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師匠と弟子の関係
『お弟子さんは、お金を持って来てくれる 良い人』 『金の切れ目が縁の切れ目』 などという発言をしている人がいました。 師匠ともあろう立場の人が、こんなみっともないことを言うとは 到底思えないのですが... 私が聞いたところによると、お笑いの業界などの関係では、お師匠さんがよくお弟子さんを食事に連れて行く、など聞きますし、お月謝などが発生する関係なのか?は、あまりよくわかりません。 師匠と弟子といっても、いろんな業界あるので、その方は、一般のお稽古ごとの先生と生徒さんの関係にも、師匠と弟子、という言葉を使っているみたいですが。 そこで質問です。 師匠、弟子というのは、具体的にはどの様な業界で使う言葉で、どんな関係性をいいますか? そこにはお金のやりとりは発生するものなのでしょうか? お稽古事での先生と生徒の関係性と少し似たものがありますが、そうした所では、お弟子さんはとらないと言う先生などもいて、生徒さんとお弟子さんが=イコールではない業界もある様子でした。 師匠と弟子、先生と生徒 ともまた異なる世界なのかな?と、疑問を持ちました。 なにか、この業界ではこうだよ、みたいな、詳しいことをご体験、ご存知の方がいましたら、よろしくお願いします。
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- tarohkaja
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私は、関係学会に所属する研究者です。 稽古をしてその芸道を身に着けようとしている者ではありません。 師匠たちやお弟子の奥様お嬢様は、文化史的な事は理解していません。 あなたが質問なさったような、なかには不心得な師匠がいるように、師匠だから文化 史をも理解しているわけではありません。 弟子になって稽古していれば、あなたの質問に答えられるような知識が身に着くので はありません。 ですから、あなたが私にいろんな分野の稽古をしたのかと聞かれるのは間違いです。 まあ、世間の多くの人は、謡曲の稽古をしている人なら能楽の事をよく知っているの だろう、茶道の稽古をしているのだから禅もわかるのだろうなどと思いがちです。そ の稽古事にかかわっているから知っているというものではありません。
- tarohkaja
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面白い問題です。 お弟子さんはお金を持ってきてくれる良い人だとか金の切れ目が、なんていうのは堕落であり、おっしゃる通りみっともない言葉です。 師匠と弟子は古典芸能の世界で使われる言葉、というより昔からある言葉であって、近代になって先生と生徒にとってかわられたものです。 テレビ業界などで、ことさらに古い方の言葉をえらんで使う、ということもあるでしょう。 華道では師匠といい、アートフラワーではインストラクターと言ったりしても、勝手にどちらでも使えばいいいのです。 あなたは、稽古事の世界は傍から見ているだけで内実をご存じなく質問されていると思いますので、回りくどいようですが、歴史的経緯から説明します。 玄人と玄人の間では、教授料=月謝のやり取りはないのが本来です。 素人弟子だけが玄人の師匠に対して教授料を払うものでした。 だから師匠が玄人弟子に飯を食わすこともあります。 素人弟子は、弟子の側から師匠を接待、弟子の方からごちそうするということがあります。 「弟子はとらない」 という先生は、しろうと弟子はとらない、素人には教えない、ということです。 「玄人稽古」 という言葉があるのですが、玄人が玄人に教える厳しい稽古、 それから、子供に教えるのでも、お嬢様のお稽古事ではなく、将来プロ(玄人)を目指すという子供の稽古の場合です。 これはプロ=玄人である親に頼まれた稽古です。 だからその素人には教えない師匠は、手ほどきはおろか、自分が精魂傾けるだけのレベルに達していない未熟者の面倒は見ておられない、ということです。 教えるということは重労働です。 自分が精魂傾けて教えてそれを受け止めるレベルに達した人だけ来なさい、ということで、まったく 教えないのではありません。 説明の順序がまどろっこしいと思いますが、順番に聞いてください。 まず、大衆芸能の芸能人、大衆小説の作家は大金を稼げますが、ファインアートの芸術家はメシを食えません。 例えば、「ひばり御殿」 というものを建てた流行歌手はいますが、 クラシックの音楽家でそこそこの立派な自宅を持てる人はたくさんいても、「御殿」 と言われる豪邸を建てた人はいません。 不倫小説エロ小説を書いて財をなした小説家はいますが、純文学では石川啄木は貧窮のうちに死にましたし、ゴッホだって死んだ後には作品が何億円になっても生前は貧乏に苦しみました。 森鴎外は軍人として高い位に上ったのだし、夏目漱石も大学教授や朝日新聞に高給で迎えられたからであり、原稿料でメシがくえたのではありません。 大衆芸能は金を得られるけど、ファインアートは食えない、 これは昔から西洋でも同じです。 西洋では、「パトロン」 がこれを支えました。 王侯貴族、イタリアルネサンスを支えたメディチ家などの大商人、それからバチカンほか各地の教会です。 日本でも、 大名家や寺院が障壁画 (襖絵、屏風、床の間などの装飾絵) を描かせ、 それで画家は潤いました。 この世界で、玄人同士の間では、月謝はありません。 玄人=プロを目指す若者が名人のところに弟子入りしても、玄人弟子からは月謝はとらないものでした. 名人一人では、なにもできず、必ず助手がいります。 玄人弟子は助手をつとめると同時に教えを受けるのです。 助手としても、高弟になればそれなりの補助作業があり、新入りの弟子には雑用があります。 助手としての給料も、教授を受けることに対しての授業料もありません。 これは、助手をしていなくとも、若い玄人がベテランの玄人に教えを乞う場合でも、玄人同士に教授料はありませんでした。 このように、ファインアートはパトロン=富豪だけが享受できるものでした。 教会へ行けば庶民も名画を間近に見られますし、お寺参りをすれば素晴らしい障壁画をおがめたということはあります。 また、ヨーロッパの田舎の古い都市にもオペラハウスが残っているところがありますが、これは昔の封建領主の首都で、なになに伯爵が治めた土地です。 こういうところでは、領主は領民に娯楽を与えることも義務であり、伯爵家の桟敷席と領民の平土間席のあるオペラハウスを作ったのです。 この場合は、庶民はパトロン族のおこぼれでアートに接することができました。 ここからが、質問の答です。 パトロンが個人資産をつかって芸術家を支えたヨーロッパ社会や、日本でも大名家や寺院しかできなかったパトロネージを、江戸時代の町人が、 「大勢で月謝を払って、みんなで一人の芸術家を支える」 という大発明をしたのです。 そうすると、豪商でなくともパトロングループの一員になれます。 一口馬主みたいなものです。 これが日本の近世家元制です。(家元にはいろいろありますが、大勢で月謝をはらって一人の芸術家を支える江戸の町人が発明した制度) だから、この場合は 「弟子」 と言いながらパトロンなのです。 末端の素人弟子の毎月の月謝はその師匠のものですが、稽古の段階によって発生する免許料は、中間の師匠を経て家元に集まります。 中間搾取がありますが、 玄人は内弟子(うちでし=修業および助手) を卒業して独立し、自分で弟子をとるようになっても修業は終わっていません。 家元を頂点とするピラミッドの各段階で、自分より先輩の玄人、家元の高弟や家元自身のところへ稽古に行きます。(先ほどの、素人弟子はとらない師匠というのは、家元や家元の高弟です) それは生涯続きます。 自分も成長していかなければ、いつまでも初心者の手ほどきや初級中級の稽古しかできず、程度の高い弟子を育てるようにはなれませんから、 独立後も修業を続けます。 そういう玄人と玄人の稽古には、月謝・教授料はありません。 だから、末端の素人弟子の月謝はその師匠の収入ですが、特別の免許料が家元に届くまでに中間搾取があるのは、この事情を承知している者には当然のことと理解されています。 家元は、一見すると不労所得を得ているようですが、こうした収入で、内弟子をかかえて衣食住の面倒を見ながら稽古をつけ、玄人たちの合同リサイタル(勉強発表会) を開き、流儀全体の経営をするのです。 そのきれいごとが、世の中かわってくるとそうもいかず、金集めを優先する師匠もいるというのが最初のお話でしょう。 師匠と弟子がもともと日本社会に存在していた言葉で、先生と生徒は新しくできた言葉です。 さらに、いけばなとどう違うのか私は知りませんが、アートフラワーというものもできて、そこではインストラクターというところもあるらしいです。 師匠でも先生でもインストラクターでも、 みな同じところはあるし違うところもあります。 インストラクターでも、それに資格認定=ライセンスを本部が与えるのは、「家元制度の中の 『名取』 」 と全く同じです。 そのアートフラワースクールの授業料の一部を本部が吸い上げるならば、家元制度と同じだし店舗のフランチャイズ制ともおんなじですね。
お礼
>あなたは、稽古事の世界は傍から見ているだけで内実をご存じなく質問されていると思いますので、 では、あなたはすべての業界の師匠さんとお弟子さんをご自身で体験なされて、実際に見て、これを回答してくださった ということですかね? たくさんのご意見ありがとうございます。 ところで1つくらい、プロの腕前にはなれましたか?