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日米関係 アメリカの怒りが顕わになる
- アメリカが日本に対してイライラしている様子が見えてきた。特に鳩山首相の外交方針が問題視されている。
- 米ワシントン・ポスト紙のコラムでは、鳩山首相を酷評。オバマ政権の高官たちに信頼できない印象を与えたと指摘されている。
- 一方、オバマ大統領と中国の胡錦濤国家主席は仲良く握手し、絶好の関係であることが報じられている。
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以下に、愚生の“核防衛論”を述べさせていただきます。 [背景] 1. 主に中国、北朝鮮、またはロシアに対する核抑止力が得られるとするのが、核武装論の中核。 2. 核抑止力とは、敵の先制攻撃によっても生存可能な報復用の核兵器を持つことにより、敵の核攻撃を抑止する力。 3. その核抑止力が敵対しあう2国間で最大、すなわち国家の存続が不可能となった状態が、“相互確証破壊”。 [肯定派の意見] 1. 実際に同盟国が核攻撃を受けた場合、米国が何千万もの自国民が死亡する危険を覚悟して核による報復という軍事的選択を行うかどうかは、疑問。 2. 米国による核報復を想定していても自国民の被害を顧みないような独裁者の存在も想定しなくてはいけない。 3. 例えば、元海軍大将は「もしロシアが日本に核ミサイルを撃ち込んでも、アメリカがロシアに対して核攻撃をかけるはずがない」と断言し、カール・フォード元国務次官補は「自主的な核抑止力を持たない日本は、もし有事の際、米軍と共に行動していてもニュークリア・ブラックメール(核による脅迫)をかけられた途端、降伏または大幅な譲歩の末停戦に応じなければならない」との発言がある。 4. 米国経済にとって中国の価値が日本の価値を上回れば、米国が中国の脅威から日本を守ろうとする動機が希薄になる。 実際に中国が経済的、軍事的に超大国となった場合、米国は台湾や日本を守るため中国と戦争は出来ないという指摘は米国の学者からもなされている。 [核保有の形態] (1) 単独核保有論:日本国一国のみにより、開発し、保有する。 (2) 米国の核兵器配備要請論:かつて、西ドイツでもございましたが、米国の核兵器を借りてくる。 (3) 日米共同核保有論:日米との共同開発により、核を保有する。 [懸念材料] 1. その日本が核兵器拡散防止条約(NPT)を脱退することは潜在的核保有国のNPT脱退を正当化させ、NPT体制が崩壊する引き金になりかねない。また、既に日本が批准しているNPTを反故することは、国際社会における日本の信頼を損なう危険性がある。 2. これはNPTの維持拡大を国益と認識するアメリカとの衝突でもあり、日本は唯一にして最強の同盟国を失う契機になる可能性あり。 3. 米国の金融制裁・経済制裁: 例えば、日本の自動車・電機等の最大顧客は米国であり、日本にとって米国の貿易制裁は大打撃となります。また、ドル決済には米銀とのコルレス契約が必要で、バンコ・デルタ・アジアを見ても金融制裁でドル決済不能に追い込まれると大手邦銀は軒並み倒産すると予想されます。中国の外貨準備が日本に比肩するレベルになっているので、米中に結託されたら米国債を売っても中国に買われてしまい日本は屈服に追い込まれてしまう可能性が残存しています。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A0%B8%E6%AD%A6%E8%A3%85%E8%AB%96 からでございます) [愚見] おそらく、残念ながら、現在の日本政府(政治家、官僚含みます)では、米国との同盟を維持したままの“核保有”には困難なところがあろうかと考えております。一つ間違えれば、仮想敵国の中国のみならず、米国までをも敵にしてしまう危険性を孕んでいるからでございます。実際、台湾におきましても、「台湾の複数の軍関係者らによると、台湾は中国が核実験に成功した1964年以降、当時の蒋介石政権が核開発に着手したが、計画を知った米国は1976年、台湾に圧力をかけ、計画はいったんは中止されたとされる。」とのことだそうです。 また、そもそも、中国共産党が、軍部を抑えている間は、戦争を侵そうなどという愚行には走らないと考えております。もちろん、北朝鮮もまた同様に考えております。 つきましては、愚生は、核武装論の議論を進展させていく必要があるものと考えてはおりますが、少なくとも現在の政権下では、核武装するのは、デメリットが高いと考えております。 ご参考になるところがございましたら、幸甚に存じます。
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- heartmind
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日米関係といえば、新自由主義による外資と日本企業の関係は見逃すことはできないのじゃない でしょうか。 企業が外資との関係を意識すれば、どうしても配当はそれなりに増えてきます。その為の 人件費の圧縮は避けられません。企業は優秀な人材がいないと企業そのものの魅力もなく なってしまいます。株主からするとこの辺にどうしてもジレンマがある訳です。 企業もやはりその辺の駆け引きがうまくいかないと淘汰されてしまいます。 財政も同じで、財政再建を頭において歳出をカットして増税すれば財政再建が出来るはずなんて 大間違いで、一時的に健全化しても、消費が減れば景気が低迷して税収が落ち込むのはあたり まえです。 福祉も同じで、高齢化に伴って、社会保障給付がどんどん延びて従来の社会保障制度では成り立た ないので持続可能な制度にするためGDPの伸びに合わせて社会保障給付費を管理するとしたところ で、じゃあやっぱり不安だから将来の為に消費は控えようとなるし、人間が病気になったり老いて 体が動かなくなるのは避けられないことなのです。 税制も同じで、バブル崩壊後大企業の法人税や高額所得者の所得税を大幅に減税して 75%だった高額所得者の最高税率が37%になって大企業の法人税も大幅に減税を しました。これがプラスにでればよかったのだけど、結果的には、日本経済は深刻な 不況、財政赤字を抱えてしまいました。 そうそう思ったようにいかないだろうと考えて、どの辺がもっともいいかの折衷対策を 踏まえたうえでの成長戦略が必要なのでしょうね。
お礼
ふううむ。いちばんきついご批判であるかも知れませんね。 ――これはこれは ハートマインドさん いつから論客におなりになったのですか? ご回答をありがとうございます。――いままで爪を隠していたってところですか? 内政にしたところで 経済計画のとおりにいくわけがないどころか 政策のめざした内容がそのまま実現するとは限らない。まして 外政として相手のある――そして 国際法などあって無きがごとしとさえ言われかねないところの――国際場裡において ねらいどおりに外交が成功すると前提するほうがまちがいである。 ★ そうそう思ったようにいかないだろうと考えて、どの辺がもっともいいかの折衷対策を / 踏まえたうえでの成長戦略が必要なのでしょうね。 ☆ ま ――あまり好きな言葉ではないですが――中庸がよいかも知れない。案外狙わないときによい結果が出てくるかも知れないと。 ただし全体として いくぶん 新自由主義の考え方には批判的な評言であると受け止めるべきでしょうか? 行き当たりばったりとさえ見えた従来の日本式の社会の運営の仕方のほうが 結果としてうまく行く場合もあるのではないかと。 Hidocchi さんの情報によると ▲ CIAに支配され続けた日本政治の基本構造 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/cia-a85b.html ☆ として 「経世会(旧田中派)」VS 「清和会」+検察+アメリカ という構図があるそうです。 あるいはまた 《年次改革要望書》という要望が来ているのだそうです。 ◆ (ヰキぺ:年次改革要望書) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%94%B9%E9%9D%A9%E8%A6%81%E6%9C%9B%E6%9B%B8 ☆ 触れておられるように 外資の進入を容易にする政策なり――三角合併とか言っていましたね――にせよ あるいは郵政改革などの構造改革にせよ 《アメリカ政府による日本改造》がおこなわれているのだそうです。 一点思ったのですが アメリカは ほどほどという考え方をするのかどうかです。でも手なづけてまいりましょうか。 あっ ★ 成長戦略 ☆ っておっしゃいましたか? どうでしょう? やはり GDP の問題が基軸になりましょうか? 避けて通れないでしょうか? 何か経済行為の形式にもあたらしいものがないでしょうか? まだ時期尚早でしょうか?
チョット言い過ぎたかもしれません。 ごめんなさい。 へんじをしてください・・・ しんぱいです。
- old_sho
- ベストアンサー率38% (20/52)
外交あるいは日米関係という件については、ちょっと横に置いて、新聞記事から受ける印象です――ワシントンポストを読むような語学力は無いので、全く日本の新聞記事だけの――。 オバマ大統領との会談を勝者・敗者の基準にすることが、如何に傲慢な表現かをコラムニストは承知の上での皮肉かどうかですよね。普段どんなコラムを書いているか知らない者から見ると、つまり日本の新聞が引用するその仕方から見ると、日本の首相はこんなに馬鹿にされたで!と言うことで、アメリカ人の大国主義を示しているだけですね。 その事より、「核」安全保障サミットという会議らしいですね。要するに、イランの核開発への制裁を本格的に始める時、各国へ応分の負担を求める準備の一つかと思いますが、毎日新聞の記事では、そのコラムで、「『ユキオ、盟友のはずだろう? 米国の核の傘で何十億ドルも節約しただろう?』と畳み掛けた。」とあったというのですが、こっちのほうがカチンと来たのですが。日本とか他の国に多数居るだろう偏狭な民族主義者たちに、「やっぱり核を持たなければ馬鹿にされるで」というメッセージを送っていったいどんなメリットがあると言うのか。 軍事力と経済力、その間を縫う外交駆け引きといったものとは別の、(ちょっとオーバーで気恥ずかしいですが)人類的団結をしないと解決出来ないかも知れない、そういう課題が迫っているのではないか。今の子供たちの子供たちが、この時代の無策に怨嗟の声を発することが無いようにせねば。当面する課題と遠くに設定されがちの理想との距離が無くなりつつある。つまり眼前の課題を解決して行けば、必然的にあるべき道を進んで行く、と言っていられなくなるのではないか。そういう事を感じている人々は増えてきていませんか、どう名づけられているか知りませんが。 ――で、質問者様の「日本がノーと言うときが来た」につなげると回答らしくなるのですが、そこまではシンドイので、お粗末様でした。
お礼
オールドショーさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。何回かお世話になっていたと思います。 ★ 毎日新聞の記事では、そのコラムで、「『ユキオ、盟友のはずだろう? 米国の核の傘で何十億ドルも節約しただろう?』と畳み掛けた。」とあったというのですが、こっちのほうがカチンと来たのですが。 ☆ なるほど。そしてたぶん 今回もし潮の流れが万が一変わるとすれば それは当然のごとくこの力学の論理で世界が動くかどうかに関してではないかと思いました。その一辺倒で動くのか です。プラス外交努力と言ってつけ添えた場合には それもやはり 軍事力一辺倒になると思うのです。たぶん 出してもらった次の命題と軌を一にしていると思います。 ★ 軍事力と経済力、その間を縫う外交駆け引きといったものとは別の、(ちょっとオーバーで気恥ずかしいですが)人類的団結をしないと解決出来ないかも知れない、そういう課題が迫っているのではないか。 ☆ つまりわたしに漠然と思い浮かんだことは もし変わるのだとすれば 核戦力という事実はまだあり続けるでしょうが それに対して降参です・お手上げですとはっきり言いつつ 別の考えを用意すること。互いに用意すること。そういう阿呆な戦略が現われるかも知れない。といったことだったかなと思いました。 ★ 日本とか他の国に多数居るだろう偏狭な民族主義者たちに、「やっぱり核を持たなければ馬鹿にされるで」というメッセージを送っていったいどんなメリットがあると言うのか。 ☆ オバマも旧い! (だからアメリカは いまのところ 有力だ)。 そして ワシントンポストも落ちぶれた! もし ★ オバマ大統領との会談を勝者・敗者の基準にすることが、如何に傲慢な表現かをコラムニストは承知の上での皮肉かどうかですよね。 ☆ というふうに余裕の皮肉かしゃれのめしただけだったなら まだいいのですけれど。 トヨタの問題でも どうもわざと事故を作りだすという人間がいると言うことでしょう アメリカ人の中には? この感覚は分からないですね。柔道でお株を奪われても日本人は しっかりとその負けを受け止めますよね。アメリカ人にとってクルマで追い抜かれることは 自暴自棄になるということなんですかね? ★ 当面する課題と遠くに設定されがちの理想との距離が無くなりつつある。つまり眼前の課題を解決して行けば、必然的にあるべき道を進んで行く、と言っていられなくなるのではないか。そういう事を感じている人々は増えてきていませんか、どう名づけられているか知りませんが。 ☆ さらに模索してまいります。みなさんも ほかの回答にけちをつけてはいけないという規約には触れないと考えますので むろん批判を含めて 批評をお願いしたい気持ちです。
補足
おぎないです。 普天間市民は アメリカの人びとに みづからの生活風景をしっかりと見せてやらねばなりません。これが 日本人の生活様式なのだと。そもそも和のうちに生きてきたんだと。 決して力まなくてもよいかたちで ちょっとふるいけれども やまとだましいを生活の中で 共同生活とはこういうふうに営むのだと言えるほどに 見せつけてやれば どうでしょう? 《もののあはれ》を知るとは こういうものだと。 うちなわんちゅうの《せぢ》のちからを。《にっちゅ》の愛を。 口げんかはいいが あらそいはしなくて済むのだと実際に見せてやるほかないのではないでしょうか? そこから人間を変えて行くほかないのではないでしょうか? この日本人の生活様式は 日本の最高の輸出品目ではないだろうか。 共生のための 和のための生活の知恵。日本人じしんを・そのムラ一式を 輸出しなければならないのではないだろうか。
両国は、親交を深めていくという記述は何処にでも記載されている事実=リップサービスでしょ。 外交=ディプロマシーの基本です。 鳩山外交に対案がないということを、「loopy」といっているんでしょ。 「貴方が英語が出来ない」というのが問題なんです。 原則論は、「理想主義的」失敗の文脈に数え上げられています。 よくよみなさい。 私の言葉を改竄しようとし、 更には、国際関係論というくだらない学問を、外交官が教育されるという事実を無視しようとしても、 真実を曲げることは出来ません。 貴方の私に対する主張は、私の言葉ではありません。 主張は 政策について どうこうしよう・具体的にこうするべきといってないようだが、 貴方の意見はこうであると決め付け(前後関係からしてもすごい矛盾)ているのは貴方です。 勝手に私の言葉を再構成しないでください。あるいみすごい。 理解力がまったくない。 私が書いたことでもないことにいろいろ書き足して、恥ずかしくないのですか? 国が人格ではないというのは認めなさい。 「沖縄の基地をやめる」と政策プログラムに書いてしまってやっべえ と思っているだけの人が、鳩山文書の起草者です。 それ以外深い意味はありません。 下にも書いてあるように、 凝り固まった理想主義にどんな意見を掲げても、政策の好転は、望めません。(inc. loopy=チョットいって見ただけ=宇宙人はいるかもと考えてみただけ=よいどれのたわごとに次のプランはないでしょう。) 一石投じたことにはなりません。 あがれば勝ちとおもっていたのは、鳩山さんでしょ? 具体的プランはなかったということです。 2度も記載しましたが 政権交代まで秒読みなのですから何を言っても無駄です。 ここまで説明してもまだわからないと主張するのでしょうけど・・・ 瞬間湯沸かし器はやめなさい。 教えてもらうという自分の立場を考えなさい。
外交文書を読んだことのない人の反応www 批判になってない・・・あわれなりwww >わからずやは、自分の関係するも>のすべてが、きにいらず、 >自分だけが正しいと思っている。 >おれおれ感覚の老人に何を説明しても無駄であるのと同じで、 >聞く耳持たない姿勢に変化はありません。 >おいさきみじかいものに、何を示してもエネルギーと資源の無駄です。 宿題は片付けたの? 歴史主義・政治的リアリズムは理解しましたか? 判らないことだらけでしょうけど 整理がついたら、外交・軍事のカテで質問を立てなさい。 無知 スクラップブックの恥脳は、目障りです。 >ひびの去れ
お礼
それでは 規約違反の投稿を 削除されないかぎりで 投稿しつづけていなさい。 いっさい無視します。 またわたしとは いっさいの関係性をも断ったと認識します。 話がしあえる人間ではないと見なします。
そうですか。いろいろ勉強になりました。 説明自体も、プリミティブな概念のみで理解に事欠きませんでした。 nananisseさんも、これからは、意地張らないでそういうことをまるく述べられると、多くの人の質問にも示唆を与えてあげられるのではないかと思いました。 nananisseさんは、私とあまり縁がなかったと思います、nananisseさんが何をどのように考えている方であるのか解からなかったのですが、熱心に勉強されておられるようですし、今回のお答えを横からですが拝聴させていただき、それも少し、(ほんの少しだけ)わかったようで、安心しました。 質問者さんは楽しい方で、自称、金平糖だそうなのですが、自分はハリネズミも嫌いじゃないですよ。露店販売の、飴細工のハリネズミを思い出します。それに、nananisseさん、他にも多くの見識を備えておられることでしょう。今回の、政治経済の事だけに詳しいのではないでしょう。今後のご活躍をお祈りいたしております。 今後、私が質問するときは、何か答えられそうなことあれば、よろしければお願いいたします。 さて、哲学のカテゴリの微妙さ、現状の何でもカテゴリになっていることについては、哲学の本筋利用の方には申し訳なく思っています。その他学問、あるいはそれぞれの部門に適切に質問されることは望ましいのですが、現状、色々の人がたむろしている状態です。問いの究極が、哲学のみに存在するということは考えられず、その他学問カテゴリに移動した方が、私などはよいと思います。皆さんは如何考えておられるでしょうか。 質問者さん、色々とおじゃましました。 nananisseさん、重ねての質問はここでは控えますが、ご縁があればまたご教示ください(^^) 楽しみにしております。
新聞に書かれてあることも読み取れない方々に、啓蒙的に理解できる範囲という事ですか? 基礎中の基礎ということで・・・ 仮想敵国がどこかということから考えるべきでしょう。 権力政治的側面と実行力行使の側面=武力行使からの分析は、古典的出発点です。 「政治的リアリズム」ということです。 国家を人間と擬人化して捉えるやり方を国際関係論(IRs)といいますが、この論点の 出発点はあくまで、軍人・政治化の卵たちへの教育的土台です。基礎中の基礎の「基本理論」としては、外政優位の原則があるでしょう。基本政策の決断をする際、内政は外交諸手段と切り離された文化的意味連関であるとする立場です。 国際関係を語るうえで教科書的「あいうえお」にあたるのは、モルゲンタウ(モーゲンソウ)の現実路線です。 国際関係の舞台は、基本的に無法です。明文化された法体系が紛争を基礎として観衆的文化的に「調整」され、ある一定のバランスへと安定化していきます。 国際政治の世界は、協調の世界=ほもちゃんのハーモニではないということです。 そういう議論をやめるべきであるというのが正論です。 留まることのない権力のハプニングを、介しながら、武力行使・政治的文化の形成という二つのやり方を使って政策的自由を獲得していくということです。原則的にほもちゃまの原則論ではないということです。「いじわるう」というのは、政策にたけていないということの証です。日本にひきつけて話すと、プランとしての「他国側からの対応オプション」というのが、まったく想定されていなかったという「鳩山場当たり外交」は、他国の外交政策には、存在しません。おくさまの「私は宇宙人を信じています」発言もそうですが、緊急シュミレーションプラン=シナリオが立てられていなかったということです。 モルゲンタウによれば、外交舞台を人間がどう捉えていくかという視点を出発点としながらも、一般人(戦直ピーポー)が、どういう風に世論操作されていくか、ということをトレースする必要があるということです。国際関係の中では、言葉は、事後処理的な意味(歴史叙述)しかもたず、現実の権力をどう拡大していくかという権力合理的な部分にのみ焦点を当て、それを骨子としていくということです。 国際政治の舞台では、他国への信頼はリップサービスでしかありません。プロトコルに記載される「よきかな・よきかな」という内容の文化儀礼です。それを理解しなかった日本の外交官が、19世紀の外交儀礼=朝貢外交を繰り返した結果が今の日本の国債社会的地位です。その地位をドイツ・フランス・中国と比較してみるべきです。無視される小国です。おじじの知識的無知が引き起こした、哀れな末路です。 法制が整っていない国際舞台で、マキアベリズムまでいかなくても政治的狡猾さは、必要不可欠です。 論点として、3点= 東方外交圏の構築と日本=イニシエータとしての「ドミナンス」を築き上げる必要性。 西側戦略文化圏の保持。 アジア権力体系への食い込みおよび利権保持。 パッシブ一辺倒で、外交成果がひとつも上がっていなのに、軍事で点を稼ごうというのは、無意味です。自衛隊の防衛プランが変化していないのがその証拠。言葉の変化に現実の変化が伴っていない。学習できない哀れなおかまちゃんたち。変な孤立主義が続き、思考能力が鈍った「スクラップブックの恥脳」です。 具体的にモルゲンタオのいうダメダメプランは、「孤立主義」と「ウイルソン的イデアリズム」です。(教科書的・古典的にはE.H.カーの大戦間期国際関係論に基礎的記載アリ) モルゲンタウ的戦争起源論が、まず理解されていくべきでしょう。他国の外交官政治(立法・司法・行政)がなぜ特定の政策に行き着いてしまうのか、という議論が第一前提です。日米の最大の問題は、「エリート外交よかれ」という基本精神です。 他国の政策決定の「必然」に目を向けるべきです。チベット問題にしても、中国がいい例です。正義が大事であんなことしてるの? エリート外交という形態を取ることで、外交は、内政から完全に切り離しているのに、極度にイデオロギー的な「外交政策の実行」を国民に約束する矛盾が、外交的失敗の原因です。学問が、「脳内スクラップブック」のほもおちゃま=商人のどら息子たちは反省するべきです。現実を見なさい。 クイズの回答レベルの一般教養(高卒日曜学校=カルチャーセミナー)のレベルです。 で 以上のことは、哲学ではありません。クイズ番組に出ている方々のほうが、質問者とホモだちco.よりずっと哲学者に近いwww 哲学者は無知ではありませんから。
お礼
ふうむ。まづは ご説明をありがとうございます。 そうですね。話が分かりやすくなると思うから 批判するかたちでお応えしてまいりましょうか。 そもそもの大前提として ★ 政治的リアリズム ☆ を唱えておられるとは分かったのですが では どう考えどうするか? これについては 議論が無いように思うのですが どうでしょう? ★ 国際政治の舞台では、他国への信頼はリップサービスでしかありません。 ☆ だから 国家には人格はないという理論になりましょうか? けれども《リップサービス》というのは 人格を持つ自然人(つまり 法人格は 国家も持つかも知れないから 自然人と言ったのですが 要するに 個人)のおこなう行為ですね。おべんちゃらを言うのは 人間ですね。 それとも 人格のない国家を代表するようなかたちであるから 人間の言うお世辞とは次元の違ったリップサービスというものがあるのでしょうか? それが リアリズムなのでしょうか? たとえばとして そういったところが まだ序論か総論をお聞きしただけであって この質問に対する回答とはなっていないように思うのですが どうでしょう? 言いかえると もしこのままで回答になっているとすれば それは こういうことでしょうか? すなわち ○ 世界の流れに逆らわず しかもうまく時流に乗れ。 ○ 何としてでも国益を守れ。 ○ 二枚舌の戦略がいけないとか いいんだとか言っている次元の話ではなく 二枚舌の外交しか国際政治にはないのだと心得よ。 ☆ ということは どうでしょう 首相になれ。具体的な話はすべて 政権を取ってからの話だ。となりましょうか? 次の文章は 具体的な回答のように思えます。 ★ 他国の政策決定の「必然」に目を向けるべきです。チベット問題にしても、中国がいい例です。正義が大事であんなことしてるの? ☆ アメリカの基本方針および政策としては 沖縄は絶対的に必要だという《必然性》のことでしょうか? 中国は そんなに広い範囲で一元的に統治しなくてもよいはずなのに しかも一党独裁において統治すると言ってるんだから チベットに対しても軍事力の行使をも辞さない強硬派路線ないし現実主義路線が 必然的なところだということでしょうか? 社会正義――自由ないし平等の関係――もへったくれもないのが リアリズムなのだと。 ただ どうでしょう。これが 哲学のいとなみなのですか? ★ ~~~~~~~~~~~~~ 論点として、3点= 1. 東方外交圏の構築と日本=イニシエータとしての「ドミナンス」を築き上げる必要性。 2. 西側戦略文化圏の保持。 3. アジア権力体系への食い込みおよび利権保持。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ (2)はよく分かりません。G7ないしG20の相互交通を絶やさず 関係を保てというのでしょうか? (1)と(3)とは よく考えれば うまい・下手を別として 当否や成否を別とすれば 鳩山外交も そのように動いているのではないかと考えますが どうでしょう? つまり そろそろ日本から 一石を投じようとしてる。しかも のらりくらりとしたやり方でそうしようとしている。 ですから 鳩山は その論文ないし東アジア共同体の構想を――今後 五十年の見通しと言っているようですが―― リアリスティックな国際政治として一歩づつ実現させようとしているのではないですか? 当否・成否は別としたということは その上で・つまりそう捉えた上で 理論的にも現実的にも 評価を下していかねばならない。つまり 批判の前提が そういう足元のあり方になっているのではありませんか? シナリオは 鳩山論文でしょう。これをどうして不問に付すのですか? ま たぶん ★ 政治的狡猾さ ☆ とは反対の立ち場 反対の世界観によって 動こうとしているようには見えますが。 ★ クイズ番組に出ている方々のほうが、質問者とホモだちco.よりずっと哲学者に近いwww ☆ ごめんなさい。クイズ番組のことを知らないので 何とも答えられません。 ちなみに ★ www ☆ というしるしは 何ですか?
国家を人格と見るのは間違いと言うのは、それは、妥当だとも思います。禁止されていることではないけど、正しい見解を培うのには、他の見方が適切なのかもしれないね。もっとシビアな、現代学的見方でね。 人格的見方は文学的には可能かもしれないが、政治経済学的には、まったく違う見方をしているというのは、容易に推察できるよね。 不憫だと言うなら何とかしてほしいところだけれど、回答者nananisseさんに何かの明晰な見解を示してもらったらどうかな?話し聞いてると、いろいろわかっててそうだし。それとも、素人には解説できないものなのでしょうか。もうちょっとやさしくしてほしいよね。そこまでいうなら。 たぶん、ジャーナリストも高邁な政治経済の見識は持っているとは思うんだけど、ジャーナリズムの性質上、一般の人に伝えられなきゃいけない、伝えられなきゃいけないので、紙芝居みたいに説明することもあるんじゃないですか。それだけじゃないしね、たくさんの人に、読まれなきゃいけないし。正統派オンリーでやっていく人は、少ない気もするね。そして、それをまともに見ようという姿勢も、自分には培えてなかった節はあると思うしね。 たぶん、nananisseさんの意見は、実際のこの社会というものを観測して見ようぜってことなんだと思います。人でも生き物でもないですからね。ちょうどいいじゃないですか。そういう見解が聞きたいですよ、この質問を見てる人もきっと。 それが聞けたら、質問者さんも、質問した甲斐は一層あるのでは? 一層わかりやすくなると思います。 nananisseさん歓迎ですよ。彼の言うところの、現代的な意見をぜひ私も聞きたいと思います。ずぶの素人も何も、自分は、教科書すら理解できてないよ。最近新聞読むようになったくらい。だって、質問立てるのにすら、知識が必要だってことでしょう。ぜひ、教えを聞きたいね。基礎は大事だから。現代化しましょう現代化。せめて、nananisseさんがどのようにその基礎を得たのかとか、自分の学んできたことの道筋なども含めて、nananisseさんのお勧め書籍とかでもね、知りたいよ。できたらnananisseさんの直説が聞きたいけれど、それはまだ早いって言うのでしょう。 それに、前向きに見れば、もう、1930年ごろくらいの見方は既にできてるってことでしょう。悪くないですよ。ズブの素人にしては。じじいじじい、じじいだけど、実は青いから。いや、もう黄緑色かな。余生はまだ数えてないから。(今日かもしれないけどね。) 未来志向はまだ引いていないけれど、現代を理解しておくのは悪くないよ。 nananisseさん、歓迎ですよ。 賢者だと思ってましたから。最初から。 ぜひ、私からもお願いしたい。nananisseさんに、その気がありましたらば。
お礼
てるてるさん ありがとう。 わたしは 金平糖なんです。 ハリネズミではないんです。
訂正 老子の国家論をどうこう
歴史主義的に投資の国家論を同行するというのと現在の「国家論」というのは次元の違う問題でしょ。 ちょっとかわいそう・・・ 国家を歴史辞書で引くと少しはテーマがはっきりしてくるのではないでしょうか? (歴史主義というのを知らないのでしょうけど・・・レベルが低すぎる) >《だらだら》という規定 引用コピーの貼り付け(更には自分でタイプするというおろかさ)。 自分の家の本棚にある本がすごいと思っているのが「だらだら」ノないようです。 自分が買った本にかいてあること・とってる新聞のおれおれ記事を改めてタイプしなおすというのが「だらだら」です。 自己満足という以外意味がない。 内田樹 福永光司とまあ同じようなひとを並べますねwww 見事なまでの人材選定。 ジャーナリスティックな軽薄理解を超えることのない文学者さんたちの政治問答は 哲学では、ありませんwww もぐりこみ文学者 翻訳家 何でそういう人選なんでしょう? おふたかたとも政治・社会学に関しずぶの素人ですよ・・・ 貴方が理解できるレベルのかたというわけなんでしょうが、 この大前提により、非常に厳しい選択を余儀なくされるとはいえ・・・。 新聞・テレビニュースのレベルから、少しは上のレベルに手を伸ばすべきではないっでしょうか? 貴方が理解できることが「学問」のないようであるとすると、 現在の学問は、70年代以前の社会科学の水準で そのまま停止していることになります。 そうなると受験も存在しません。 自分がひかれる・理解できる政治学・社会学の内容を新聞を見ながら探しても何の進歩もありませんよ。 そういうのがだらだら=旧態依然です。 少しは、進歩しなさい。ちょっとふびんです。
お礼
お早うございます。 対話をつづけるという一つのことが果たされていて わたしもお応えいたします。 わたしの《自己満足》の内容を問わなければ成りません。 あなたのあたまの中では きちんとそれぞれの論点に分けて整理されている(?)のでしょうけれど それは何ら示されていません。その看板だけが記されています。 これこれは あれそれの理由で 旧い / いやぁ それは単なる素人の意見に過ぎる / その点では これそれの現実を見なければならない / いいかい 現在ではかれそれの学者がこういう理論を明らかにしこういう議論をしている云々うんぬん と筋を運んで話はするものなのです。 またそれを求めて 質問は立てているのです。素人でしかも旧いあたまゆえに 問い求めているのです。それを おまえはあほだとののしっても 何にもなりません。 あなたのここに表わしたことは おまえのかあちゃん出べそーーーっと叫んでいるだけですよ。 このくせは ★ 旧態依然です。 ★ 少しは、進歩しなさい。〔* わたし= bragelonne は〕ちょっとふびんです。〔* とは言いません。同じ日本人そして人間であるということにもとづけば しっかりせいと伝えます。お勧めの心得はないかと言われれば おおしえします〕。 知識や情報をあたまに詰め込むのではなく――それをするなとは言いませんが そうするというよりも―― 世の中の成り立ち あるいは ひとの心 そういった肌身に触れるようなことがらについて 気をつけていて 知るようにするとよいでしょう。 いいですか そのような心だとかその世界に繰り広げられる人間関係のありさまは 学問の中には 一般に 取り上げられてはいないでしょう。言いかえると 科学の論理だけではしっかりとつかまえるのがむつかしいと来ています。現代では ということでしょうか。――ですから 《普段から意識的にさえ 気をつけていて》と言いました。 ひとつ例を挙げておきます。 言葉は その額面どおりに受け取っては ほとんどの場合 成りません。初めから悪の道にあって ウラとオモテのある表現をする場合もありますが そうではなく ふつうの人びとも 言葉そのものの意味内容をそのまま言うのではなく へりくだったり・あるいは逆に高ぶってハッタリをかましたりで 掛け値というものがついてまわります。 数量で言うのはおかしいのですが 額面が百だとすると ひとによっては いつも六十・七十のところで話をする場合もあります。謙遜する人は 自分のことを そのように表わします。わたしのように面の皮の厚い者は 時には平気で自分のよさをうったえたりします。(ただし 理論はもとより議論一般も それはそれは 掛け値無しで 百を百として表わします。つまりあなたはまだ 人の心が分かっていないとはっきり言います)。 あまりおとしめてもいけないでしょうが もうひとつつけ添えます。 すでに開発されているいくつかの理論からそれぞれの部分的な要素内容を引っ張って来て 勝手に自分流に編集する場合があります。もはや意味を成さないのですが これを悪びれず堂々とやっている場合は少なくありません。誰もがやっているというものでもありませんが そういう衒学趣味の人は いれば その趣味で固まっていますから はっきりと分かるかたちで存在しています。 なぜこの話をするかと言えば 周りの人びとはこのヒケラカシ人間に けっこう弱い。ころりとまいってしまいます。 つまりは あなたのような知識人間もしくは情報人間は このヒケラカシ人種にとっては 恰好の餌食であるからです。だからそのとき もうその目くらましに遭って人びとの心というものが見えなくなるのです。 わたしは ひとは神の心がやどると思っていますが その衒学者にあっては 自分は神を征服したとでも思っているようなのです。もしくは自分は神のようにいかなるものの下にも立つまいと固く心に決めたという歴史があるようなのです。 しっかりと見つめてあゆんで行ってください。しっかりと耳に聞こえてくるかすかな声にも気をつけているとよいでしょう。
お礼
ううーん。そうなんですよね。 ☆☆ (No.35お礼欄) 国際力学上はおおむねそのように落ち着くところなのでしょうか ☆ と繰り返す以外に いまはまだ 何も思い浮かばないというのが ほんとうのところです。 ★ (回答No.36) ~~~~~~~~~~ 一般に、外交上では、「国家に友人なし。あるのは国益のみ」といわれています。各国間のエゴイズムに対して、ときには、他国のエゴイズムをも利用して、国益を得ようとするのが一般的なようでございます。至った経緯はわからないのですが、騙された経験を持つと、どうしても他国に対しまして懐疑的になってしまうのかもしれません。 ですが、個人(一市民)の観点から見ますと、決してかような言葉に惑わされる必要はないとも考えております。ボランティア支援等やれることはあるからでございます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ と それでも 踏まえまして 考えることは 疑問のかたちになります。 ○ 国益どうしの対立関係において互いに国益を求めるという構図は 必ずしもその目的を達成することが出来るとは限らない。むしろ 究極の予測としては 多大な損害をこうむって 目的の多少の部分を獲得するに過ぎないのではないか。ほかの舞台や台本や演出を求めること そして主役のあり方を考え直すことのほうが よいのではないか。 ○ ということは 国家に代わって 企業や自治体がそれぞれ自己の利益を求めて競争することになるのかも分からない。やはり死闘を演じるかも知れない。それでも――軍事力にはいっさい拠らないかたちになることにおいて―― そのように主役が交代したほうがよいと思われる。 ○ 外交活動は こういった議論と対話をおしすすめていくのがよいのではないか。むろん 言論の活動もある。映画・演劇・小説や何やかやの芸術思想としても推し進めるのがよいではないか。 勇み足でしょうか?