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再翻訳の謎

翻訳サイトで日本語→英語→日本語(いわゆる再翻訳)に変換すると意味がおかしくなることのはなぜでしょうか。 「過ぎた日々にさよなら」→「Good-bye in past days」 これを日本語に再翻訳すると「さようなら以前は」という意味が違った日本語になります。 なぜ意味が違ってしまうのでしょうか?

みんなの回答

noname#111031
noname#111031
回答No.5

あなたの挙げられた例文の翻訳が間違っているのではないでしょうか? 英文が変ですね。さよならする相手は”past days”ですよね。そうすると”Good-by in past days"でとはならないのでは?過ぎ去った日々に於いて、さよなら”となるのでは?

noname#110649
noname#110649
回答No.4

過ぎた日々にさよなら、の”に”、に(向かって)なのか、に(於いて)なのかで意味が違う。でそこの処理をどうするかプログラマーには悩みが多い。そんなところでは? ちなみに、過ぎた日々に(於いて)さよなら≒さよなら以前は どうでしょう?

  • purunu
  • ベストアンサー率42% (518/1214)
回答No.3

すこしずつ意味が違うためです。 まず、「過ぎた日々にさよなら」のニュアンスを英語に訳すと、 「Good-bye to the past days」です。この「に」がinではありません。 そして、「Good-bye in past days」が与えられると、その訳のひとつは たしかにGood-byeを間投詞として考えた「さようなら以前は」で、 もうひとつは、「以前のわかれのあいさつ」というGood-byeを名詞と考えた訳です。今回の場合、英語→日本語は、まあまともに機能していると思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 翻訳は、鏡に映す映像のようなものです。ところが鏡は正確には原像を再生していない。それを繰り返すと歪みが歪みを産んで、色も形も、もととは、違った物が出来てしまいます。  合わせ鏡をするとこの様子がよく分かります。  言葉にはそれ特有の意味分野の切り方があって、翻訳は、大なり小なり原文に似た影像です。#1さんもおっしゃったように、翻訳によってもとの文学作品の、よさが失われ、それが再翻訳された時は、一度失われた物は永久に帰って来ません。  稀な翻訳家は、ビュッセとか、シェリーとかの「名訳]で知られていますが、それは訳文が日本語として優れているからで、べつに忠実な訳だからとは限りません。名訳をもとの原語に「名訳」すると、結果は「迷訳]であることが多いのはそのためです。

回答No.1

文学的表現は、その中のロジカルな部分を引っ張り出して、 「翻訳調」にされてしまうからです。 それゆえ、その逆は途中までで、どう頑張っても文学的表現に 翻訳することはできないと思います(任意の部分だから)。

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