、物質の性質そのものが意識だと考えているんです。 性質そのものなので、発生というのとは違います。 >そんなの認めない、で一蹴されそうだからです。 より合理的で納得のできる説明ができるのであれば、認めないということになると思います。 >世界に影響を及ぼすのは、観測するからだ、というのが観測者効果です。 具体的に説明をお願いします。 観測者当人にとって影響を及ぼせないだけであると思うのですが、世界に全く影響を与えないということがありえるのでしょうか。 >この手の問題は、有限が本質か無限が本質か、という点に集約されます。 理由もお願いします。世界が無限だと因果律が壊れるのでしょうか? >それは、意識とは何か? という部分が通るか通らないか? >あるいは、心や人格の性質とは何か? というのが因果で説明可能なことばかりなのか、ということに >因ります。 私はなんとなくそういったものと物質とのイメージが結びついています。 両者がそこまでかけ離れているように思えません。 >人間世界に置いては関係ない、と言われそうですが 人間世界において関係があるかないか、という部分だけを見ているわけではありません。 バタフライ効果もありますから、ひとつでも本当に因果で説明できないものがあれば、重要視します。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
>非物質の法則があるなら、世界が決定されていることに違いはないと思います。 そうですね、非物質の法則を意思もしくは意識の法則とした上で、「意思と意図によりある程度は自分の運命を変えることができる と想いました。 >>意思を働かせて >意思を働かせるというのはどういうことでしょうか 感情を伴ったエネルギーを働かせる ということだと想います。 感情というのは不思議ですね。人間の脳がコンピュータのCPUのような単なる情報処理装置だったら、感情など発生することはないですから。 感情が脳から発せられるものでないとしたら、やはり人が個として存在することでの希望・願望が感情や意思となるのではと思います。 そう考えると、そもそも原初の世界において唯一、一人で存在しているなら、すべては決まっていると考えられます。 それでは面白くないから、他との関わりにおいていろんな偶然が生じるようになる世界を作ってきたのでしょう。 また、人それぞれ個々の中で自分の世界(宇宙)が完全に備わっていると考えるなら、それぞれ完全・完結している世界(宇宙)同士が関わることで思いがけない偶然が発生するとも考えられます。 少しまとまりのない文章となりましたが。 全一者同士であれば いろいろなことが起こりえるのでしょう。 ENERGAIA004
- ok9608
- ベストアンサー率38% (50/129)
===私の意見=== 脳は有限個の物質(素粒子、電磁波などの波など含め)で構成され 現在は全ては明らかにはなってないが 全ての相互作用(量子力学の因果律の破れも含め)が 将来は記述されるされることになり、未来は 過去(現在も含め)から確率的に決定される のではないかと数学論理学的に質問者は主張されています。 数学を用いて物理現象(素粒子レベルを含め)を表す方法は 究極 論理学の法則に従い、ゲーデルの不完全性定理に従う形か その解釈から派生する完全性定理(例えばユークリッド幾何学のような)になります。現状の大統一理論は 後者であります。大統一理論が完成したとしても その公理は証明されることはなく(公理が異なれば別の論理が成り立つ) まして ゲーデル数学の対象とする物理理論は はるか遠方にあると思います。ゲーデル数学においても その公理は 証明されない のです。 質問者の主張は 一つのユークリッド幾何学が構成されるはずである と理解されます。 私は 遠い将来 近次解としては できると思いますが 役に立つにものにはならないと思います。
お礼
役に立ちませんか。 未来を予測する手がかりにもならないのでしょうか?
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
>>受け取る刺激で自分の思考やそれによる判断 >これ自体が物質の法則によって行われているので、自由に考えているつもりでも、実は予定されている答えしか導き出せていません。 まあ、言ってることはわかるんですけどね。 「すべて起こる出来事はあらかじめ決まっている」と考えて 生きるか、 「そうではない」と考えて生きるか。それによってはずいぶん自分自身の人生の結果は「実際に」変わってきそうです。 「俺の行うことはすべて決まっているのだから、どんなことをしてもそれはしょうがない」と思って生きるか、「自分の意思で変えていくものだ」と思って生きるか。 もちろん、それさえも「自動的に決まる」と言いたいのでしょう。 しかし、脳で処理したものでない、何らかの意思を働かせて選択することができるのであれば、もちろん そう考えて生きたほうが良いですね。 それに、物質の法則以外の、何らかの外部からの働きかけがあると仮定すれば、「予定されている答えしか導き出せない」というのは当てはまらないことになります。 非物質の法則というものはないのでしょうか。物質の法則があれば非物質の法則というのもあるような気がするのですが。 自分が知っている人間社会・世界だけで 物事は動いており、完結しているのでしょうか。
お礼
非物質の法則があるなら、世界が決定されていることに違いはないと思います。 >意思を働かせて 意思を働かせるというのはどういうことでしょうか
- freulein
- ベストアンサー率39% (94/237)
不思議なご質問です。私も参加させてください。 >脳は物質だから意識は(物質的な)必然に過ぎない 物質(脳)とその機能(意識)とが混同されているようです。例を挙げるとはっきりするでしょう。テレビ受信機(物質)が画像(機能)を決定しているのではありません。物質的な制約は確かにありますが。画像を主に決定しているのは物質でもない電力と電波でしょう。言い換えると電力と電波が受信機を通して画像を与えているのでしょう。デジカメ画像はデジカメ自体が決定しているわけでは有りません。「撮影意思」がカメラを通して決定しているのです。 「何を思うか何を意志するか」は、「何かの衝動」が脳を通して思いや意思を決定しているとも考えられますね。質問者様は「何かの衝動」の由来を改めてお探し下さい。
お礼
長い回答をありがとうございます。 私は物理の知識は高校で学んだものと、テレビやちょっと趣味でかじった程度の知識くらいしかないので、新出単語については自分でwikipediaなどで調べてから回答することになるためお礼が遅くなってしまい、申し訳ないです。 蛇足ですが、その単語の内容すべてが理解できなくても、今ここで議論されていることに関わる本質的な概念だけ理解できれば、議論が続けられそうな気がしましたので、臆面もなく反論させていただきます。 >自分をどう扱うか 意識というのは、物質の性質にすぎないと思っています。 物質、というと、多くの人は単に「存在するモノ(物体)」として捉えると思うのですが 単に「存在するモノ」としての物体というのは現実世界では存在しないと思います。 物体と思われるものは、物質の集合体で、物質というものは本来性質そのもののことだと捉えています。 どういうことかというと、例えば電子という存在は、物体+電子の性質として捉えるべきものではなく 電子の性質そのものが電子という存在そのものであると捉えるべきだと思っています。(あまりうまく説明できません) 私達の意識の正体が電子なのかクォークなのかはわかりませんが、性質(物質)こそが意識そのものだと思っています。 物体という概念からは意識は生まれません。 そんなわけで、ことさら自分(意識)を物質と隔てて特別視して考える必要はないと思ってます。 >物質があることをあまりに重要視しすぎてるから この世に物質意外のものは存在しないと思っています。 >>すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます >こう言われてるのに、質問者さんの投稿文は、それを考慮に、前提にはしてませんよね? それを前提にするとどのような文が成立するのでしょうか >エベレット解釈やシュレディンガーの猫など、あのたぐいの問題は、すでに解けない問題として決定し >てますし、時空の性質を仲介にした観察観測ができないのですから、仕方ないのです。 人間にとって観察観測ができなかろうが、変化は起きるし世界に影響を及ぼすわけですから、何か問題が起きるのでしょうか。別にその観察対象だけが異次元にいってしまったわけではありません。 >意味とは、偶然と必然のペアがあることで成り立つのに、すべて必然、逆にすべて偶然というと意味が成立しません。 感覚的には偶然と必然があるような気がしますね。 しかし、自分の人生は天によって完全に決められているから完全に自由であり、価値が生まれるという考え方もあります。 >ビックバンより前にはさかのぼれませんが・・人知の限界です。 確かにビッグバン以前はネックですね。 仮にビッグバンがすべての始まりなので、ビッグバンから先はすべて決定されているとしても思想的にはさほど影響がありません。 >因果は、時間空間変化を伴いますが、特異点では、それが成立してません 特異点では因果が止まっているということですね。 しかし、そこで因果が止まっていても、世界は動いているので、関係がないと思います。 そこで何かのつながりが止まってしまう、というのもひとつの結果です。