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腕組み

http://eow.alc.co.jp/%E8%85%95%E7%B5%84%E3%81%BF/UTF-8/ このサイトに、 ・(人)と腕組みをして with someone on one's arm という記述があるのですが、他人と腕を組む場合にも「腕組みする」と言うでしょうか。 「腕組み」はあくまで自分自身の腕を組む場合で、他人との場合は「腕を組む」だというイメージを持っていました。 私の知識不足なのかもしれませんが、みなさんのご見解をお聞かせください。 実際に使ったことがある、あるいは聞いたことがあるかどうかも含めて教えていただければ有難いと思います。  

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kollagen
  • ベストアンサー率52% (63/120)
回答No.3

わたし何かあるといつも広辞苑で調べるのですが、 「腕組み」=自分が胸の前で腕を交差させる 「腕を組む」=(1)自分が胸の前で腕を交差させる (2)他人と腕を絡ませる ということらしいですね。 確かに「腕を組む」の名詞は「腕組み」だけれど、そうすると「他人と‥」の意味合いがなくなってしまうようです。 結局、前後の文脈で判断するのがいちばんなのでしょうか。 ちなみに、英語・ドイツ語でも調べてみたのですが、 「自分が腕組み」 「他人と腕を組む」 はそれぞれ別の表現が使われていました。 中国語ではひとつしか出なかったので、分けていないのかもしれません。 日本語でも正しくは区別をするべきと思いますが、「腕を組む」はどちらも使えるんですよね。 ややこしいです。

hakobulu
質問者

お礼

ありがとうございます。 広辞苑には「他人と腕を絡ませる」という意味は載っていないとのことで心強く?^^;感じました。 >「腕を組む」はどちらも使えるんですよね。 :そうですね。 また、 「腕組みをして考える」とは一人で考えることでしょうし、 他人と腕を組んで考えるという意味に捉えることはできないでしょう。   

その他の回答 (2)

  • 35to1
  • ベストアンサー率30% (45/146)
回答No.2

 単に「腕組み」という表現が出てきた場合は  自分自身で腕組みすることだと捉えます。  特別な前置きや解り易い修飾などが無い限り  ほかの人と腕を組み合うことだとはおそらく思いません。 「人と腕組みをして-」という表現なら 「ほかの人と腕を組み合うということ?」と思うかも知れません。  しかし、 「A君と一緒に腕組みをする」や「A君とお互いに腕組みをする」  という表現だと 「A君と腕をとりあって組み合う」と捉えるのではなく 「各々が自分で腕組みをする」と僕は捉えると思います。  でも誰かに「いや、ひょっとしてA君と  二人で腕をとりあって組み合っているんじゃあないの?」  と言われれば、そうかも知れないと思うかも知れません。 「ライバルと腕組みして向き合う」なら  やはり各々が腕組みして対峙していると捉えます。  あるいは自分だけが腕組みしているのかも知れませんが。  ライバルと腕をとりあって組んでいるのなら  違う表現にしてほしいです。 「A君と腕組みしてB君を登らせる」なら  A君と腕をとって組み合っていると捉えます。  繰り返しますが、そういう文脈でなければ  ほかの人と腕を組み合うことだと僕は捉えません。  しかし、解り易いそういう文脈であれば  人と腕を組み合うことだとも捉えます。  個人的な意見です。参考まで。

hakobulu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「人と腕組みをして-」という表現なら 「ほかの人と腕を組み合うということ?」と思うかも知れません。 :「?」と思わざるを得ない表現だということですね。 全く同感です。 つまり、意味は通じますが、自然な表現とは言えないということです。 > しかし、解り易いそういう文脈であれば  人と腕を組み合うことだとも捉えます。 :おっしゃるとおりですね。 そして、そういった状況であっても「腕組み」という表現を使わずに「腕を組む」と表現するほうが自然ではないだろうか、と思うわけです。 つまり、件のサイトの主催者は「腕組み」という言葉の使用例を(無理に)示そうとして、範囲を広げすぎたのではないだろうか(あるいは、勘違いをしているのではないだろうか)というのが私の質問の骨子です。  

  • 84jupiter
  • ベストアンサー率46% (14/30)
回答No.1

こんにちは 直感で言えば私もスレ主に同意見ですが、よく考えてみると「XXと腕組みする」という言い方も変ではないかもしれません。 「腕組み」は「腕を組む」の格助詞を省略し、さらに動詞を連用形にしたもので、全体をサ変動詞語幹として扱うものでしょう。 「虫を取る」―「虫取り」―「虫取りする」という風に、たくさんあるが、短縮してもしなくても意味は変わらないはずです。問題となるのは短縮形の前に「XXと」という連用修飾語が入ると、意味が変わるかということですね。 「Aさんと虫を取る」―「Aさんと虫取りする」のように、連用修飾語が入っても同じ意味なのに、「Aさんと腕を組む」―「Aさんと腕組みする」という二つの表現では、後者が少し抵抗を感じます(あくまでも自分の感でいってます)。 つまり、肝心なのは、「腕組み」という語の用例を見ると、ほとんどは自分の腕を組むことを指して言うので、そういう思考回路がもう定着している人にとって抵抗を感じるのでしょう。

hakobulu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「腕を組む」の格助詞を省略し、さらに動詞を連用形にしたもので、全体をサ変動詞語幹として扱うものでしょう。 :というご説明は私のような素人にとって大変参考になりました。 「天下を取る」→「天下取り」なども同じような構造なのでしょうね。 しかし、「ご飯を食べる」→「ご飯食べ」とはおそらく言わないであろうと同じ程度に「○○さんと腕組みする」という表現は不自然ではないか、という印象を持っています。 文法的解釈は私には無理なのですが、 「腕組み」という言葉は、様々な状況での精神的緊張を和らげる無意識的仕草としての意味より持っていないような気がするわけです。 「Aさんと腕組みする」という表現に抵抗を感じるのは全く同感です。   

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