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この世のありとあらゆることを自分のものにしてみたら という課題を出され

この世のありとあらゆることを自分のものにしてみたら という課題を出されたのですが 具体的に見えてきません。どこをどうやっていいのか正直わからない。 無論、強制ではありません。 例えばここのカテゴリ一覧を見るとありとあらゆることが一応まとめてあります。 しかしひとつの職を手につけるにしても半端ないと思います。 自分の得意分野は深く突き詰めていき、触りで済む部分は触りだけそれなりに覚えるとしても、ひとりでこなす量、許容量が半端ないです。 なにかヒント、アドバイスみたいなものをいただけたら幸いです。 とりあえずまずは目に付いたものから取り組んでいくとして、なにかこう指針(コンパス)みたいなものが欲しいんです。

みんなの回答

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.4

「この世のありとあらゆることを自分のものにしてみたら」 自分のものということは、自分の所有物であり自分の思いのままになるということでしょう。 自分自身が自分のものになっているなら、そのままで幸福になればいいと思います。 それでもう何もすることは無いでしょう。 逆を言えば自分自身も自分のものでないということだとおもいます。 何か参考になれば幸いです。

noname#131234
noname#131234
回答No.3

あらゆるものということですから人・物資・資金、その全てにわたるものだと仮定いたしします。 昨日は自分のものであったものが、今日も自分のものであるという根拠は、 一体どんなことなのでしょうか? 答えとしては、継続性です。 手懸りとしては、自我の誘発的相関性(contingency)=意識です。 観点としては、「対象」と「自己」の問題です。 「どういうプロセスを通じて、事物が、『自分のもの』である」といえることになっているのか?ということを分析することで、具体的ビジョンが開けてきます。 「自分のものにする」 というプロセス 何者かが、自分のものになるという場合、どういう変化が生じているのか という機能の分析です。 所有物に関して法的に説明すると、 想定 ゴミの日です。道端に「おもちゃのようなもの」があったとします。箱の中に入っています。 意思と自由 海岸の廃棄物を例にとって考えても、国際法民法的に言うと、未開地の土地所有権と同様で、「占有の宣言」」が、一義的所有権を確定できることになっています。 「このおもちゃ わたしのよ!」という字義的宣言は必要ありません。 未成年者3歳児が、宣言主体であったとしても、行為が、非形式的所有の様相として、所有に関し、その意識が認知されると解釈されれば、所有関係が成立します。 法と個人 伝統の問題 しかし、約定上、地方自治体・ごみ収集業者・県・国を含め、何らかの取り決めがあるかもしれません。ゴミの日が粗大ゴミの日であったとしたら、特殊な既定(ごみ収集業者の社則・利用規約、地方公共団体との取り決め)があるのかもしれません。 約定として、ゴミを出した時点で、ゴミの所有権が、収集業者に渡っているのかもしれないということ。また、ゴミが倒壊して歩行者等に損害を与える可能性ということを考慮すると、ゴミを出した方の所有権は、賠償面で、意思表示の直前まで存在しているとも考えられます。 事物を通じた他者との関係性 (課題を出すものの違法性) 箱ひとつ取ったとしても、その中のおもちゃのようなものの中にお金が入っているかもしれません。衣服を廃棄した人が、「ポケットにはお金を入れていたことを忘れて」誤って廃棄してしまっているのかもしれない という可能性も、ここに関連してきます。所有関係は不明です。 以上が大まかな所有プロセス起源です。 事象と能力としてたて分けるとすると、 能力面での糸口としては、 愚民(おたま=折衷リレーション) ジェネラリスト スペシャリスト 万能の天才を相互に比較することです。 マネージメントとしては、所有より機能という原則がございますので、 自分のものにするということを、所有するという視点から、機能させるという視点に移すのも、やり方として存在します。

  • kacashi
  • ベストアンサー率50% (67/134)
回答No.2

飽きる。・・・とか。笑 日々、何かを手に入れるため、新しい発見に感動するため、に生きているようなものなので、すべてが揃ってしまったら飽きてしまいます。 そういうことじゃないのかな? 簡単に、自分なりの結論(私なら「飽きる」)を出して、そこから話に広がりを持たせていったらいいとおもいますよ。

  • cowstep
  • ベストアンサー率36% (756/2081)
回答No.1

想像力を働かせる以外に、解決方法はありません。ヒントとしては、ギリシャ神話を紹介します。 シーレーノスはミダースと彼の友人を物語と歌で楽しませた。11日目に、ミダースはシーレーノスをディオニューソスに返した。ディオニューソスは、ミダースに対して彼が望むどんな報酬でも選択するよう言い、ミダースは、彼が触れるものすべてが黄金に変わるよう頼んだ。ミダースは彼の新しい力を喜び、それを急いで試した。彼がオークの小枝と石に触れると、両方とも金に変わった。狂喜して、彼は家に帰るとすぐに、使用人に豪華な食事をテーブルに用意するよう命じた。「そのようにリューディアの王ミダースは、触れるものすべてを黄金に変えられることを知ったとき、最初は誇らしさに得意がった。しかし、食べ物が硬くなり、飲み物が黄金の氷に固まるのを見たそのとき、ミダースはこの贈り物が破滅のもとであることを悟り、黄金を強く嫌悪しながら彼の願い事を呪った」[5]。ナサニエル・ホーソーンによって語られたバージョンでは、ミダースは彼の娘にさわったとき、彼女が彫像に変わってそのことに気づいた。 今となっては、彼は自分が望んだ贈り物を憎んだ。彼は、飢餓から解放されることを願いながら、ディオニューソスに祈った。ディオニューソスは聞き入れ、ミダースにパクトーロス川で行水するよう言った。彼はそのようにし、彼が水に触れると、力は川に移り、そして、川砂は黄金に変わった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%80%E3%82%B9

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