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脳は物質だから意識は必然に過ぎない
- 人間の脳は物質で構成されており、意識はその必然的な結果であるとする説があります。
- 脳内には物質以外の存在があるという考えは観念論的な誤謬であるとされています。
- 何を思うかや意志するかも物理・化学法則によって決定されておると主張されています。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちはー。お返事いただきましたので・・ 全体性ーー単純に部分と全体、という意味の全体なのですが。 極論ーーつまり、質問者さんの解釈はそれはそれとして、別の論理的に正しい解釈も多分成り立つだろうなー、と予想します。 質問者さんは、現実主義的な視点に立っておられると思います。 質問者さんに感じる無条件に肯定された前提条件とは、こう論じる自分という意識の存在を考慮に入れてないこと。自分や、自分の視点意識を客観視する視点がないですが、それは本当に検討されず放置してるように見えます。 哲学では、おそらく、自分をどう扱うかは、最重要課題の一つだし、質問者さんがそれを軽視?してるのは、物質があることをあまりに重要視しすぎてるから、のように想像します。 物質存在をすべての基本だと、無条件に肯定してること、です。 物質は、エネルギーや、エントロピーの移動なしでは、一切意味を持たないし。 すべて必然なら、それは偶然と変わらない。 つまり、必然と見なすあなたの視点は、ただの偶然です。 必然という言葉は、偶然という概念があるから成り立ちます。 >事象に原因 因果は巡る、という言葉はご存じでしょうか? 事象に本質的原因はありません。 もっとも、質問者さんが想定するような因果関係はもちろんありますが。 原因はいくらでもさかのぼれます。そのさかのぼりにストップはかけられません。無限に続きます。 とは言っても物理学では現在、ビックバンより前にはさかのぼれませんが・・人知の限界です。 因果は、時間空間変化を伴いますが、特異点では、それが成立してませんから、因果はある意味立ち消えするのではとも思います。 その意味で本質的には、原因は存在しない、と僕は思いますが。 どうしてそんなことになるかの本質は、あらゆる脳の機能は、時間空間の性質によって働いているから、(もちろん物質もですが)、といえます。時空のない、あるいは時間空間が未分化の状態は、論理的推測しか成り立ちません。直接測定とかいっても、まさに質問者さんが言われてるところの観測問題他、数々の解決できない問題が立ちはだかります。というかもっと簡単に、それはもう答えは得られないので、問題として成立しないです。 エベレット解釈やシュレディンガーの猫など、あのたぐいの問題は、すでに解けない問題として決定してますし、時空の性質を仲介にした観察観測ができないのですから、仕方ないのです。 この問題を「ただの観測問題」と言い切る質問者さんの気持ちも分かりません。逃げてるようにも見えます。わかりませんが。 >すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます こう言われてるのに、質問者さんの投稿文は、それを考慮に、前提にはしてませんよね? 意味とは、偶然と必然のペアがあることで成り立つのに、すべて必然、逆にすべて偶然というと意味が成立しません。 意味が成立しなければ、僕もあなたも、この質問も僕の答えも、何らかの意味があるのか無いのか分からなくなります。 つまり自家撞着だし、矛盾を来します。 ということで、質問者さんの文章は、自分の襟首をつかんで自分を持ち上げることはできない、という例えをなぞった物になってるのではないでしょうか? つまり、矛盾、と言いたいのですが・・ 極論だ、と言ったのは、前提条件をいろいろ決めてしまえば、質問文は正しいと思いますし、よく考えておられるので、多分間違いなど無いのだろう、と思ったんです。 で、僕が言いたいのはそういうはなしではなく、明らかに、自分の主張が正しくなるような前提があらかじめ選び抜かれてる、と言うことを言いたいんです。 たとえていうと、そうですねー、クラスにAさんがいるとします。 その時、Aさんはクラスの生徒です、という主張は正しいです。 でも、クラスの生徒はAさんです、という主張は間違っています。 極論だと言ったのは、Aさん一人をもって、クラスの全生徒です、という風な言い方をされているところです。 時間空間を基礎にしても同じ理屈が成り立つし、 幾何学はご存じでしょうか? ひとつの前提条件が変わるだけで、全く違う複数の幾何学が成り立ちます。ユークリッド幾何学や、リーマン幾何学等です。 それらの複数の幾何学は、一つを取り上げれば、全く矛盾のない幾何学が成立しています。 論理的、とは、そういう性質を持ちます。論理体系とは、そういうものです。 質問者さんの言われる論理的体系も同じです。 つまり正しいことは、必ず複数有ります。 一つということは、あり得ません。 その根拠は、先にも書いたですが、全体を分割した物が部分だからです。 長くてごめんなさいー続く
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- sheep67
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追加、いいですよね・・? 脳が物質である、これは間違ってる、と言ってもいいと思います。 脳が物質でできてる、と言われたら、そうやなーと思います。 でも、脳=物質、と主張されたら、下にいろいろ例を挙げたとおり、それは極論であり、 言葉の言い回し含まれるニュアンスにも因りますが、そう言いきってはまずいです。 タンパク質、神経繊維に、脳内ホルモン脳内麻薬、流れる電流まで電子の流れです、その点では物です。 でも、そこに発生する電場磁場は、物質ではありません。(と思うのですが・) 電磁場の働きがあるからこそ、電子は移動しますから。 もちろんクオリア問題もあって、あるニューロンの発火が、どうしてクオリアを作るのか、全く分かっていませんしその意味でも、 つまり、質問者さんも、脳がタンパク質でできてるからと言って、大豆や牛肉と同じ意味で脳と言ってるとは思えません。 つまり日本語で脳と言うとき、脳の機能も含めて、「脳」です。 そして、脳の機能働きまで含めてしまうと、これは物質だけとは言えません。 脳の機能は、まさにクオリア問題に於いて、説明不能なのです。 なので、脳は物質だ、というのは、厳密に言えば間違いです。 おおざっぱな曖昧な言い方であるなら、正しいと思います。
お礼
物質についての私の認識はNo15のところに書きました。
- sheep67
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済みません、文が長すぎて、いろいろと・・ さらに補足です。 3つほど下の投稿で、 >すべては必然、というのは、この世の有限性を下敷きにする話。 と書いていますが、 この世の有限性とは、つまりバーチャルリアリティーを作り上げている脳が、把握のさいに主に使う道具である概念、ということといえます。 概念は、有限で、把握できて、実に使い回しのいい道具です。でもそれに手を出してる地点で、偏っています。 科学はそうやってできています。 wikiの、科学的方法、という項目で 「測れるもののみが科学の対象」という言葉がありますが、これが、上の話と似た意味の言葉です。測定できる物だけ、と限った地点で、さらにそれは偏りがきつくなり、そしてさらに、安全パイです。 それは、そのフィールド内に定住する限り、間違うことがないからです。前提を容認すればです。 概念は、もちろん有限です。形あるものですし、だからこそ知ることができます。 で、それを基礎に、この質問文は組み立てられています。 別に目に見えないお化けがいるんだ、とか言う訳じゃなく、 人の認知能力の貧弱さを分かって欲しい、という風な意味合いです。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
もうちょっと補足します 天動説地動説の例えとは、脳が何かを把握することが、すでに自己中心的であり、それは歪んだ偏った捉え方であって、脳が把握した地点で、完全に現実とは別の物です。それは現実を元に作り上げられたイミテーションです。 言換えると、脳は、現実を把握できません。脳は、自分が作り上げることのできる概念を当てはめることでしか、目に見えることを捉えることができません。 それはその地点で、偽物だ、と、厳しく言えば言えないこともありません。 脳が知るのはバーチャルリアリティーです。残念ながら。 脳が、真理を観測してくれるなら、本当にみんなこんな苦労しませんしー。 質問文を読むと、質問者さんと反対の意見になりますが、 僕は、科学は、自分の限界を、数学のようにはっきり定義する時代が来たら、 そのあとは、宗教、哲学、科学が、棲み分けの時代になると想像しています。 はっきり、論理的に限界が規定されることにより、混乱なく、必要なときに必要な考えが導入される、なにもかも科学で解決するのではなく、なにもかも宗教で解決するのでもない時代が来ると思います。(と想像します) ちょうど、西洋医学と、東洋医学(鍼灸、漢方薬)が、最近やっと使い分けられるような時代になってきたのと同じように、という意味です。
- sheep67
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続きです。- で、そうですねーまとめると、よく分かってないのに無理に結論を出すのは良くないのでは? と言いたいんです。 科学や学問が解明してきた、その範囲内だけのことを材料に理論を組み立てるなら、いわれるとおりになるし、正しいのは当り前です。 いずれ科学や学問が、分かってない他のことも解明する、と言うのを人が言うのを聞いたことはありますが、それも半分本当で半分うそでしょうねー。 ーーー そうそう、一例です。今思いついたので。 天動説と地動説があります。ガリレオの例の話です。 地球の周りを太陽が回ってると思ってたけど、実は、太陽の周りを地球が回ってる、という話です。 でもそれはうそです。 それでは、今度は太陽を中心とした天動説に移動しただけなんです。 すべてのものは今度は太陽の周りを回っているかというとそうではありません。 じゃあ、銀河系の回転中心が真ん中か、というとそれも違います。次は銀河を中心とした天動説になってしまいますよね? らちがあきません。 水の入ったバケツを回転させて遠心力を発生させる、というたとえ話もありますが、 つまり、どこから見ても天は動き、それを客観視すると今度は地が動いているように把握できる、じゃあ本当のところどうなっているんだ? というと、どちらでもない、というのが現実です。 天動説と地動説の問題は、まとめると、人が対象を認識するには切り口が必要なんだ、ということです。それは露骨に脳の機能の限界から発生しています。 これは、ようはこの問題は人の認知、把握、などの脳の働きに依存している、ということです。つまり事実でもなければ、現実でもありません。 そういう概念の制限を、脳が勝手に作っている、といえます。 この視点から質問者さんの提起を見るなら、 世界が必然なのは、正しいのではなく(正しいと言ってもいいのですが)、そうとしか見えない解釈できない脳の限界だ、といえます。 one of them なんです。 脳科学が進めば、その当たりもはっきりしてくるのでは? と思っています。 科学が科学自らの限界を定義する日が、遅かれ早かれ来ると思っています。(とこれは僕の独断です) 僕も人のことは言えないのですが、そういう意味で、自分の思考パターンを客観視するのも、ひとつの手段かも、と思います。 説明下手ですね、僕・・ ダメかなーこの文では・・ 一応、ばちっとした具体例も、抽象論も入れた、つもりなんですが。
- sheep67
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エンタングルや量子テレポート等、因果の破綻した現象もあります。 量子論で説明はできますが、それは質問者さんが言うところの因果関係ではもはや無いはずです。 量子力学でも、それはそういうものなのだ、自然はそうなってるんだ、としかいえない部分です。 というか、科学がもっと本気で進めば、因果が破綻した現象は、日常に普通に見られるようになるのではないでしょうか? 因果関係が破綻してるのは、やはり量子力学や、相対性理論での特異点、因果の地平などがあります。 これらはおとぎ話ではなく、現実であり、物理はまだこれを解明してないのです。 宇宙論から言うなら、宇宙の生まれた原因は分かりません。 というより、時間空間がミックスされた状態で、因果もへったくりもないはずです。そんなところに因果があると思われます? そんなのは日常生活に関係ない、と思われてるのでしょうが、現実を見るなら、これも是非見て欲しいです。 というより、こういうややこしい問題を避けるために、物質の性質に執着してるのではないでしょうか? 物理に限るなら、物質だけではなく、時間空間、エネルギーエントロピーなどを全部考慮に入れたら、全部必然なんて一体どこから出てくるの? と思ってしまいます。 それはどう見ても、物質を中心に据えて、全体を構成するからこそ、初めて構築できる論理なんです。 でも、物質や意識が最優先事項だ、なんて確証はどこにもありません。それは独断です。前提を、好みで勝手に選んでいます。 これらを見ないようにして、あるいはそう思う自分自身は観察の対象からほおり出すことによって、 一見上手く行く論理モデルは作れます。 グレーゾーンを切り捨ててるので、極論だなーと思います。 自分を含むのなら、すべては予定通りであり、この質問も人の存在も必然であり、特別な価値などないので、ここで声を大にして言うほどのことではない、と言う変な結論になります。 すべては必然なら、あなたは居ない、ということになりませんか? ここで議論するなんの必要があるんでしょうか? それに気付いて質問を止めたとしたら、それも必然でしょうか? という自家撞着です。それはもう、右に転んでも矛盾、左に転んでも矛盾、前に進んでも後ろに進んでも矛盾です。 だからこそ、というかうすうすそれはわかっておられるからこそ、質問文に於いてこれが絶対の真理だ、と声高に主張されることになってるのではないでしょうか? 論旨はねじれてます。 すべては必然、というのは、この世の有限性を下敷きにする話。 必然であるからには、必然と決める根拠がある、理解できる、と言うことを言っておられます。 で、この世は有限でしょうか? となったときに、全く違います。 極大も極小も、全く結論は出ていません。 この世は有限であり、必然だ、というのは、それがおそらく先に前提として思いとしてあったと思いますが、 有限で、計れる、メカニズムとして理解できるからこそ必然だと思われるんでしょうが、 残念ながら、前の投稿にも書きましたが、全然分かっていません。物理も、化学も、生物学もクオリアも、まーーったくです。 それは前回も書きましたが、「自分の知ってる範疇」のことだけを対象にします、とあらかじめ宣言してるような物です。そういう前提条件を使うなら、それは論理的には正しくなるでしょうー。 これらを理解できないからと行って度外視する、あるいは、大勢に影響ない要素だと、自分に言い聞かせて除外し無視してしまう、というのは、間違いです。 それらが、一見、ほとんどこの世界のことが理解できた現代に於いて、ほんの残りかすのような些細な問題に過ぎないと感じられるのは、 人間は、易しい問題、解ける問題から順番に、解いていったからに過ぎないんです。 数と質は比例しません。 つまり過去に解かれてきた問題の数と、まだのこって解かれてない問題の数を比べたとき、残っている問題はわずかじゃないか? ほとんど分かったも同然、というのは間違ってます。 残った残りかすのような数少ない問題は、現代では解くことができない難問ばかりです。 そのわずかの問題が、既存概念ではどうしても解くことのできないハードプロブレムであり、解けずにのこった残りかすのような問題が、世界をひっくり返すパラダイムシフトにつながるというのは、過去の科学の発展の経緯を見れば、間違いない所だと思います。 僕の書いた文に対して、上のあたりを意図的に返事を避けておられるように見えたので、書いてみました。 それくらい構わない、と思っておられるのでしょうが、それが質問者さんの主張の生命線になっていると思いませんか? ここが崩れたらがらがらと壊れるんです。だからこその極論です。 続きます
お礼
いまいち論旨がわかりません。 どうやら物理がご専門とのことなので、私の主張が崩れるような因果の破綻した物理現象のたった一例でもいいから説明し、間違いを証明すればよいと思うのですが、それをしないというのはなぜなのでしょう。 それが最もスッキリ私を論破できる方法だと思いますし、私にとっても理解しやすいはずです。 私の思想の持ち方自体を批判していらっしゃるようですので、教育者の方でしょうか。 因果が破綻している、とおっしゃいますが、人間には因果が見えないだけ、ということは考えられないのでしょうか。 仮に宇宙に本当に因果の破綻している例があるとして、それによって人間に自由意志があると言えることになるのでしょうか。おそらくならないでしょう。 たった一例でも、私が反論できないような、因果律の破綻した現象を説明してください。
- ENERGAIA
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>これ自体が意思ではなく、物質が自分自身の性質をもって行っているので、自由意志ではありません 受け取る刺激で自分の思考やそれによる判断・振る舞いを変えることができるなら、自由に意思を変えることができます。 >自由意志など存在できません 自由意志はないかもしれないが、意思を自分の望む、好ましいと思う方向に誘導する・変えることはできるのでは?そして、そうやって変えようとする意思は、自分で自由に意思を変えようとするか・しないかにあるのだと思います。 おそらく、真実は自由と不自由の間にあるのでしょう。
お礼
>受け取る刺激で自分の思考やそれによる判断 これ自体が物質の法則によって行われているので、自由に考えているつもりでも、実は予定されている答えしか導き出せていません。
また核心ですれ違ったような感じを得ています。 一人一人の個性があって、その記憶内容も異なっていますから、同じ刺激を与えても各人各様だと言うことは常識だと思います。 条件を絞ります。Aという人間がBという刺激を受けたら、どんな場合でも必ずCという反応が出るかといえば違いますよね。同じであることはただ一回だけ、2回目にはCかもしれないし、C’かもしれない。なら >初期値が一緒で、処理するプログラムも一緒なら、結 果も同じになります。 とはいえないと思います。 一旦起こったことを時間を反転させれば当然同じことになるでしょうがそれは当然のことです。同じことは世間では2度と起こらない。貴方は決定論をいっておられるようですが、今世界は事実として多くの偶然性が支配していることは常識になっています。 脳内での情報処理が今のコンピュータのプログラム処理とかなり似通っているらしいことは確かだと思いますが、それでも、やはり違うのです。これは「不確定性原理」とも「ゆらぎ」とも「複雑系」とも異なったなんらかの原理があるかもしれないことは確かですが、まだ分かっていないと思います。
お礼
komaasさんのご説明はほとんど納得できます。 しかし、未来が決定されるには、この世界で全く同じ結果が2度起きる必要はありません。 >一旦起こったことを時間を反転させれば当然同じことになるでしょう この部分に同意していただけるのなら、世界は決定されているということです。 なぜなら、これはある瞬間に対する未来は常に同じである、ということだからです。
補足
なぜなら、これはある瞬間に対する未来は常に同じである、ということだからです。 失礼しました 正しくは なぜなら、これはある瞬間に対する未来は常に決定されているということと同じである、ということだからです。
しっかりと意図が伝達されていなかったようですので、今一度書いてみます。 >何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により 決定されております の>何を思うか何を意志するか は、入力としての刺激があった後の状況として、何が”出力としての”思うこと、または反応的な現れとしての意志になるか、ということですよね。 単純な生物でもひとつの刺激に対して起こす反応は一様ではありません。学習するからですが、人間はさらに刺激からその反応としての行動までに膨大な脳内計算を行うのが常です。貴方がそういったシーケンス的反応を一様だと捉え、あらゆる入出力の解が最初から決定されていると仰るのならそれは少し違うだろうと言ったまでです。赤い色を見て、ある時は興奮を覚え、ある時は嫌悪感を感じるという人間の複雑さを私は言ったわけです。雑音やらエラーが必ずしも外部要因だけだとする理由もありません。人間の思考回路の分析はまだ途上であり、貴方が考えるほど単純ではないだろうと私は思っています。自由意志の可能性は(いずれ解明されるだろうとは思いますが)まだまだ残っていると思います。 おおむね貴方のお考えに賛同できるということは全回言ったとおりです。
お礼
>入力としての刺激があった後の状況として、何が”出力としての”思うこと、または反応的な現れとしての意志になるか、ということですよね。 そうです >単純な生物でもひとつの刺激に対して起こす反応は一様ではありません。学習するからですが、人間はさらに刺激からその反応としての行動までに膨大な脳内計算を行うのが常です そうだと思います。 >貴方がそういったシーケンス的反応を一様だと捉え、 それは違います。 >あらゆる入出力の解が最初から決定されていると仰るのなら これは、最初から決定されていると考えています。 komaasさんは、私が事象を一般化して、AというものはBという刺激に対してCという答えを出すというふうに考えている、と捉えているようですが、それは違います。 まずAというものですが、A名づけられた集合の中からどれか一つづつとってきて、Bという刺激を当てれば、それぞれ違う反応が返ってくるのは当たり前です。なぜなら、ひとつひとつ個性があるからです。 また、仮にひとつのAに限定したとしても、時間によって異なった反応が出るでしょう。 しかし私が言っているのは、そのA(仮に脳という集合にします)の中のあるひとつ(私の脳)、が「今という瞬間」にBという刺激を与えられたらどうなるかということです。 今この瞬間、私の脳の状態は決まっていますね。もちろん科学的にどうなっているかなど現代の人間にすべては解明できませんが、ある状態になっています。では、その今の脳にある刺激を与え、仮にテープのように巻き戻して何度でも試せるとしたら、毎回結果は変わると思いますか? 変わるはずがありません。初期値が一緒で、処理するプログラムも一緒なら、結果も同じになります。 私達の世界というのは常に、瞬間の連続であるが故に、何が起こるかが決定されている、というのが私の考えです。
- sheep67
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ごめんなさい 無視行きって・・・ 「無意識」でした。失礼しました。
- sheep67
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僕の好きな物理の話なので、さらにさらに・・ 観測問題が意識と関係がないとは、それはまた・・ 意識で観測するから生じる観測問題なのではないですか? 論理的に都合の悪いところをこのように排除してしまえば、できてくるものは、それは正しい物になります。 僕が言いたいのも、話の直接の内容、というより、質問者さんが、陰に日向に、つまり意識的にせよ無視行きにせよ、問答無用の前提としている部分の選択に、かなりの偏りがある、ということです。 人間は議論するときに、フィールド、枠組みをあらかじめ決めて議論をしますが、その枠組みの作り方がかなり手前味噌だなと思います。 自分の主張する内容が論理的に正しくなるように、話の前提や枠組みを選びなおしたり選択したりしていませんか?
お礼
>自分の主張する内容が論理的に正しくなるように、話の前提や枠組みを選びなおしたり選択したりしていませんか? ひとつ大前提があります。 それはすべての事象には原因があるということです。 その原因というのは厳密な物質の挙動であって、それを指し示す言葉ではありません。 たとえば、「ボールがコンクリートに落ちる」 という「言葉」から生まれる結果としては なんでも起こりえます。ボールが床からバウンドする、というのが一般的でしょうが、コンクリートが壊れたり、床が抜けたり、ボールが床に当たって爆発したり。 しかし、その世界の物質の挙動全体を見れば、起こることは完全に決まっているわけです。 しかし事象に原因があるというのは、確定的なことだと思われるので、あえて前提として書きませんでした。 というのは、物質が運動するにはエネルギーが必要であり、また物質の世界にはエネルギー保存の法則があるわけですから、エネルギーはすべて必然的な変換が行われるのみで、新しい別のエネルギーが生まれることはありません。物質は与えられたエネルギーと、自分自身の性質を元に、必然的な運動しか起こす事はできないでしょう。 ゆえに意識は必然である、という結論が生まれます。 もちろん意識に限らず、この世界のすべては必然である、というほうがはっきりしますね。
お礼
長い回答をありがとうございます。 私は物理の知識は高校で学んだものと、テレビやちょっと趣味でかじった程度の知識くらいしかないので、新出単語については自分でwikipediaなどで調べてから回答することになるためお礼が遅くなってしまい、申し訳ないです。 蛇足ですが、その単語の内容すべてが理解できなくても、今ここで議論されていることに関わる本質的な概念だけ理解できれば、議論が続けられそうな気がしましたので、臆面もなく反論させていただきます。 >自分をどう扱うか 意識というのは、物質の性質にすぎないと思っています。 物質、というと、多くの人は単に「存在するモノ(物体)」として捉えると思うのですが 単に「存在するモノ」としての物体というのは現実世界では存在しないと思います。 物体と思われるものは、物質の集合体で、物質というものは本来性質そのもののことだと捉えています。 どういうことかというと、例えば電子という存在は、物体+電子の性質として捉えるべきものではなく 電子の性質そのものが電子という存在そのものであると捉えるべきだと思っています。(あまりうまく説明できません) 私達の意識の正体が電子なのかクォークなのかはわかりませんが、性質(物質)こそが意識そのものだと思っています。 物体という概念からは意識は生まれません。 そんなわけで、ことさら自分(意識)を物質と隔てて特別視して考える必要はないと思ってます。 >物質があることをあまりに重要視しすぎてるから この世に物質意外のものは存在しないと思っています。 >>すべての意思や私もあなたもなく、すべては物質のふるまいであると言い換えることもできます >こう言われてるのに、質問者さんの投稿文は、それを考慮に、前提にはしてませんよね? それを前提にするとどのような文が成立するのでしょうか >エベレット解釈やシュレディンガーの猫など、あのたぐいの問題は、すでに解けない問題として決定し >てますし、時空の性質を仲介にした観察観測ができないのですから、仕方ないのです。 人間にとって観察観測ができなかろうが、変化は起きるし世界に影響を及ぼすわけですから、何か問題が起きるのでしょうか。別にその観察対象だけが異次元にいってしまったわけではありません。 >意味とは、偶然と必然のペアがあることで成り立つのに、すべて必然、逆にすべて偶然というと意味が成立しません。 感覚的には偶然と必然があるような気がしますね。 しかし、自分の人生は天によって完全に決められているから完全に自由であり、価値が生まれるという考え方もあります。 >ビックバンより前にはさかのぼれませんが・・人知の限界です。 確かにビッグバン以前はネックですね。 仮にビッグバンがすべての始まりなので、ビッグバンから先はすべて決定されているとしても思想的にはさほど影響がありません。 >因果は、時間空間変化を伴いますが、特異点では、それが成立してません 特異点では因果が止まっているということですね。 しかし、そこで因果が止まっていても、世界は動いているので、関係がないと思います。 そこで何かのつながりが止まってしまう、というのもひとつの結果です。