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「自律的に生きる」=「他律的に生きない」ということか?

「自律的に生きる」=「他律的に生きない」ということか? 最近、自律的に生きている人は少ない。お金の損得で物事を決めている(他律的)。そうした他律的に生きる人々の中で、真に「自律的に生きる」には何がポイントになるであろうか?(簡単ではないと思うから)

みんなの回答

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.6

突き詰めれば、主体的な愛を持った生き方になると思います。 もっと簡単に言えば、人の幸せや喜びのために捧げる生き方。 主体的ということは、人の幸せな姿が見たい。人が喜ぶ姿が見たい。 人を幸せにしたい。人を喜ばせたい。 そういう、願望が中心軸にあるということです。 というより、これ以上の動機は存在しないと思います。 最強の動機で生きる=人のために生きる=愛の生き方(愛って言葉は使いたくないのですが、他にはないのでしかたありません) 人を先に喜ばせた結果として自分も喜ぶことになるわけです。 普通は、自分が先に喜ぼうとしてしまうのですが、それでは順序が逆になっています。 たとえば、仕事を例に取れば、給料を得るために仕事をするのは本末転倒ですよね。仕事自体が楽しく、面白く、何より人様のためになるからこそ大きな喜びや生きがいが自分に返ってくるのであって、それが仕事をする動機の本質でありましょう。 突き詰めれば、人のため、誰かを喜ばすため、つまり人間への愛が仕事の根底になければならないのです。結果としてお金までもらえるわけですから、喜びは倍増することになりますよね。 通常、お金が目的ではろくな仕事はできないことでしょう。 お金はどうでもいいわけです。仕事だけで充分幸せいっぱいなわけですから♪ ですが、給料までもらえてしまうとしたら、「えっこんなに楽しい仕事までさせてもらって、その上お金までもらえるんですか?」 (恐縮ですが、今の私の立場が正直こんな思いで仕事してます) 仕事という意識よりも、人一倍世のため人のために生きたいという意識が支配的ですね。 とにかく人が一つの苗木を植えてる間、自分は二本三本植えるんだという意識で仕事することが大切です。 人を一人でも多く幸せにしたいと言う意識、どれだけ人を喜ばせられるかという、いわば善の競争ですね。 仕事は特にそうですが、家庭や遊びも趣味も全て共通しています!! 主体的!これがだいじだと思います。何をするにも後手に回らないようにしたいものですね! 自分がどうしたら一番大きな喜びを感じるのかを常に正直に実践するように生きれば、いつでも自律的生き方ができるのでは?

OtamaFJ
質問者

補足

あなたは、自律的社会の一員にふさわしい人物ですね。うらやましいです。大抵は、苦痛から逃れるために働く人が多いんですよ。仕方なくイヤイヤ。私とて、そうした部分があるため、こうして質問しているわけです。 自律的=意識的=自発的。他律的=反射的=衝動的=無意識的。 労働の報酬は言われるとおり「仕事そのもの」だと思います。大抵のサラリーマンは「いい仕事をしたから給料上げて欲しい」て思っておりますよ。

noname#112847
noname#112847
回答No.5

他に動じないものを得る・・・事ではないですか。 困難かもしれませんが。

OtamaFJ
質問者

補足

そうですね。ありがとう。

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.4

他律的とは他人との関係ということなら全く自分ひとりでは生きていくことは不可能なので「自律的に生きる」=「他律的に生きない」はありえません。 究極の悟りの有即無 無即有を悟ったなら自律=他律 他律=自律が悟れます

OtamaFJ
質問者

補足

しかし、ヒト型進化は自律的社会化へと向かいます。 逆にアリ型進化は、他律的社会化へと向かいます。 アリは遺伝子により反射的に動いており、無意識です。よって個体は宇宙を持たないと思います。意識的であってはじめて認識体として成るのであり、そこに宇宙が出現すると思います。 現代人は規則をどんどん作り他律化していっております。「規則があるから犯罪を犯さない」人物はたくさんいますよ。

  • cowstep
  • ベストアンサー率36% (756/2081)
回答No.3

自律と他律を対比せずに、調和を図ることが、より良い社会生活を送る秘訣でしょう。 金銭的な損得で物事を決めるのが他律的だとお書きになっていますが、欲しい物をできるだけ有利な条件で買うことは自律的な面があると思います。さもなければ、すべて自給自足の生活をしなければなりません。 起床時間を出勤や登校時刻に合わせることは、一見しただけでは他律的ですが、遅刻しないように言い聞かせて守る場合は自律的な面があります。人間は社会という大きな機会の中の歯車みたいなもので、完全に自律的であることはできないものです。しかし主体的に思考や行動をすることができるので、植物人間にならない限り完全に他律的にもならないのです。

OtamaFJ
質問者

補足

いいえ。原始共産制から3千年かけて、人間はヒト型進化(自律的)からアリ型進化(他律的)へと移行しており、その歪みが様々な問題を起こしております。確かに他律的社会性が規範として機能していたのは事実ですが、誰しも他人に命令指示されて動くのは嫌なものです。そこで本来の自律的な社会=ヒト型社会、へと戻そうとしたい。他律化が進む社会の中でいかに自律的に生きるかは私には困難です。そこで質問させて頂いたわけです。

回答No.2

 仰せのように断片的にしかいえませんが。  真に自分になって、どの人も世界中を自分として生きる事。

OtamaFJ
質問者

補足

それを「社会生命性の自覚化」と言うようです。 しかしまだそれは成っておりません。皆がそう思わなくては。。。

noname#136007
noname#136007
回答No.1

  あなたは、過去にこういう発言をしています。 >会社で自律的すぎたため、異動することになりました。 と言うことは、自律的に生きるポイントを知っている事になるのですが、こういう質問が出るとは、何故なのでしょうか?    

OtamaFJ
質問者

補足

>会社で自律的すぎたため、異動することになりました。 を正確に表現しますと、 「会社で自発的価値観により独断先行して利益を出すことがねたまれ、上司連中から別の事業所に飛ばされることになりました」です。 真に自律的に生きるのが困難なので、このような質問をさせて頂きました。

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