- ベストアンサー
私の住む近くに城跡がありますが、人が住む城跡と、人が住んでいない城跡が
私の住む近くに城跡がありますが、人が住む城跡と、人が住んでいない城跡が有ります。すんでいる人たちは何故その地にいるのでしょうか?名もバラバラで親戚でもないようですが。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
おそらく、戦国時代に作られた城址なのではないでしょうか。そういった城は、城の名前がついていますが実際は現代の言葉で置き換えるなら「砦」と呼ぶのがふさわしいものです。 戦国時代は、基本的に城に住むものではありませんでした。普段の暮らしは暮らしやすい普通の家屋で暮らし、いざ敵が攻めてきたら近くに作ってあるお城に籠もるのが普通でした。武田信玄の躑躅ヶ崎館は有名で信玄公は「人は城、人は石垣」といって城を作らなかったといわれますが、本当は躑躅ヶ崎館の北側の山頂に要害山城があり、いざというときはそこに籠もることになっていました。 主要となる城の周囲には監視廠としての意味もある支城を築いてネットワークを作り、そこでその地域全般の防衛力を高めようとしたのです。 お住まいの地域はほぼ平地で寄るべき防御に適した地形がありません。ですから、支城をたくさん築いてなんとか防衛力を高めようとしていたのでしょうね。そちらの地域では、戦国時代は真壁氏や結城氏、宇都宮氏などの小規模な領主が林立していて武蔵(東京)方面は北条氏がいて、水戸方面は佐竹氏がいて双方は対立していたのでいわゆる有力な領主がおらず、関東でも戦火の絶えないホットゾーン(鉄火場)でありました。 戦国時代が終わると、そういった小規模な砦は別に「一国一城令」を待つまでもなく破棄されました(維持管理するにもお金はかかりますからね)。そのうちそこは荒れ果てていったのでしょうが、人が住める場所だったので(山のてっぺんじゃそうはいきません)何かのきっかけでそこに人が住むようになったのでしょうね。
その他の回答 (2)
- oska
- ベストアンサー率48% (4105/8467)
>すんでいる人たちは何故その地にいるのでしょうか? 明治新政府は、全国の城郭を没収し陸軍省の管理としました。 この時、全国の城は「破壊・存続」とランク付けされました。 多くの城では、建物(櫓・天守閣・門・御殿など)の多くは木材商・風呂屋などに払い下げています。 有名な姫路城天守閣も、風呂屋が牧燃料として2円前後で落札しています。 解体費が高額なので、解体を諦めたんですよ。結果、今でも国宝として残っています。 では、何故「人が住んでいる城跡と、住んでいない城跡があるの?」 大正時代、陸軍が駐留しなくなった城跡は「元藩主に払い下げ」を行なっています。 没落しなかった元藩主一族は、その城を買い取って住居(別邸)にしています。 昭和の大戦後、税制改革が行なわれ「多くの城が、売却」となりました。 当然、売却しなかった城もありますし、市町村・都道府県が購入した城もありますし、個人・団体が購入した城もあります。 個人(城主の子孫)が持っている城は、犬山城(成瀬家)が有名です。 団体が持っているのは、某宗教団体が所有している丹波亀山城が有名です。 室町・戦国時代の城は、そのまま(城主が戦死していなければ)子孫が住んでいる場合が多いですね。 土塁・堀に囲まれた旧家の多くは、室町・戦国時代の城跡の可能性が高い様です。 事実、字名に「馬場・土居・館・堀内」など城に関する地名が多く残っていますよ。 質問者さまが何処にお住まいか分かりませんが、各都道府県教育委員会は「中世城館跡分布調査報告書」を作成しています。 図書館に行けば閲覧できますから、ご確認ください。城跡毎に歴史・現状・所有者などの記載がありますよ。
お礼
とても詳しいご回答有り難うございます。 茨城県の牛久市に住んでおります。牛久沼の周りには城跡と云われる場所が多く、散策の種には事欠きません。幕末に存在していた牛久城跡には林に囲まれた中に民家が多く、お墓には安政の頃の年を記したものもあります。 早速図書館に行き閲覧させてもらいます。有り難うございました。
- TrailJoy
- ベストアンサー率23% (207/876)
理由は色々あるんじゃないですか? 想像ですが、廃藩置県あるいは大政奉還以前に既に城として使われなくなったとか、 旧藩主が売ってしまったとか、政府から民間に払い下げられたとか。 ちなみに昭和まで旧城主所有になっていたお城は愛知犬山城ただ一つだそうです。
お礼
ご回答有り難うございます。 城跡の地を見ると樹木に囲まれた静かな環境で、何となく住んでみたいと考えたものですから質問しました。集落には農家の方が住み城跡の周りには田園が広がるという景色は、東京で生まれ育った者にはうらやましく思います。ちょっと不便かなとも思いますが。
お礼
納得のゆく回答有り難うございます。 例を挙げては申し訳ないけれど「小美玉市」なんて頭文字だけを合わせた地名が出来ると寂しくなります。以前東京都豊島区に住んでいましたが、「太田道灌」を主題とした小説を読むと、練馬氏・志村氏・板橋氏・豊島氏など豪傑の名前が今地名として残るところにロマンを感じます。牛久市には岡見という岡見氏にちなむ地名もありますが、「岡見城趾」には石碑が一つあり、その場所は竹林と畑です。昔には興奮も有った場所、今は耕耘機の音が響きます。 近くの「遠山城跡」には何軒もの家があり部落を構成しています。片や人が住み、片や人が住まず、こんなところに疑問が生じました。今住む人に機会を得てご先祖の話でも聞ければと思いますが難しいかな。 狭い地域でさえも確かめたいことが次々に出てきます、また教えて下さい。有り難うございます。