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「八丁堀」 (´・ω・`)
ある時代劇の話です。劇中、「そこに八丁堀が居るぞ」的なセリフがあったのです。どうやら「八丁堀(地名)」を「同心(警察官)」の意味で使うのが、その時代劇のお約束だったようです。 この種の用法もしくは言い換えは、歴史上実際にあったのでしょうか。その時代劇だけですか。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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bungetsuです。 この紙面を借りて、大変恐縮しは存じますが・・・。 krya1998さま、 ようやく「ご老公」・・・ときましてか・・・。 確かに、老齢の域に達してはいますが、まだまだ現役のつもり・・・「つもり」です。 水戸の「ご老公」と間違えないでくださいね。その内「印籠」をだしますぞぇ。 さて、本題、 例えば、 「南が動き出した」・・・と、言えば、南町奉行所が動きだしたことを意味しましたし、 「北が探索に入った」・・と、言うと、北町奉行所が動き出したことを意味しました。 特に、江戸っ子は、「せっかち」でしたので、何でも「縮めて」話す言葉が流行しました。 江戸時代は、武士はすべて官舎住まいでしたので、「八丁堀」は、町奉行所の「与力」「同心」の居住区域と定められ、 「南が動きだした」 「北が動き出した」 と、同様に、 「八丁堀がきた」 とか、 「八丁堀が居る(から気を付けろ)」 と、言えば、町奉行所が動き出した、あるいは、目を付けている、ことを意味しました。 まあ、これは架空のことですが、 「あそこには、明神下が(張って)いる」 と、言えば、ご存知「銭形平次」が目を付けている・・・と、言う意味になります。 一種の「暗号符号」または、「略した言葉」です。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
漸く文月ご老公にお会いできました。 多分仰せのお庭番って、尊敬する西郷さんは無論剣術もだめなくらいですから、忍びなどはできませんね。 それでもお庭廻りとか、役でしたね。 お土居した○人衆というのも、その類なのでしょうね。 八丁堀も何も当時は、現業の方は所詮は現業で終わる。 芸の者、武芸者もそうなのでしょうね。 文月先生があげられたのお庭番の身の始末もそういうものなのでしょうね。 それが方式なら、それで通すのが私たちですね。
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>「そこに八丁堀が居るぞ」的なセリフがあったのです。 答えから先に述べますと、「言いました」。 一つの例を出しますと、 ☆お庭番 八代将軍吉宗が紀州から江戸城へ入ったとき、供をしてきた者の内17名が将軍じきじきの命令で働く役目を仰せつかった。 普段は平凡な武士の姿で誰が「お庭番」かは見分けがつかないようにした。 他の役人とはいっさい交際を禁じられており、世襲制で結婚も同じお庭番同士の家柄で結ばれた。 将軍より指令を受けると、帰宅せずにそのまま大丸呉服店の奥の一室で指令の内容に応じた変装をして出発した。 そして、半年も一年も帰らないことがあったという。もちろん、忍術の心得を持っていた。 また、旅先で死んだり怪我をするようなことがあっても、ご公儀からは何の保護も与えられなかった。いわば、使い捨てということらしい。 さらには、時には旗本連中の陰口などを直接公方さまに上申したりもしたので、旗本連中も 「あの男はお庭番に違いない、滅多なことは口にすまいぞ、それ来た、油断するでない」 と敬遠したという。 こういう答えではダメなのでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.3の補足でいっている、 八丁堀がきたぞ、八丁堀が通る、ということはいいましたね。 吉原がいるなんて事はいわない。
- shin1417
- ベストアンサー率27% (199/721)
>歴史上実際にあったのでしょうか 実際にありました。 特に、江戸時代はある職業の人達は地域で固まっていましたから。 ある職業を地名で表すというのは珍しくありません。 例えば「吉原に行く」って、吉原は地名です。 でも吉原には江戸幕府公認の売春街がありましたから、「吉原に行く=女遊びに行く」の意味で実際に江戸庶民の間で使われていました。
補足
回答ありがとうございます。「そこに吉原(売春街)があるぞ」的な用法なら、当然あったと思います。俺が知りたいのはそういうことではなく、「そこに吉原(売春婦)が居るぞ」的な用法はあったか、ということなのです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
八丁堀に官舎があったので、八丁堀の旦那とか八丁堀といえば与力・同心を指していう言葉になっていたと存じております。
- tadagenji
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地名が職業やそれにたづさわる人を表すことは江戸時代に限らず存在します。 桜田門は警視庁=警官 霞ヶ関は省庁=官僚 永田町は国会=政治家 などを指します。 江戸時代ならば、 地名と生業が結び付くところはたくさんある。 板橋、浅草、吉原、蔵前、日本橋など
補足
例えに絡むのやめてもらえます?