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生まれる時は無意志か?
- 命は無意志で生まれるのですか?無意志と言う言葉はあるのですか?
- 生まれる時は無意志なのか、それとも意図が無いのか、考え込んでいます。
- 質問文章から生まれる時の意志について探求しています。無意志なのか、意図が無いのか、ご意見をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
yukkinn66 さん、すみません。 私たち、ヨガのdevotee的精進では回答がないわけではありませんが、知的回答となると少し教えていただきたいことがありまして、補足のお願いを投稿します。 1)意志って、何かを実現しようとして起す、一定の存在のforceでしょうか? 2)そういうものを具有する、或いは起す存在の範囲をどこまで認容されますか? 3)そういう意欲というか、force、(定義や定立ではない)当為、ないしは原理の根源をどこまで認容されますか? 4)無意志という言語で表したい事情を、意志への対義ではありませんが、メカニズムとか、意志の働きの介在欠如というような状況でしょうか? 5)無意志という語が辞書的に既存に存在しない事やご質問は、無意志という語列やその用法に疑義があるという事でしょうか。それは誤ったことば使用だという意味でしょうか? 6)意志の対義語ではないが、衝動などについて、意志を働かせて場合とどのくらい截然とくぶんできますか?人間の場合。 常人の場合、そんなに意志が根拠性を持っていますか。殆ど動機や衝動、成り行き、ないしは本能などで動いていないでしょうか? 以上のご補足をお願いしながら、だから独断に見えますが、私たちは意志のないもの、根源者のforceによらないものはないし、偶然や成り行きはない。全てが必然摂理であるという立場におります。 決していわゆる神学理論ではないのですが。
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- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
>「生き方も死に方も選べない」と言う意味でよろしいのでしょうか。 精神世界の本によれば「50%ほどの人間がみずからが選択して生まれてくる」と書いてあるようです。http://plaza.rakuten.co.jp/cyousenrekishi/diary/200904040000/ どれだけ(意識的に)選べるのか、という程度の問題もあると思いますが。 死に方を選んで死ねるような人は、生まれてくることも選ばないだろうとも思います。
お礼
再び来て頂き、光栄です。^^ ありがとうございます。 >どれだけ(意識的に)選べるのか、という程度の問題もあると思いますが。 私はかなり小さい頃の記憶があるのですが、それでもさすがに胎内記憶迄は残っていないです。 ちょっと残念。苦笑 >死に方を選んで死ねるような人は、生まれてくることも選ばないだろう 生と死は輪になっています。 生まれたての赤ちゃんと、お年寄りは同じ匂いがする、なんて言っていた人がいましたっけ。 それから、「翁童論」なんて理論を話していた教授もいました。 もっといっぱい知りたい!考えたい!と思います。 奥深いお言葉をありがとうございました!
補足
回答下さった皆様へ。 質問者の準備不足/見切り発車での質問故、曖昧な部分の多い質問でしたのに、丁寧にお付き合い下さった事、感謝申し上げます。 知る事、知識を得る事、知識から思考へ熟成する事、思考から探求を深める事、 もっともっと、と思わせられた質疑となりました。 ありがとうございました!
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
意識内容をなくした、意識自体は意識対象になっていないという意味で無意識ですよね。 ならばこの無意識がどのように機能し、意志を機能させているか。保存しているか。 それはみなさんが、科学的にNo9さんみたいにご説明されていますね。 私たちの教えSelf-Realization Fellowshipではその意識化をする技法伝えてきています。 これはハイパーリンクを削除してありますが、コピー貼り付けで訪問できます。 まぁラージャのヨガですが、ふぅんと眺めてもいいかもしれません。人それぞれの相性ですからね。
お礼
再びのご回答、ありがとうございます。 >ならばこの無意識がどのように機能し、意志を機能させているか。保存しているか。 はい。 意識と意志の関係をまずは解き明かすべきかも知れませんね。 質問文冒頭にあるように、少し急いで立てた質問でしたので、私自身の中で思考が熟す前に皆様の深遠な回答を頂き、読み解くのに時間が掛かってしまいました。 思考にせよ、生き方にせよ、 己の足場をある程度捉えて自覚してからでないと、新たな情報を我が物にする、と言う事は至難なのかも知れません。 思考のはじめの一歩を沢山頂いてしまいました。 ゆっくり熟成して行きたいと思います。 ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
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1.DNAに刻まれた記号 2.生存本能 3.感情 4.意思を含む知性 の順番じゃないかねえ。 つまり、生まれた時には、1.と2.ぐらいまで備えていて、3.とか4.はア・ポステリオリ。
お礼
とても遅い返信となりました事、申し訳ありません! >1.DNAに刻まれた記号 >2.生存本能 >3.感情 >4.意思を含む知性 何かと情緒的な思いにとらわれ易い疑問に、科学的物的探求からのご回答、ありがとうございます。 それでも、例えば「感情とは何か」「知性を科学的に説明すると?」とか言った疑問は出て参ります。 科学(物的視点)と霊的情緒的視点は、相容れない同士ではないように私は感じているのですが、この二つの対立を避ける為にはまずは科学面での厳正で冷徹な探求が必須に思います。 その探求に挑める知識が決定的に不足してい私です。 まだまだ要勉強!です。^^ ありがとうございました!
- HOPinDEER
- ベストアンサー率73% (3803/5162)
ANo.2、DEERです^^。 もう回答で無く、お邪魔します。 その詩は、DEERに深くどっしりとした暖かさをくれました。 目の前の、髪の毛1本、産毛も全て私の中で育まれたのだなって 改めて思えました。 あのときの精子の使命(意思)と卵子の使命(意思)の繋がりがここに・・。 意思があった生き物です。精子は目も無く口も無く、ただ卵子を探して生きて居ました。 なので・・無意思ではないと・・。 貴女にも貴女の願いと志があらば、 必ず細胞に伝わりますよ。 貴女の中で命とは心臓だけでなく、気が遠くなるほどの生き物の集まりです。 それらを「気」 「思い」で動かせると思います。 無意思ではない。 きっと伝わりますよ。 変換できるのですね^^;。 DEERのPC機能はもっさいのかな? 思いがけないところで、暖かなお言葉ありがとうございました。 使命を持った命はあらゆるところであります。 母体の子孫を残したい本能が、またそのように動くのも 無意思ではないですよ。 頑張ってくださいね。
お礼
再びの回答をありがとうございます。 すっかりお礼が遅くなりました事、申し訳ございません。 この詩は、本当に様々な立場から読んで思う所のある詩だと、改めて感じました。 生意気盛りの中学生の教科書に載せられた理由もわかる気がします。苦笑 かつて「生まれさせられた命/こども」として、新たに生み出す側に回るのは結構勇気の要る事でもあります。 日々の中に埋没しても、忘れたくない思いが凝縮している一編です。。。 丁寧にお付き合い下さりまして、ありがとうございました。
「生まれる時」を何処におくかで微妙に変わってくるかとは思いますが、ごく常識的に考えて 既につき満ちた胎児、でなくてもまさに(母体から外へ)生まれようとしている生命には生命力が備わっています。生命力とは基本的に生きようとする意識ですから、まさに生まれようとしている生命は生まれたい、生まれねばならない、でなければここで死んでしまうぞ、という気分になっているし、生まれようという彼らなりの努力をしているはずです。出産は母と子の生死を賭けた協力作業なのだと考えていいと思います。 >1)命は無意志で生まれるのですか? 無意志を意志を持たない(そうしたいとは思っていない)こととと同義と捉えたら NO といえると思います。 >2)無意志と言う言葉はあるのですか? 頻繁には使いませんが、あるのではないでしょうか。意味は通ると思います。 >意志が無い、じゃなくって、意図が無い、の方が厳密かしら? ある、ないではなくて、(その人間がそういった意志を)持たない、持っていないと表現する方が分かりやすいかと思います。 ご参考まで。
お礼
すっかり遅くなりました無礼をお許し下さい。 >「生まれる時」を何処におくかで微妙に変わってくるか そうですね。。。 で、実際の出産/分娩の時には既に、おっしゃるように >生まれねばならない、でなければここで死んでしまうぞ、 まさにその意志はあるのでしょうね。おぼろげながら。 では、「そう思い始めるのはいつか?」ですね。。。 この質問で分かった事筆頭は、「無意志」と言う言葉が出回らない理由、です。 「そうしたい」と思わない、でも、「そうしたいと思いたく無い」とも思っていない。 そんな微妙過ぎる定義の言葉が一般使用される筈が無いなあ、って。苦笑 私が思う「無意志」は、諸々の意志や他者や環境への働きかけを持たず、行わない状態です。 自分で言っていて分からなくなって来ました。 頭悪いなあ、、、、 ありがとうございました!^^
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
自分の生き方・死に方を選べる人がごくまれにいるのであるとすれば、 生まれ方も選べるということになります。
お礼
簡潔なご回答、ありがとうございます。 お礼がとても遅くなりました事、お詫び申し上げます。 >自分の生き方・死に方を選べる人がごくまれにいるのであるとすれば、 これは、「生き方も死に方も選べない」と言う意味でよろしいのでしょうか。 私自身は、生き方も選べないなあ、と思っています。 これは、諦めるとか、無気力とか言う意味合いでなく、 生物の分類としての意味合いでもないのですが。 有限の肉体に閉じ込められた魂の持ち主として、生き方は限られざるを得ない、と言うか。 肉体の中でいつも魂がじたばたしている、と思う質問者です。苦笑 ありがとうございました。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
1)命は無意志で生まれるのですか? 命が明確でないようですので、命は何かなんですね。これも肉体生命と意識としての命と分けて考えるとわかりやすいでしょうね。 [I was born], [He was born],[She was born]・・という表現は、この世に生まれるには母の助けが必要と言う意味ですね。 自身の望みだけでは生まれることは出来ないので、そのような表現になっているだけですね。 それから、IやHeやSheには肉体と意識が含まれます。肉体は当然、父や母の介在無しには生まれることは出来ません。 では意識はといえば、生まれる時には肉体に意識が備わっていますので、意識は無意識ではありえないのですね。肉体の生成過程で意識が備わるということは、当然恣意的に意識が肉体に備わっていくと考えるのが普通の考えでしょうから、恣意的、つまり望んで意識が肉体に宿ると考えられるからですね。 まあ、実際のところみんな望んで子供になってますね。いやで子供になることはないようですね。 受胎から3週間目ぐらいに意識が宿るといわれてますね。そこでみな宿らしてとお願いするそうですね。 例を挙げれば、宗教家のイエスさんなどは、母親に面と向かって「あなたは私の肉体の母ではあるが、魂(意識)の母ではない。」といった記述が聖書にありますね。でも子供がどう言おうが、[I was born]なんですよね。母は強しなんですね。
お礼
すっかり遅くなりまして申し訳ございません。 わかり易い言葉で、でも深く深くと思わせられる回答をありがとうございます。 >肉体生命と意識としての命と分けて考える 母胎を脱する迄は肉体生命、でしょうか。 母胎を脱して後しばしして、意識としての命を併せ持つようになる。 >自身の望みだけでは生まれることは出来ない そうですね。。。 同じく生み出す側(親)の望みのみでもまた、生み出す事は叶いません。 生まれる者の意志と、生み出す者の意志と、両者の肉体の都合と、もう一つ全く違うくじ引きのような何か、でしょうか この五つがうまく噛み合ったとき、命は新たに生まれて来るのかなあ。。。 肉体に意識が宿る。。 人間以外の生き物も当然そうなのですよね。 裾野の広過ぎる疑問に、自分で苦しんでいます。。。苦笑 ありがとうございました!
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
意識の無いものに、意志はありません。 そもそも「あるか?」と問う、「ある=存在性」は、 現在の意志の射影によって実体を有するのです。 最新の量子論的世界像において、有限な存在性は 観測される事によって生じています。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、 無限につめこむと存在確率の山が平らになって、 無と等しくなります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、 相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、 自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識する のです(自我仮説と時空仮説の相補分化)。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源に まで遡った)補完なのです。 相対性理論の四次元時空の方程式において、時間項は マイナスになっており、空間軸と時間軸の等距離点に、 “ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、 光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を 分ける界面原点なのです。 そして超光速においてエネルギーは虚数化し、相互作用 =二乗において負=過去(時間的反転)と等価になり、 即ち、現在から過去と未来が対発生していると言えるのです。
お礼
>意識の無いものに、意志はありません。 力強く分かり易く話してくださり、ありがとうございます。 では、卵子と精子の受精への動きは「意志ではない」となりますか? あ、、、でも、卵子と精子に「意識が無い」事を納得出来る説明はありませんでしょうか。。。? 何だか上手くおなかに落っこちて行かずに困っています。。。汗 >全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。 またもや、難解ながらスッキリとする一文! 私があるから(私にとっての)世界がある。 私が無ければ(私にとっての)世界は無い。 全ての事物の存在は互いに支え合っているし、補完的ですね。。。 でも、それは其処に「私」がいるから。。。。で正しいでしょうか? 私の理解に間違いがありましたら、訂正頂けると嬉しいです。 ありがとうございました!
- HOPinDEER
- ベストアンサー率73% (3803/5162)
こんにちは。 1)命は無意志で生まれるのですか? いいえ。志と意思はちゃんとあって生まれていると思いますよ。 人は生物学上「ヒト」は 元々は卵子と精子という二つの生物からできてます。 精子と言う生き物は、食べる事も無く卵子に受精する事のみを 生きがいとして生まれてきていますよ。 一方卵子も食べるということもなく、精子が受精するのを待っている。 これでいろいろな難関を乗り越えてこそ、ヒト=赤ちゃんとして生まれて来て居ます。 胎児だとて、生まれる合図を送っていますよ。 なので「無意識」かもしれませんが、生まれる志と意思はちゃんとあって 生まれているものだと思います。 ヒトに限らず、生き物は皆そうだと思いますよ。 2)無意志と言う言葉はあるのですか? むいしで変換もできないから多分ないのでしょうね^^;。 しかし伝わる言葉、ニュアンスはわかる言葉だと思います。
お礼
柔らかく暖かな回答をありがとうございます。 HOPinDEER様と直のやり取りは初めてですが、育児カテゴリで何度もお見かけしております。 一言、お祝いを申し上げたく思います。 おめでとうございます^^ 拝見した時、凄いなあ、良かったなあ、良いなあ、と心から思いました。 お体お大事に為さってくださいね。。。。 >元々は卵子と精子という二つの生物からできてます。 「二つの生き物」と言う表現が、何とも目をぱちくり、でした。 生き物かあ。。。細胞。。。。と何となく思っていた私です。 この区切りの検証も必要ですね。 >むいしで変換もできないから うあ、、、、私は出来ちゃいます。。。何でだ。。。。 既に使い過ぎて、変換パターンに登録済みでしょうか。。。 ありがとうございました!
補足
質問を覗いてくださる皆様へ 質問文中にてあげた吉野弘さんの詩です。 中学生の時の国語の教科書にて、とても印象深かった詩です。 それきり読み返した事は無かったのですが。。。 余談となりますが、 当時の私の関心事は、少年の「文法上の発見」と「父親のこころ」の中間を漂っておりました。 単なる文法上の発見をもう一歩。 命は「生まれる(つまり意志の状態)」のか、「生まれさせられる(無意志)」のか、です。 はっきり言って、父親のこころを過った思いは眼中に無かった。苦笑 勿論に、父親として「この子は生まれて来たくはなかったのだろうか?」と言う心配もかすかに感じたのみ。 生まれるのか?生まれさせられるのか?を自問自答に終始し、その為に気になった詩でした。 おそらく、この詩は「親と子の暖かなすれ違い」の情景を映しているのだと思うのです。 意志か?無意志か?の問いを他人に問う事の、他人の動揺。。。 この質問に関してのみ言えば、余計な情報が多く含まれていますが、 一応言いっぱなしも良くないかしら、と補足致します。 ++I was born++ 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。 女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。 女はゆき過ぎた。 少年の思いは突飛しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である翻を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた ---やっぱり I ws born なんだね--- 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。 --I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね-- その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってはこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。 --蜻蛉と言う虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね-- 僕は父を見た。父は続けた。 --友人にその話をしたら 或日 これが蜻蛉の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口はまったく退化していて食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりとした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげてるように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて <光>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは--。 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものだった。 --ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体--。 --現代詩文庫:吉野弘詩集:「I was born」より--
すごく根源的な話ですね。 1について そもそも今この場にいる私の意志は本当に私の意志か? 哲学もいろんな思考レベルがありますから、 ごっちゃにするとわけわからなくなるわけですけどもw 唯物論的な考えで、私たちが物理現象の一つにすぎないとするならば、 生まれることもすなわち物理現象ですよね。 霊長類は生物の進化の賜物だとして、生物はたんなるたんぱく質の合成物だとして、 たんぱく質は単なる分子の化合物で、分子は原子からできているとすると、 ひたすら時間をさかのぼって科学の一説であるビッグバン宇宙論が正しいとして、 じゃあそのビッグバンを起こした存在なり力なり現象なりに意志があるのかどうか? がポイントですね。 科学的に考えるとそういう問いになるかと思います。 いやそうではなく、この場にいる私の意志はある。 「我思う故に我あり」だとして、考えると、 私が子供をせっせと作る営みをするとしたら、 私の子供の誕生の過程においては、私の意志が何らかの形で含まれていると考えることもできますよね。 いやそうではなく、子ども自身、つまり精子と卵子の時点で、 結びつきあいたい、胎児になりたいという思いがあるのかどうか? これもどこまでが意志として捉えればいいのか? 少なくともそれぞれ精子は卵子と融合するために卵管を上っていきますし、 卵子は精子と出会うために産み落とされます。 それをそのものの意志としてみればそのようにも見えるし、 遺伝子レベルでの本能と言ってもいいかもしれませんし、 やはり翻ってそれは父と母の意志なのかもしれませんし。 いろんな視点で見ることができてしまうので、 すみません。結局答えはでませんでした。 これ以上追及すると学問ではなく、 スピリチュアルとかそういうたぐいになってしまいそうなので(笑) 2について 私は無意志という言葉は聞いたことがありません。 確かに、意志が介在しない状態を指す言葉はなんというのでしょうね? 自然・・・でしょうか? うーむ違う気もする。 現象とか物理・・・というのとはちょっと違う。 道理? 摂理? 宗教的には「空」とかそんな感じなのでしょうか?
お礼
早々の回答ありがとうございます。 しかもとても丁寧に。。。。感謝申し上げます^^ >唯物論的な考えで、私たちが物理現象の一つにすぎないとするならば、 >生まれることもすなわち物理現象ですよね。 私自身、唯物論的な感覚が強いとは思いますが、 神様を存在しない、とも思わず(居たら良いなあ)、 唯物的思考、物理学/力学の世界観の隙間の存在も信じています。 論理的思考の届かぬ場所、論理的思考では解き明かせない部分こそが、神様やこころと言うものかしら、と。 つまり論理的/物理的/力学的/数学的世界に切り込む「隙間」です。 「意志」。。。積極的なこころの働き(旺文社国語辞典) つまりは、変化を生み出す力。変革を進める力。環境に挑む力。状況を変えようとする力。 「本能」はどうなのでしょうね。。。 本能。。。(動物が)周囲の変化や刺激に対して、いつも決まった行動や反王を示す性質/能力(同じく旺文社)。 本能も「変化に対応する力」ではあります。 でも、変化が無い状態ではどうだろう。。。 変化無き状態から変化を起こそうとするのが「意志」と言う気がします。 本能=対応。意志=変革。でしょうか。 卵子と精子の意志、となると、そうかあ、それはあまり考えていませんでした。汗 生物としての意志、として本能、でしょうか。 これは意志とは呼ばぬ方が良いのかしら。。。 >やはり翻ってそれは父と母の意志なのかもしれませんし。 望まぬ妊娠もありますけれどね。苦笑 無意志。。。。うわ!私は言葉を作ってしまったのか?? 意志の有無、と検証した時に浮かんで来た言葉なのですが。。。 特に、他者に対する働きかけを思った時に、です。 「環境変革を望むか?望まぬか?」と言うのがはじめの問いかけだった気がします。 ありがとうございます。
お礼
krya1998様、回答をありがとうございます。 1)「意志」。。。積極的なこころの働き(旺文社国語辞典) つまりは、変化を生み出す力。変革を進める力。環境に挑む力。状況を変えようとする力、と言う感じでしょうか。 2)何処迄許容するか、、、、どこまでも、で在りたいと考えています。 意志を持っている、と私が考え、納得出来たら、何でもあり^^ でも、納得というのが難しいのですが、、、 3)原理の根源、、、と言う言葉が何を指すのか、思い浮かびませんでした。 考えられる例を頂けると嬉しいです。 4)「無意志」と言う言葉の意味付けについて。 意志の対義にはありませんね。。。意志を持たない「状態」かと。 krya1998様のおっしゃる「意志の働きの介在欠如」は、素敵に絶妙です。 5)質問の主題についてですね。 元は「生まれる時と言うのは、生まれようと言う意志を持つのか持たぬのか?」です。 それを、私にしっくり来る言葉として「無意志」と書いてしまったので、あれ?正しかったかな?通じるかな?と不安に思い、派生質問として並立させてしまいました。 あーー別に立てるべきだったかも。。。。汗 6)意志は在れど、意志を持てども、表層の行動/反応として本能を越える事は不可能と考えております。 それでも意志が存在するとするならば、それは「生き方の姿勢」として個々人が望む形、ではないでしょうか。 行動と行動の間に関連性も一貫性も無い。それを繋げてしまう、関連づけてしまう思考の指針?のようなもの。 余計にややこしくしてしまうかも知れませんが、私の以前の質問から引っ張ってみます。 「無理解は無理解のままに」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5757272.html #1へのお礼から >私も、そのまんまで世界を見ていたい。 >無理解も全て、そのまんまで、 >自分の認識で世界を狭めたり冷たくしたりしないで、 >ちゃんと感じていたい、と思います 受容、そのまんま、ありのまま、手を加えない、此処に居る、たたずむ、と言った辺りが、私にとっては「無意志」の同義語かもしれません。 でも決して傍観者や閲覧者ではない、あくまで当事者としての姿勢です。 で、生まれ来る命は、生まれる時無意志か?なのです。 質問の立て方を失敗した気がして参ります。。。苦笑 よろしくお願いします。