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念仏堂にある地獄の人形

昔墓地の近くに念仏堂が有り、その中に地獄の様子を表現した人形が、 50体位奉られていました。現在は地区の集会所の一室に奉られていますが、何故地獄の人形なのでしょうか。念仏と地獄の関係も理解出来ません。かなり不気味な人形ばかりです。ご存知の方よろしく回答お願いします。

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noname#163492
noname#163492
回答No.1

こんにちは。 念仏堂に地獄の様子を表現した人形があるという風習は 質問を読んで初めて知り、大変興味を持ちました。 正しいことは存じあげません。 以下に述べますのは私の推論です。 (1)念仏は極楽浄土に行くために唱えるものであったようです。 平安時代末期、京都の六波羅蜜寺の開基とされる空也上人が 「念仏を唱えさえすれば誰でも極楽浄土に行ける」ととき 「南無阿弥陀仏」と唱えながら踊る「踊り念仏」を流行らせたそうです。 これによって、それまでは皇族や貴族などごく一部の人のものであった仏教が 民間のものになったとされます。 (2)次に人形ですが、 『日本書紀』垂仁紀には、野見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに 土で作った人馬を立てることを提案したことが記されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B4%E8%BC%AA これが日本における人形のルーツかな、と思います。 人形は奈良時代の遺跡からも発見されています。 呪詛に使ったものと考えられています。 http://toki1935.exblog.jp/m2007-06-01/ 丑刻まいりの藁人形にみられるように 人形とは本来は「みがわり人形」であったようです。 今でも六月の晦日には 「夏越の祓」「大祓」などといって、紙の人形(ひとがた)に息をふきかけて自分の穢れを人形に移し 川や海に流すという神事が行われています。 http://www5d.biglobe.ne.jp/~yuka0225/kyoto6/630kihune.htm 雛人形などももともとは 紙や木切れでつくった人形を川や海に流すというものでした。 つまり、雛人形とは女性のけがれを人形にうつす身代り人形だったのですね。 豪華な人形がつくられるようになってから、人形を流すという風習はすたれたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E3%81%97%E9%9B%9B (1)(2)から考察して、墓地の近くの念仏堂に地獄の様子を表現した人形が奉納されているのは 墓地に葬られた人が極楽浄土へ行くために かわりに人形に地獄へいってもらう、という意味があったのかな、 と思います。 ※私は民俗学を研究している者で、興味があります。 さしつかえなければどのあたりの風習なのか、教えていただけませんでしょうか。

ELEC8
質問者

お礼

rupapo様 早々ご回答ありがとうございます。 丁寧に又分かり易く説明頂き感謝致します。 長野県木曽郡 世帯数20軒ほどの小さな地区です。 今も年に2回ほど集会所に集まり念仏を唱えているようです。 近々写真に撮りたいと考えています。

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